ハーバート・リード【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#164】


【6月12日】ハーバート・リード:1893.12.4~1968.6.12

私が示す例は、偉大な日本の画家葛飾北斎(1760-1849)の色彩版画(「富嶽三十六景、神奈川沖浪裏」)である。……鑑賞者が普通のイギリス人であると考えよう。慣れた観察者が注意深く衝立ついたての陰にかくれていたとすれば、この絵を見る人が眼をみはり、息をころし、おそらくは声を上げるのに気づくであろう。彼はそこに三十秒なり五分なり立ちつくしてから立去り、文句なしに受けた歓びについて、その後法外な最大級の形容詞をつらねた手紙を書くことだろう。

『芸術の意味』滝口修造訳、みすず書房、1958年

【アタクシ的メモ】
確かに「神奈川沖浪裏」(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/246760)はヨイ作品だとは思うものの、この引用は、ハーバード・リードがその評価をしているだけなので、あまり「英知のことば」に感じない。


ミシュレ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#163】


【6月11日】ミシュレ:1798.8.21~1874.2.9

特定の時代には、あれは魔女だというこの言葉が発せられただけで、増悪のため、その増悪の対象になった者は誰彼なしに殺されてしまったことに注意していただきたい。女たちの嫉妬、男たちの貧欲、これらがじつにうってつけの武器を手に入れるわけだ。どこそこの女が金持だって?……魔女だ。——女がきれいだって?……魔女だ。

『魔女』(上)、篠田浩一郎訳、岩波文庫、1983年

【アタクシ的メモ】
魔女という言葉を使って、気に食わない女性を殺してしまっていた時代があったようだ。今だと、SNS(ソーシャルネットワークサービス)を使って、執拗に特定個人を攻撃して、自死に至らせるようなことが近いのかもしれない。大衆の悪意。


源信【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#162】


【6月10日】源信:942~1017.6.10

獄卒、罪人を執とらへて熱鉄の地に臥ふせ、熱鉄の縄を以て縦横に身に絣き、熱鉄の斧を以て縄に随ひて切り割く。或は鋸をもって解け、或は刀を以て屠り、百千段と作して処々に散らし在おく。また、熱鉄の縄を懸けて、交へ横たへること無数、罪人を駈りてその中に入らしむるに、悪風暴に吹いて、その身に交へ絡まり、肉を焼き、骨を焦して、楚毒極りなし。(「黒縄地獄」)

『往生要集』(上)、石田瑞麿訳注、岩波文庫、1992年

【アタクシ的メモ】
これも古文で、内容が正確に読み取れていないが、どうやら殺生、盗みをすると落ちる黒縄地獄の様子を書いているようだ。


滝沢馬琴【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#161】


【6月9日】滝沢馬琴:1767.6.9~1848.11.6

居宅器財の如きは、よしや一朝に皆失ふも惜むに足らず、只惜むべきは興継おきつぐの死のみ、然るに不幸短命にて、父に先だちて没したり、幸いにも嫡孫ちゃくそんあれども、いまだ十歳にだも至らず、日は暮れんとして道遠かり、吾それ是を如何かすべき。(『後の為の記』)

麻生磯次『滝沢馬琴』人物叢書、吉川弘文館、1959年より

【アタクシ的メモ】
古文ということもあり、書かれている内容も、それほどはっきりしない。どの家かはわからないが、後継ぎがいないことを嘆いているのだろうか。


知里幸恵【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#160】


【6月8日】知里幸恵:1903.6.8~1922.9.18

その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鷗の歌を友に木の葉の様な小舟を浮ベてひねもす魚を漁りすなど、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀る小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。

『アイヌ神謡集』序、岩波文庫、1978年

【アタクシ的メモ】
知里幸恵について、テレビ番組で知った。なので、上記で書かれているのは、単なる昔はよかったということではではなく、民族の文化、同一性についての記述だと理解している。


