2020年のメッセージは「FESTIVAL CRISIS」なのか?【フジロックGO #0031】


フジロッカーが集まるFacebookグループにとある投稿があって、フジロックのWebサイトが更新されたことを知った。やっとキター。

◎FUJI ROCK FESTIVAL ’20
https://www.fujirockfestival.com/

例年だと、年明けには早期割引チケットを申し込む感じだったが、今年は「フジロック、変わります。」だけのティザー的なサイトだったので、ちょっとヤキモキしていた。スケジュールがわからないと、仕事の忙しさにかまけて、諸々の申し込みに乗り遅れてしまうのだ、アタクシは。

やっとサイトが更新されたとはいえ、まだ細かく読めていない。まずはチケット申し込み関連だけは、ちゃんとチェックしないと。というわけで、以下は早期割引チケットのスケジュールをコピペしとくのだった。

SMASH friends 会員優先予約(先着受付):2月7日(金)10:00~2月10日(月)18:00
インターネット受付(抽選制):2月10日(月)18:00~2月25日(火)23:00
店頭受付(先着順):2月29日(土)

早速、Googleカレンダーにも登録。SMASH friends 会員優先予約でがんばる。


天神山の記憶(12)【フジロックGO #0030】


「天神山の記憶(11)【フジロックGO #0039】」はこちら

1997年、初めてのフジロックに、アタクシは身をもって参加したわけだが、帰ってきたばかりの時は、天神山で何が起きていたのかよくわかっていなかった。ライブはほとんど楽しめなかったが、運よくテントに潜り込み、雨風からは逃れたので、一晩過ごすにはそれほど困らなかった。びしょ濡れのジーンズを履くはめになったものの、それはもう天気が回復してからで、気持ち悪さを我慢すれば、何とかやり過ごせたのだ。

フジロックから戻ってきて、しばらくしても、まだ何があったのか知らずにいた。インターネットはあったが、それほど天神山の情報に触れる機会がなかったと記憶している。しかし、その後、音楽雑誌などを読んで、やっとあの時、自分が見えないところで何が起きていたのか一端を知ることになった。

一日目の夜、着の身着のままできた方など、台風の中、寝る場所がない人があふれていたこと。会場周辺や途中にある民家の方々に、迷惑をかける人が少なからずいたこと。そうした事態に、主催者であるスマッシュも窮地に立たされていること、などだ。

そうした記事を読んで、こんなことが起きていたのかと心を痛めると同時に、ああこれだと、多分来年はもう行われないなと思った。手痛い失敗をしたフェスとして、たった一度のイベントになるのだろうと、一人の参加者として覚悟したのだ。


天神山の記憶(11)【フジロックGO #0029】


「天神山の記憶(10)【フジロックGO #0028】」はこちら

2日目の朝を迎えて、どんな形だったかは忘れたが、公演中止であることを知った。当時はスマートフォンもなかったので、場内放送が流れていたのかもしれない。ただ、2日目中止の知らせを聞いて、正直ホッとした。天候も回復していたし、もちろんライブは見たかったのだが、何というか初日の体験が凄すぎて、心のキャパシティーがオーバーしていたのだろうか。

おずおずとテントをたたみ、荷物をまとめ、帰り支度をしてから、メインステージ前に行ってみた。地面は泥だらけ、ぐちゃぐちゃの状態。何だか色々なものが落ちていた。人もまばらで、行くところ、どこもかしこも散らかっていて、打ち捨てられた廃墟に迷い込んだような気持になった。ゲートや駐車場の辺りも、昨日見たとは別のもの、場所のように感じた。

そこから、前日は待てど暮らせど乗れなかったシャトルバスに乗って、河口湖駅まで向い、電車に乗り換えて帰宅の途についた。当然ジーンズは濡れている状態だったので、仮に席が空いていても座らず、ずっと最後まで立ちっぱなしを通すしかなかった。


天神山の記憶(10)【フジロックGO #0028】


「天神山の記憶(9)【フジロックGO #0027】」はこちら

テントで一晩明かし目が覚めると、早速、寝床から抜け出した。するとそこには、昨日の夜からは考えられないような、穏やかな好天が広がっていた。台風一過といえばそれまでだが、かなりの落差に愕然とした。昨晩、苦労して登ったスキー場の斜面も、今は水に洗い流されて、青い芝が輝いている。空気も澄んでいて、本当に心地よい雰囲気だった。

天候に反して一つ懸念を挙げると、洗濯代わりになるからと出しっぱなしにしていたジーパンだろうか。雨の中、出したままになっていたのだから、手に取ってみても、もちろんビチョビチョで、これ以上水を吸わない状態だった。しかし、ズボンはこれしかなかったので、履くのを諦めたらパンツ一丁になるしかない。そんなこともあり、できるだけ手で絞って、ギャーと叫びながらジーンズを履いた。

