時間を超越するのが言葉の価値【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0176】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】姉と妹/リディア・デイヴイス △
この短編は、誰かの具体的な家庭の物語ではなく、家庭一般について書かれているよう(それだけで、小説ではないと言えるのかもしれない)。家庭には、男子が必要で、息子の方が喜ばれると語られたり、姉妹は大きくなってきっと仲違いすると、十把一絡げに説明されるが、あまり納得感がないまま終わってしまった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ゾウ 2/まど・みちお △
ゾウとノミを比べて、「ゾウだったからすばらしい」というのだったら、私は全く賛同できない。ゾウがゾウであること、言い換えれば、自分が自分であること、その同一性を重視しているのだったら肯定したい。だが最後に、「ノミではなかったとは」とあえて書くあたりで、かなり怪しいと思っている。

【論考】なんにも変わらない/池田晶子 ○
池田さんの少し愚痴的な文章である。もちろん、それはそれで何も間題はないのであるが。なお、私が付箋を貼ったのは、「言葉は、時代すなわち時間を超越することで価値なのだ」という箇所。以前、池田さんの他の著書で読んでから、これがとても意識されていて、言菜の価値のあり方や凄さを噛み締めているのだ。


そうよ かあさんも ながいのよ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0175】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】街の仕事/リディア・デイヴィス ○
現実の社会を切り取っただけだから、と言われたら、その通りなのかもしれないが、職業差別的な、あるいは差別的な記述が多いと感じられ、読んでいて気持ちのヨイものではなかった。著者は何を伝えたかったのだろう。スチールカメラを覗き、社会のその瞬間のスナップショットを撮ったということか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ぞうさん/まど・みちお ○
誰もが知る詩である。あまり謎はないと思ていたが、改めて読んでみると、なぜすきなのは「かあさん」なのか、よく分からなくなってきた。人間も子どもは、特に母親に愛情を感じがちだと言われるものの、かあさんしか出てこないことに、やや違和感がある。

【論考】わが闘争/池田晶子 ○
今でこそ、池田晶子さんは書店にコーナーが作られていることも多く、世間的にも認のられていると思うが、書き始めたころは、編集者を敵だと考えていたというのは、やや驚きである。とは言え、編集者や出版社も多種多様であり、認めてくれる人もいるのが現実。誰でもヨイわけではなく、改めて相手を選ぶことが大切だなぁと思った。


どうして哲学なのか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0174】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ワシーリィの生涯のためのスケッチ/リディア・デイヴィス ○
川で桃が流れてくるほどではないにしても、ストーリーらしきものがあまりないのは、苦手だし、やはり読みづらい。その内容も、家族たちが赤の他人であったら、誰ひとり友人に選ばないという、悲しい終わり方である。そして、主人公が食べかけていたサンドイッチを、寝ている間に犬が食べてしまうところに、何か救いのようなものが、あるのかもしれないと感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】崖/石垣りん ○
サイパン島の崖の上から、身を投げた女性たちのための詩。「ゆき場のないゆき場」という表現がとても悲しく感じる。最後の連では「まだ一人も海にとどかないのだ。/十五年もたつというのに」と語られる。この部分は、正直言って解釈できないでいる。死んでも死にきれないということだろうか。

【論考】どうして哲学なのですか/池田晶子 ○
もともとはビジネス誌向けに書いた没原稿だという。「なんで私なんですか」と聞いたようだが、そこからもう池田さんらしい感じである。ただ、時代が変わっていることもあって、今ならビジネスパーソンであっても、哲学は必要になっていると思うし、筆者が言うほど役に立たないわけではないと感じる。


その時がきた、しかたがない【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0173】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】私に関するいくつかの好ましくない点/リディア・デイヴィス ○
この作者の男女は、いつも関係が上手くいっておらず、コミュニケーション不全ばかりである。「彼を嫌な気持ちにさせるものが私の中にあると聞かされるのはつらかった」という感じだ。女性は、自分なりに嫌な気持ちにさせるものを考えるのだが、しっくりくるくるものはない。コミュニケーシュンの問題は、必ず個別になるであろうから、「正しい答え」はきっと見つからないのだ。