E.M. フォースター【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#159】


【6月7日】E.M. フォースター:1879.1.1~1970.6.7

個人的人間関係は、今日では軽蔑されている。ブルジョワ的な贅沢であり、すでに過去になった幸福な時代の遺物だと見られて、そんなものは捨ててしまえ、それよりも何か政治的な運動とか主義に身を捧げろとせっつかれる。私は、この主義というのが嫌いで、国家を裏切るか友を裏切るかと迫られたときには、国家を裏切る勇気をもちたいと思う。(「私の信条」)

『フォースター評論集』小野寺健編訳、岩波文庫、1996年

【アタクシ的メモ】
個人主義のススメといったところだろうか。もちろん全体主義は取らないが、そもそも二元論で、片方だけに傾倒するのは、やや違和感がある。アリストテレスがいうような中庸が、面白みはないが、現実では一番有効ないように思う。


バーリン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#158】


【6月6日】バーリン:1909.6.6~1997.11.5

自由は自由であって平等ではなく、公正ではなく、正義ではなく、人類の幸福ではなく、また良心の平静ではない。もしもわたくし自身の自由、あるいは自分の階級、自分の国民の自由が、他の多数の人間の悲惨な状態にもとづくものであるとするならば、この自由を増進する組織は不正であり、不道徳である。(「2つの自由概念」)

『自由論』生松敬三訳、みすず書房、1971年

【アタクシ的メモ】
自由とは、暴走しがちではないだろうか。そして、自由は自由であるために、原則抑えることはできない。上の言葉は、そうした自由の自由性に何とか歯止めをかけ、重しになるような考え方に思えた。


アダム・スミス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#157】


【6月5日】アダム・スミス:1723.6.5~1790.7.17

たしかに彼は、一般に公共の利益を推進しようと意図してもいないし、どれほど推進しているのかを知っているわけでもない。……ただ彼自身の儲けだけを意図しているのである。そして彼はこのばあいにも、他の多くのばあいと同様に、見えない手に導かれて、彼の意図のなかにまったくなかった目的を推進するようになるのである。またそれが彼の意図のなかにまったくなかったということは、かならずしもつねに社会にとってそれだけ悪いわけではない。自分自身の利益を追求することによって、彼はしばしば、実際に社会の利益を推進しようとするばあいよりも効果的に、それを推進する。

『国富論』(二)、水田洋監訳、杉山忠平訳、岩波文庫、2000年

【アタクシ的メモ】
市場経済において、各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成されるという「神の見えざる手」を、論じた部分のようだ。今も、神の見えざる手は有効なのだろうか?


ルクレティウス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#156】


【6月4日】ルクレティウス:前97頃~前55頃

おお 憐む可き人の心よ、おお 盲目なる精神よ! 此の如何にも短い一生が、なんたる人生の暗黒の中に、何と大きな危険の中に、過ごされて行くことだろう! 自然が自分に向って怒鳴っているのが判らないのか、外でもない、肉体から苦痛を取り去れ、精神をして悩みや恐怖を脱して、歓喜の情にひたらしめよ、と?

『物の本質について』樋口勝彦訳、岩波文庫、1961年

【アタクシ的メモ】
人間は、肉体と精神から構成されているという前提に立つように読める。そして、精神が歓喜(幸福)を感じるように生きろと、言っているのだと思った。


老子【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#155】


【6月3日】老子:生没年未詳

大道廃れて、安に仁義あり、智慧出でて、安に大偽あり。六親和せずして、安孝慈あり。国家昏乱して、安に忠臣有り。

大いなる道が廃れだしてから、それから仁義が説かれるようになった。知恵が働きだしてから、それから大きな虚偽が行なわれるようになった。家族が不和になりだしてから、それから孝子や慈父が出てくるようになった。国家が混乱しだしてから、それから忠臣が現われるようになった。

『老子』蜂屋邦夫訳注、岩波文庫、2008年

【アタクシ的メモ】
二元論的な考えだろうか。善良さが増えると、その反作用で悪が現れだし、逆に悪がはびこれば、善良さが揺り戻そうとするといった感じで。ただ現代は、多様性の時代でもあるので、あれか、これかにはならないようにも思う。