『ゴムあたまポンたろう』長新太・作


「ソーシャル時代」とも言われる昨今、通勤電車に乗っていても、多くの人がスマートフォンでFacebookやTwitterを利用しています。若い人を中心に、ソーシャルメディアが、現代人の生活に欠かせぬものとなってきているようです。

では、そもそも「ソーシャル」とは、一体何を指しているでしょうか。この問いに対する答は、思いのほか難しいものに思えます。

ソーシャルの原語である「social」を日本語に訳せば「社会的な」となります。しかし、「社会」とは国や地域、はたまた時代によって、意味や様相が大きく変化します。日本とアフリカにおける社会のあり方は違っていますし、たとえ近隣国であっても同一ではありません。日本国内に限定したとしても、平安時代、江戸時代、平成のそれぞれが、同じ社会だとは言えないでしょう。

今回私が紹介するのは、『ゴムあたまポンたろう』という絵本です。主人公のゴムあたまポンたろうは、頭がゴムで出来ている男の子。その頭が大男の角、バラのとげ、オバケの頭、ハリネズミに、ぶつかり、刺さり、蹴られることで、理由も明かされぬままあちこち移動を繰り返します。

移動する中で、ゴムあたまポンたろうは様々な感情を抱きます。「わーい」と叫んだり、心配したり、驚いたり、怖くて震えたり、泣きたくなったり。頭がゴムであるばかりに、宿命的に移動を義務付けられているようで、各々の状況を受け入れて話は進行します。まさに「郷に入っては郷に従え」といった感じです。

あるページでは大男が横たわり、あるページではオバケの親子と出会い、あるページでは動物たちがズンズン歩き、あるページでは海の上を飛んでいます。それこそ社会常識では考えられない状況ではありますが、ゴムあたまポンたろうは、“そうである状況”を引き受け続けます。

この本はとても独特な色使いで、ページをめくるごとに不思議なシチュエーション、不条理な情景がビビットな色で描かれています。こうしたページ一つひとつを「社会」と見たてると、この社会とあの社会に共通性や連続性は見つかりせん。なぜそのような状況であるのか、正当性は棚上げされているようです。

「社会」とは歴史をさかのぼることで、あるいは地政学的に分析を試みることで、これこれの理由で、今こうであると説明がつくものなのかもしれません。それでも、ゴムあたまポンたろうの物語を読み、彼の姿を虚心に眺めていると、「社会」というものの根源的な無根拠さを感じずにはいられなくなります。

『ゴムあたまポンたろう』長新太・作/童心社