福沢諭吉【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#034】


【2月3日】福沢諭吉:1834.12.12~1901.2.3

私が江戸に来たその翌年、すなわち安政六年、五国条約というものが発布になったので、横浜は正しく開けたばかりのところ、ソコデ私は横浜に見物に行った。その時の横浜というものは、外国人がチラホラ来ているだけで、掘立小屋みたような家が諸方にチョイチョイ出来て、外国人が其処に住まって店を出している。其処へ行ってみたところが、一寸とも言葉が通じない。此方の言うこともわからなければ、彼方の言うことも勿論わからない。店の看板も読めなければ、ビンの貼紙もわからぬ。何を見ても私の知っている文字というものはない。英語だか仏語だか一向にわからない。

『新訂 福翁自伝』富田正文校訂、岩波文庫、1978年

【アタクシ的メモ】
至極当たり前の話しではあるが、言葉が通じなければ、理解は進まない。一方で、未知の環境に積極的に飛び込み、自身の無知を自覚することが重要なのだろう。