こんなジーパンを履いた経験のある人ならわかるだろうが、とっても気持ちが悪い。至極、気持ちが悪い。どんなに天候が晴れて爽やかだったとしても、アタクシの下半身はずっとプールにでも入っているような感じがした。このジメジメ地獄の終わりは、遠い未来のように思えた。


天神山の記憶(9)【フジロックGO #0027】


「天神山の記憶(8)【フジロックGO #0026】」はこちら

レッド・ホット・チリ・ペッパーズの演奏が終わると、静かになった。もちろん、多くの聴衆が移動したりしていたのだと思うが、アタクシたちのテントは斜面のかなり上の方で、ステージからは距離があったからだ。ライブがなければ、もう何もすることはない。雨の中、出歩くわけにもいかず、アタクシたちは寝袋にくるまって寝るしかなかった。

しばらくして、ウトウトし始めたころだっただろうか、自分たちのテントを照らす明かりが近づいてきた。「誰だろう、こんな雨降りの中やってくるのは?」と思いつつ、明らかに自分たちのテントに用がある感じだったので、ジッパーを開けると、フジロックのスタッフのようで、「ここはテント張るところじゃないので、移動してください」と言われた。あまりに予想外な言葉に、「あ、はい」とだけ答えて、テントの中に戻った。そして、すぐにその光は遠ざかっていった。

「この雨の中、わざわざテントを移動させる?」「移動って、どこに?」――。疑問符ばかりが頭に浮かんだが、友人と少し話し合って、スタッフの発言はやり過ごすことにした。もし言われた通り、ここから移動したら、さらに持ち物がずぶ濡れになってしまうし、実際移動する体力も残っていなかった。

結局、スタッフの人たちも形式的な巡回だったのか、移動してくださいと言われたのは一度だけ。その後は誰も来ないまま夜は過ぎていった。後々、会場のある天神山は台風が直撃したと聞いたが、夜を通してそれほど強い風が吹いていたという記憶はない。たまたま場所に恵まれただけなのかもしれないが。


天神山の記憶(8)【フジロックGO #0026】


「天神山の記憶(7)【フジロックGO #0009】」はこちら

初日のトリは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズだった。ザ・イエロー・モンキーで体力温存しておいて、それが終わったら、アタクシたちも戦線復帰で、テントを出てレッチリを見に行くつもりでいた。だが、実際にライブが始まっても体がいうことを聞かず、そのままテントにこもってしまっていた。

何度か外に出て、斜面の上からステージを眺めたりしたが、雨も強く降っているのに、カッパなしでステージ前に行く勇気もなく、仮にも雨風がしのげるテントの中に戻るしかなかった。せっかく会場まで来て、すぐそこでレッチリが演奏しているのに、テントにこもってライブの音だけ聞くのは、残念だったし、何だか筋違いな気持ちもあったが、だからと言って外に出るのは直感的にもう無理だろうと感じていた。

ややモンモンとした気分のままテントの中で過ごすうち、ライブは終わってしまった。壮絶なステージだったことは、その後ロッキンオンなどの記事で知ることになるが、テントの中で音だけ聞いていたアタクシにとっては、あまりちゃんとした記憶に残っていないのが、正直なところである。


フジロックとスマホ【フジロックGO #0025】


今現在、日々の暮らしにスマートフォンは欠かせない。その生活の延長線上か、フジロックでもスマホがとても重要なアイテムになっている。

アタクシ的な変化で言えば、ここ数年、一眼レフカメラなど専用のカメラを持ち込むのをやめてしまった。その場でフジロックのアレコレを投稿するようになったせいもあるが、スマートフォンの撮影で画質を含めて保存用にするのに満足してしまったことが大きい。

それに加えて、通信環境が担保されたことも少なくない。苗場に通い始めたころは、圏外はもちろんアンテナが立っていても、通信しづらくなることも多く、会社を休むときにも「連絡取れないかもしれません」などと言っていた。しかし、今はきっと通信料は莫大に増えているだろうが、割と普通に使えている。SNSへの投稿で不具合が出るのもまれになったのではないか。

もう一つは、アタクシが使っているiPhoneで防水仕様になったこと。フジロックと雨は、ある意味で切り離せないものではるが、スマホが雨にも対応してくれるのはとっても大きな変化というか、メリットになる。少し前までは、ジップロックに入ったスマホを見かけることも多く、たくさんのフジロッカーがスマホの防水に気を配っていたのである。


「2020年フジロックのヘッドライナー予想」を勝手に伝聞する【フジロックGO #0024】


「FESTIVAL LIFE」というメディアがあるようで、たまたまWebサイトであちこちリンクをたどっていたら「【FUJI ROCK FESTIVAL ’20】コラムニスト&編集部が、2020年フジロックのヘッドライナーを勝手に予想!」という記事を見かけた。内容はタイトルに書かれた通り、今年のフジロックのヘッドライナー予測。ただ、予想というよりも、各著者の願望を並べたものと言えなくもない。

