カッシーラー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#134】


【5月13日】カッシーラー:1874.7.28~1945.513

言語、神話、芸術を「シンボル形式」と呼ぶとき、この表現にはある前提がふくまれているように思われる。それは、言語も神話も芸術もすべて精神の形態化の特定の様式であって、それらはすべて、遡れば現実というただ一つの究極の基層に関わっているのであり、この基層が、あたかもある異質な媒体を透して見られるかのように、それらそれぞれのうちに見てとられるにすぎない、という前提である。現実というものは、われわれにはこうした形式の特性を介してしか捉ええないように思われるのだ。

『シンボル形式の哲学』(3)、木田元・村岡晋一訳、岩波文庫、1994年

【アタクシ的メモ】
言語、神話、芸術を「シンボル形式」とするなら、シンボル形式を通してしか、我々は現実を捉えられないという。私自身は正しい言説だと思う反面、ここでいう「現実」とはいったい何を言っているのだろうか。写真を撮って一瞬の光のありようを記録するように、そのありのままを記述することでも、現実は捉えられるのではないか。