人生は短く、思索は果てない【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0185】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】年寄り女の着るもの/リディア・デイヴィス ○
「年寄りになっておかしな服を着るのを、彼女は今から心待ちにしている」という。筆者の登場人物は、いつも共感しづらい志向や性格である。今回は、老いることがテーマにあるようだが、どうしても共感していない人物の考えや行動だから、自分の中に入ってこない。これがもしがすると大衆であり、リアルなのかもしれないが、中々飲み込めないのが現実である。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ほらふき男爵/辻征夫 ○
考えようによってはユーモラスな詩なのかもしれないが、私自身は、ほらふきをするのもされるのも苦手だから、何だか笑えない感じである。これはお笑いなどにも、通じるのかもしれない。偽悪的に振るまったりする方が、多くの注目を集めるものの、評価は人それぞれになるだろう。

【論考】ほとんど何もできない/池田晶子 ○
「人生は短い。思率は果てない」のであるから、もっと考える時間を増やさなければならないと思った。日々の情報量も加速度的に増え、年々情報消費ばかりになり、自己の中で思考し、出力することが少なくなっていると感じる。一言で言えば、享楽的になってしまったのだ。楽しむことが悪いのではないが、楽しさを求めるだけでは、思考の機会は増えない。


E.M. フォースター【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#159】


【6月7日】E.M. フォースター:1879.1.1~1970.6.7

個人的人間関係は、今日では軽蔑されている。ブルジョワ的な贅沢であり、すでに過去になった幸福な時代の遺物だと見られて、そんなものは捨ててしまえ、それよりも何か政治的な運動とか主義に身を捧げろとせっつかれる。私は、この主義というのが嫌いで、国家を裏切るか友を裏切るかと迫られたときには、国家を裏切る勇気をもちたいと思う。(「私の信条」)

『フォースター評論集』小野寺健編訳、岩波文庫、1996年

【アタクシ的メモ】
個人主義のススメといったところだろうか。もちろん全体主義は取らないが、そもそも二元論で、片方だけに傾倒するのは、やや違和感がある。アリストテレスがいうような中庸が、面白みはないが、現実では一番有効ないように思う。


この人生が存在している驚き【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0184】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】問題/リディア・デイヴィス △
XやYと名づけられた多くの存在が示され、それぞれの関係が語られる。論理式験のような文であるが、普通に読んでいては、その間係性はほとんと理解できないだろう。Zなどの記号であるし、ここで物語は展開されないから、読む気も失ってしまうのだった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ちちんぷいぷい/川崎洋 ○
「ちちんぷいぷい」は、自分が子どものころ、また育てている子どもが小さかったころによく聞き、使った。完全に口頭伝承で覚え、使ってきたので、こうして詩として文字にされると、不思議な感覚になる。例えば、人が制服を着るようになって、大人びたり、別人に見えるのに似ているかもしれない。

【論考】当たり前の日々/池田晶子 ○
池田さんは四十歳にして、一番驚いたことは、この人生が存在しているということ、それ自体だという。改めて、池田さんの言葉を読んで、素直に世界を眺めてみると、自分自身が何かを眺められる不思議、また眺めた対象がそうとしか存在しないことに驚く。そうでない可能性もあったのに、そうでしがないのだから。


バーリン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#158】


【6月6日】バーリン:1909.6.6~1997.11.5

自由は自由であって平等ではなく、公正ではなく、正義ではなく、人類の幸福ではなく、また良心の平静ではない。もしもわたくし自身の自由、あるいは自分の階級、自分の国民の自由が、他の多数の人間の悲惨な状態にもとづくものであるとするならば、この自由を増進する組織は不正であり、不道徳である。(「2つの自由概念」)

『自由論』生松敬三訳、みすず書房、1971年

【アタクシ的メモ】
自由とは、暴走しがちではないだろうか。そして、自由は自由であるために、原則抑えることはできない。上の言葉は、そうした自由の自由性に何とか歯止めをかけ、重しになるような考え方に思えた。


にじはきれいだが、はかない【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0183】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】安全な恋/リディア・デイヴィス
書籍では、わずか5行の超短編小説。息子のかかりつけ医に恋をするという女性。とても情熱的なたぐいの恋だったというが、二人を隔てる障害によって、安全でもあったという。つまりこれは、気持ちはあっても、具体的に発展しないと言いたいのだろうか。人の心の真実と、とっている行動は、また別であるというのはわかる。

【詩・俳句・短歌・歌詞】にじ/川崎洋 ○
全体的にポジティブな内容ではあるが、主語がそれぞれ示されないから、謎めいている。誰が草の中にたたずんでいるのか。質問したり、にじをかけたのは誰(何?)なのか。一方で、にじはとてもはかないものなのも気になってきた。結婚とにじを対比させると、あまりマッチしないのではないか。

【論考】彼の匂い/池田晶子 ○
今回も池田さんがかつて飼っていたコリー犬の話し。内容も思い出など、エッセー的である。なので直接書かれているわけではないが、生命は永遠ではないものの、匂いや毛などは、命を失われた後でも残るのだと思った。そして、言葉であれは、物質ではないから、ある意味、永遠の命を持ち得るのだと気づいた。