【詩・俳句・短歌・歌詞】雪崩のとき/石垣りん ○
四季が移ろいゆくように、社会や人は必然的に変化してゆくのだろうか。この詩の作者は、その変化の胎動を、「その時がきた」「しかたがない」という人々の心のうちに見て、指摘している。雪崩は、とても小さな崩れから起きるようだが、世の中の変化も一人ひとりの心が変わり、ある意味で不可逆な結果を導びくまで、進んでしまうのだろう。

【論考】崩壊願望/池田晶子 ○
「生命は尊くも卑しくもない自然現象です」と筆者は言う。この前提に我々は立つべきだし、この前提に立つと、人間の意志がどこにあるのかが問題になる。この論考では言及されていないが、それでも理由なく、人は意志すべきなのかもしれない。多くの自然発生的な意志が、社会を存続させ、変化を生み出しているように思う。


「モノからココロへ」【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0172】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】骨/リディア・デイヴィス ○
パリに暮らしていた男女(その当時は夫婦だったよう)が、ある晩、魚の骨がのどにひっかかってしまい、医師に抜いてもらうという、これもやはり短いストーリー。あったこと(もしかすると、筆者の実話かもしれない)を、淡々と綴っているのだが、何とも言えない味、魅力のにじむ作品だと思う。ありふれた小さな物語でも、読み手の心を動かせるのかもしれないと可能性を感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】おんなのことば/茨木のり子 ○
きっと昭和の気分を色濃く描写した詩である。タイトルにある通り、女性が語る言葉について書かれているのだが、ステレオタイプの発言ではなく、本心、本音、心からの言葉を発すべきだと作者はいう。今は世の中も大きく変化し、こうした詩の出番はなくなっているだろう。だが、書かれた時にはきっと必要だったのだと思う。

【論考】新・唯心論/池田晶子 ○
筆者は、「モノよりココロ」「ココロがあるからこそ満たされる」と明言する。初出が1990年だから(しかも電通の媒体!)、その当時はきっと、かなり突飛な意見に映ったのではないだろうか。しかし、今では「モノからコト」とも言われるように、物質ではないものにこそ、価値を見い出すようになっている。池田さんが30年進んでいたというよりも、多くの日本人が本質から横に外れて暮らしていたのではないだろうか。


早くわたしの心に橋を架けて【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0171】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】秋のゴキブリ/リディア・デイヴィス ○
ゴキブリについて、数行程度の記述がくり返される。これは明らかに小説らしくない。物語ではなく、ゴキブリの感想、意見表明といったところだろうか。その中で、私が気になったのは、「彼はまるで厚みをもった影だ」という文。どうして人が、それほどゴキブリを気にするのかを、端的に表現している気がする。

【詩・俳句・短歌・歌詞】あほらしい唄/茨木のり子 ○
「あほらしい」とは言っているが、男性に対する愛の詩である。「早くわたしの心に橋を架けて」と願う部分は、とても異色だと思うし、興味深いと感じた。今とは時代が違い、女性から積極的にアプローチしないことを前提にしているせいかもしれない。ただ、もし愛情を感じるなら、本来待つ必要はないのだ。

【論考】孤独の妙味/池田晶子 ◎
改めて読んで、筆者のメッセージを一言でまとめることに難しさを感じた(誰かに頼まれているわけでもないのだが…)。スッキリと文章を理解できているわけでもないし、そもそも単純にまとめられる主張でもないからだ。それでも、一文だけ引用するとなると、「宇宙は自分として存在する」であろうか。自分という存在の不可思議さのしっぽをつかんだだけのようではあるが。


私たちは生涯で、何回さくらを見るのか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0170】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】夫を訪ねる/リディア・デイヴィス ○
離始の話し合いをする男女。そういう状態だからなのか、ちぐはぐなコシュニケーションを繰り返している。また女性は、独りになっても、周囲と上手く距離がとれずにいる。この何もかも失敗する感じは、身にしみてよく分かる。少しネガティブすぎるかもしれないが、生きるとはこんなものだよなとも思う。

【詩・俳句・短歌・歌詞】さくら/茨木のり子 ◎
題名を見て、さくらの美しさの詩かなと思ったが、毎年決まった期間しか花を咲かせないことから、人の生き死にについての内容であった。もしさくらを見た回数を数えたら、年齢より少なく、自分の場合は30~40回くらいと、それ程多くないことに改めて気づかされる。そして、さくらが散る姿を見ることで、「死こそ常態/生はいとしき蜃気楼と」わかるという。