アタクシはここ3~4年、子連れフジロッカーとなってからは、子どもたちの寝る時間を優先したりして、ほとんどヘッドライナーを見ていない。なので、ヘッドライナーなんかどーでもヨイとも言えるのだが、ついちょっと気になって記事を読んでみた。

実際に候補となったアーティストは、Taylor Swift、Adele、Rage Against the Machine、などなど。このようにビッグネームが並んでいる中、冒頭に挙げられていたのは、何とPearl Jamだった。Pearl Jam好きのアタクシでも、正直かなり想定外な予想。初球から高めのインコースに配球されたようで驚いてしまった。

記事によれば、最後の来日は2003年(多分、この時横浜講演に行ったのではないかな)とのこと。もう15年以上日本に来ていないことも含めて、今年フジロックで見られたらとってもうれしい。たまたま見つけた予想だが、見事当たってほしいものだ。


天下無双的宿泊施設苗場プリンスの弱点【フジロックGO #0023】


前回、アタクシのフジロックの宿泊は宿派だと書いたが、実は、いわゆる定宿があるわけではない(ここ2年は、同じ宿にお世話になっているが)。宿を予約するときは、原則フジロックの公式サイトからオフィシャルツアーで申し込むのである。

というのも、一番の理由は、会場から最も近く、快適だと思われる苗場プリンスに泊まるには、この方法しかないから(ないですよね?)。特に、子どもたちと3日間参戦することを考えると、歩いて行き来でき、クーラー完備、部屋もちゃんとキレイ、朝食も用意されるのは、とっても魅力的。値段はかなり高いが、何とか当たってくれーと抽選に申し込むのだ。

結果、割とそれなりの確率で当選していて、3~4回泊まっている。最初から車中泊にした年や申し込み忘れもあるので、実際の当選確率も3割くらいあるのではないか。

さて、そんな天下無双的な宿泊施設苗場プリンスであるが、この数年間で結構大きな弱点を見つけてしまったと思っている。そう、それは、雨が降ったときのカッパやシューズの置き場所。直近の3年間、偶然にも乾燥室のある宿ばかりだったことから、今は重要な注目ポイントだ。

アタクシが苗場プリンスに泊まった年は、運よく強い雨が降らなかったので、特に気にならかったのだが、土砂降りの雨の後に宿に戻って、乾燥室があるとないとのとでは雲泥の差、天国と地獄なのである。「濡れモノを置く場所があるのか」「濡れモノはちゃんと翌日までに乾いてくれるのか」。こうした点は、それ以降のフジロック体験の楽しさまで大きく左右する。

残念ながら苗場プリンスだと置き場所がとても限られているし、濡れたモノをまとめて置いておくと、なかなか朝までには乾かないのである。そんなこともあり、今年は最初から苗場プリンスを諦めて、乾燥室があるあのお宿に、宿泊をお願いしようかななどと考えている。

 


キャンプか宿か、それが問題だ【フジロックGO #0022】


「フジロックに毎年行ってまして」と、アタクシが話すと、大体の方から「やっぱりキャンプですか」と聞かれる。かなり多くの方の頭の中に、「フジロッカー=キャンパー」という等式が成り立っているようだ。

ただ、アタクシ自身でいうと、キャンプ泊は2~3回やってから、今は完全に宿派になっている。キャンプにはキャンプで、「宿泊費用が抑えられる」「会場から歩いて戻れる」「何かと自由度が高い」など、メリットもあるのだが、デメリットも少なくない。

まず気になったのが、場所は早いもん勝ちであること、少し出遅れると、かなりの奥地や斜面、凸凹な所など、地味に宿泊地としての条件が悪くなる。木曜日の前夜祭、しかも昼くらいまでに苗場に着かないと、ヨイ場所は確保できないように思う。

そして、個人的に決定的だったのが、テントを張る場所だけでなく、お隣さんを選べないこと。それは宿でも同様ではあるが、アタクシは一度、夜中にずっと太鼓を叩かれてしまった経験があるのだ。1日中ライブを楽しんで、テントに戻って来て、「よし、明日のために寝るかー」と寝袋に入ったら、しばらくして盛り上がった人がボンゴ、ボンゴやり始めた。これで眠れなくなって、「ああ、来年からは、必ず宿にしよう」と小さく決心したのである。

もちろん「音が気になって眠れないので、太鼓やめてください」と言えないわけではないのだが、何だかそれはフジロックぽくないと感じたし、自分勝手とはいえ他人の盛り上がりに水を差したくないという思いもあった。

そんなこともあって、今は多少遠くても宿を確保している。眠れなくなるほど、周囲の人がうるさくて困ることはないので、この判断はよかったのではないだろうか。