アダム・スミス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#157】


【6月5日】アダム・スミス:1723.6.5~1790.7.17

たしかに彼は、一般に公共の利益を推進しようと意図してもいないし、どれほど推進しているのかを知っているわけでもない。……ただ彼自身の儲けだけを意図しているのである。そして彼はこのばあいにも、他の多くのばあいと同様に、見えない手に導かれて、彼の意図のなかにまったくなかった目的を推進するようになるのである。またそれが彼の意図のなかにまったくなかったということは、かならずしもつねに社会にとってそれだけ悪いわけではない。自分自身の利益を追求することによって、彼はしばしば、実際に社会の利益を推進しようとするばあいよりも効果的に、それを推進する。

『国富論』(二)、水田洋監訳、杉山忠平訳、岩波文庫、2000年

【アタクシ的メモ】
市場経済において、各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成されるという「神の見えざる手」を、論じた部分のようだ。今も、神の見えざる手は有効なのだろうか?


走ったり、歩いたり【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0182】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】コテージ/リディア・デイヴィス ○
「1 いっぽう、そのいっぽう」と「2 リリアン」で構成されているが、1で描かれている人物が、リリアンであるかどうかははっきりしない。違う人物であるとすれば、なぜ2つが並べて示されているのだろうか。そして、1も2も、どちらも幸福じゃなさそうに見える。もちろんドラマもない。ただ、そうした人生がもしかしたらリアルなのかもしれない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】動物たちの恐ろしい夢のなかに/川崎洋 ○
動物も夢をみるらしく、「動たちの/恐い夢のなかに/人間がいませんように」と終わる詩。動物たちにとって人間が、嫌な存在にならないようにという願いなのかもしれない。ただ、実際に夢を見ると、現実の関係性とは別になることも多いので、何か筋違いな印象がある。

【論考】楽しいお散歩/池田晶子 ○
池田さんが若いころは、体力もあったので、ランニングをしていて、頭も同時に動いていたが、今は散歩のスピードが思考に適切だという話し。自分も走るし、長く歩くのも好きなので、考えるために走ったり、歩いたりが有効だというのとても頷ける。


ルクレティウス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#156】


【6月4日】ルクレティウス:前97頃~前55頃

おお 憐む可き人の心よ、おお 盲目なる精神よ! 此の如何にも短い一生が、なんたる人生の暗黒の中に、何と大きな危険の中に、過ごされて行くことだろう! 自然が自分に向って怒鳴っているのが判らないのか、外でもない、肉体から苦痛を取り去れ、精神をして悩みや恐怖を脱して、歓喜の情にひたらしめよ、と?

『物の本質について』樋口勝彦訳、岩波文庫、1961年

【アタクシ的メモ】
人間は、肉体と精神から構成されているという前提に立つように読める。そして、精神が歓喜(幸福)を感じるように生きろと、言っているのだと思った。


現象に断絶はない【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0181】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】メイド/リディア・デイヴィス ○
ホラー小説のような奇怪な設定。主人公の見た目が悪く、肌はヒキガエルの腹の色だという。母親もやや奇妙で、折り合いも良くない(筆者の描く母と娘は、大体仲が良くないのだ)。また、メイドとして仕えるマーティン様はマスクをかぶっていて、顔が見えなかったり。そして、あちこちのディスコミュンケーションだけが書かれていた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】くるあさごとに/岸田衿子 ○
わずか4行の詩。すべての行が「くる」から始まる。言葉数がそれほど多くないこともあり、メッセージはそれほど明確に理解できていないが、日々、似た行為をくり返して生きていること、そして、そのく返しを尊重しながらも、時に破綻してしまうことを容認しているのだろうか。

【論考】こんなふうに考えている/池田晶子 ◎
「科学が扱えるのは、客観的な他人の死だけだからである。しかし、自分の死を他人の死のように納得できていない証拠には、誰もが死を前にして生の意味を求める。意味などという観察も計測も不可能なものは、科学では扱えない。人は、意味への問いを、科学に求めるわけにはゆかないのである」。「現象には断絶はなく、移行があるだけなのである」。


老子【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#155】


【6月3日】老子:生没年未詳

大道廃れて、安に仁義あり、智慧出でて、安に大偽あり。六親和せずして、安孝慈あり。国家昏乱して、安に忠臣有り。

大いなる道が廃れだしてから、それから仁義が説かれるようになった。知恵が働きだしてから、それから大きな虚偽が行なわれるようになった。家族が不和になりだしてから、それから孝子や慈父が出てくるようになった。国家が混乱しだしてから、それから忠臣が現われるようになった。

『老子』蜂屋邦夫訳注、岩波文庫、2008年

【アタクシ的メモ】
二元論的な考えだろうか。善良さが増えると、その反作用で悪が現れだし、逆に悪がはびこれば、善良さが揺り戻そうとするといった感じで。ただ現代は、多様性の時代でもあるので、あれか、これかにはならないようにも思う。