【論考】思い悩むあなたへ/池田晶子 ○
何度か読んで、段々と分からなくなってしまったようだ。「私はこの自分がいまここに存在するというこのことが、どのような膨大な量であれなんらかの数量に換算し得るとは全く信じていない」という言葉に、つきるのかもしれない。存在とは謎であり、数量では表せず、言葉でもとらえ切れず、いつも不思議として立ち現れてくるのであろう。


考え始めれば、世界の不思議に気づくはず【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0169】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】完全に包囲された家/リディア・デイヴィス ○
「完全に包囲された」とは、一体何のことであろう。原文は分からないが、「包囲」だけでは、それがポジティブなのか、ネガティブなのかはっきりしない。しかし、「家に帰りたいと女は思った」というくらいなので、きっとネガティブな包囲なのだろう。そして、帰りたい家がもう存在しないことが、一番ネガティブなのかもしれない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】のぶ子/鈴木章 ○
「のぶ子」が48回登場し、「書けば書くほど、悲しくなる」で終わる詩。読み手にとって「のぶ子」と名前を見ても、当然、具体的な人物像は浮かび上がってこない。ただの記号、固有名詞である。だが作者にとっては、大変に特別な人物であり、悲しみの要因になるくらいなのだろう。自分も似た経験があるから、身にしみる。

【論考】考えなければ始まらない/池田晶子 ○
そう、考えなければ始まらないのである。そして、考え始めれば、当たり前に思っていたことが、いかに驚くべき不思議だったかに気づくはずだと筆者はいう。「考える」とは、多くの人がよくする「思い悩む」とも違っているとも指摘する。しかし、振り返ってみると、学校で勉強は教えてくれるが、考えることはきっと教えないのであった。


恋を見たことある?【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0168】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】母親たち/リディア・デイヴィス △
とても短いからというだけでなく、小説(ストーリー)というよりも、エッセーのような内容、どんな人でも母親がおり、そして母親あるあるが述べられ、つねに周囲から見られて、語られると終わる。エッセーみたいと書いたが、エッセーなら成立しているかもしれないが、小説としては要素が不十分に感じる。

【詩・俳句・短歌・歌詞】小さな恋の物語/寺山修司 ○
「恋を見たことある?」という質問から始まる。改めて聞かれると、詩に書かれた通り、恋を見たことはないのである。形も、色も、匂いもないのだ。恋はどこかに存なしているのだろうが、目に見えたり、物理に知覚することはできない。この詩ではおばけにたとえているが、それくらい目に見えないものは力強いのだろう。

【論考】人生は量ではなく質/池田晶子 ○
「死は言葉としてしか存在しません」。筆者が言う通り、死体から「死」を取り出せないのだ。「生命は有限であるからこそ、価値がある」とも語る。死を忌避して、遠ざけるのではなく、死とは何かを、自分の頭で考える必要があるのだろう。永遠の命などないのだから。


「快適に生きる」と「よく生きる」の違い【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0167】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】W・H・オーデン、知人宅で一夜を過ごす/リディア・デイヴィス ○
とても短い短編小説。彼(=W・H・オーデン)は、寝むる際、恐らく一般的な上掛けだけでは物足りず、他人宅のカーテンやじゅうたんを必要としてしまう。その強迫観念的な行動の理由は、ほとんど説明されない。寒いというが、 じゅうたんをひっぺがし、掛けるのは尋常ではなく、奇妙な行動の真意は不明なままストーリーは終わってしまうのだった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】たし算/寺山修司 ○
詩の中で示されるのは、数学のたし算と、生き物や事柄、物のたし算。確かに数学では、たった一つの数字の解答しか導きだせない。リスと木の実や、ぼくときみのたし算だったら、その答えは、数字では表現できないだろうし、結果としてはかけ算のようになるだろう。

【論考】考えることは驚きから/池田晶子 ○
いくつも気になる文言があったが、生命が手の及ばない不思議だったから価値があり、自由になれば価値ではなくなるという件は、非常に現在的な問題を指摘していると思った。また、「快適に生きる」と「よく生きる」は違うというのは、いつもの池田節ではあるが、ハッとするのだ。