のじゅく【野宿】


オートバイでニ週間くらいの長い旅に出ると、寝泊りの大半は、決まって野宿になりました。特に学生の頃は、自分の自由になるお金は少なかったので、数泊のツーリングだったとしても、テントを張って宿泊費を浮かすことがほとんどでした。

宿泊代は無料だったり、キャンプ場みたいなところでも、無料に近いお金しか必要なかったりするので、懐のさびしい私には大変助かりました。この浮いたお金で、楽しい旅の日数を少しでも長くできるわけです。

特にバイクでの野宿だと、タンクの上や後部座席にラクダみたいに荷物を載せたとしても、着替えなどの必須なもの以外、大したものを持っていくことはできません。そうなると必然的に、テントでの寝泊りもシンプルなものになってしまいます。

当たり前ですが、テレビもなければ、冷蔵庫もなく、明るい蛍光灯もありません。あるのは、寝袋と自分の身一つなわけで、周りが暗くなってくれば、目を閉じて静かに眠るだけでした。そして、自然が目覚まし時計となり、日の出とともにまた走り出すのです。

正直に言ってしまえば、大変不便ですし、お世辞にも快適ではありません。宿泊する場所のそばにお風呂がなければ入浴もできませんし、コンビニエンスストアなども無くて、食べ物に困ることもありました。

でも、悪いことばかりではないのです。その1つに、今までの普通の生活がいかにありがたいものかを知ることができました。雨風をしのげ、布団の上で眠れることが、どれだけ恵まれているかを。日々暮らしていると、すべてが当たり前のように思え、むしろ不満を持っていたことが恥ずかしくなってくるほどです。

そしてもう1つは、野宿をしたからこそ、多くの人と接することができたのです。テントを張っていたりすると、見知らぬ人から「よくやるねえ」などと声をかけられ、短い時間ですが話が出来たりもするのです。

一度は、鹿児島県の串木野で野宿ポイントを探していた際、たまたま「この辺りに公園などないですか?」と聞いた地元の方に「公園は虫も多いから、家に来なよ」と言ってもらい、突然一泊させて頂いたこともありました。お風呂にも入れさせてもらい、ビールや九州ならではの焼酎も頂戴しました。朝食のときには、黒砂糖を勧められました。これもまた、九州の日常生活なのだろうなあと感激したものです。

その方とはひょんなことからの出会いでしたが、その後お礼をしたり何度かやり取りをし、十年くらい経つ今でも年賀状の交換をしています。それは、私にとって昔の旅のちょっとした勲章みたいになっています。

野を宿とするのは、先に述べたように不便や辛いことも数多くあります。でも、普段の生活では決して見つけることができなかったことを気づかせ、人との偶然な出会いを呼ぶ意外な効用ももたらしてくれたのでした。

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ねまわし【根回し】


「根回し」という言葉を聞いて、あまりよい印象を受けない方が多いかもしれません。何だか悪さを行おうとしているように感じる方もいるでしょう。どうもこのことばには、ちょっと汚いイメージがまとわりついているようです。

かくいう私も社会人になる前は、「根回しとは、悪い大人のする薄汚れた行為だ」と考えておりました。表で出来ない話を陰でこっそりし、時には金銭の授受などもともない、仕事をまっとうに行わないためのものだ、と子供心に妄想をたくましくしていたのです。自分は、「社会に出てもきっと根回しをするもんか」とも思っていました。

ところが、実際に社会へ出て働き始めてみると、いわゆる根回しがむしろ必要であることを知りました。幾分極端な表現かもしれませんが、社会で、よりよく、スムーズに仕事をしようとすれば、根回しは切っても切れないものだと思うのです。

もちろん、私が幼い頃に抱いていた誤解のような、ダークな根回しや、法に触れる根回しも世間を見渡せば、少なからず存在するのだとは思いますが、ほとんど多くの根回しは、より実務的で、もっと肯定的なものだと思います。

と言うのも、仕事では「報・連・相」が大変に大事だと言われます。仕事を日々行う上では、上司や同僚、関係者への報告、連絡、相談が必要だということです。そういった面から言うと、根回しとは事前の連絡や相談だと言えるではないでしょうか。

どんなえらい人だとしても、会社などで業務をしようとすると、周りの人や関係会社の人たちと協力しながら仕事をしなければなりません。その時、周囲の関係者に全く何の連絡や相談もなければ、うまく仕事は運びませんし、気持ちの面でも一緒にがんばろうという意欲が薄れてしまうでしょう。

逆に根回しをしっかりすれば、単なる事前連絡にとどまらず、関係各所から業務に対する知恵やノウハウを聞くことができるかもしれませんし、留意する事柄や注意する点をきちんと発見しやすくなるかもしれません。三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもので、他人の意見をあわせることで、より十全で質の高い業務遂行が可能になるのではないでしょうか。

全部の業務をたった一人で、かつ完璧に行えるようなスーパーマンであれば、根回しなどしなくてもよいのかもしれません。でも、そんな超人はこの世に存在しないと思いますから、やはり根回しをすることは必須のことだと思うのです。

あらためて辞書をひいてみますと、「実りをよくしたり移植に備えたりするために木のまわりを掘って、一部の根を切りとること」が、根回しの一義的な意味のようです。根回しとは、元々実りをよくするためにしたことだったのですね。どうやら、その本来の意味は、仕事を行う際にもぴったりと当てはまっているのではないでしょうか。


ぬすむ【盗む】


私は大学生になると、早速アルバイトを始めました。自分のオートバイを買おうと思ったからです。時には、バイトを三つくらい掛け持ちし、寝る間を惜しんで働いたりもしました。学生の本分とかけ離れてしまっていたかもしれませんが、一年が経ったころには60万円を貯めることが出来ました。

正に汗と努力の結晶である大金を握り締め、私はバイク屋さんに向かい、カワサキのゼファーを購入しました。ネイキッドといわれる何の飾りもないオートバイで、バイクらしいバイクです。初代の仮面ライダーが乗っていたバイクのよう、というと少しはイメージがわくかもしれません。

このオートバイを手に入れ、私は子供のようにウキウキし、毎日のように乗り回しました。思い立ったら、時間を問わず飛び乗って、近隣の県まですぐに走り出したりします。あっという間に、新しい世界、珍しい風景に連れて行ってくれるたのです。

長期の休みには、友人と計画して北海道を一周したり、能登半島を訪れたり、九州まで行って、阿蘇ややまなみハイウェイを楽しんだりもしました。私の学生時代は、またその頃の思い出は、このゼファーとともにあったと言ってよいでしょう。

しかし、バイクと一緒に暮らしていると、いいことばかりではありません。信号を見落とした車に出会い頭にぶつけられたり、自分でこけてしまうこともありました。それによって、怪我をし痛い目にあったりしたのです。

そして何より一番辛かったことは、バイクを盗まれてしまうことでした。車体すべてを盗まれなかったとしても、鍵のシリンダーを壊されたり、シートなど一部のパーツを盗まれてしまうことがあるのです。私が所有していたゼファーは、特に盗難の対象になりやすい車種だったので、幾度となく盗難や盗難未遂にあいました。

正確な回数は記憶していませんが、数年間で10回弱はあったと思います。ひどい時には、岐阜の大学に通う友人を訪れ一泊だけして翌朝帰ろうと思ったら、鍵穴をばっくりと破損させられていました。修理に出して、直るまでの一週間足止めをくったこともあります。

こうした盗難や未遂が何度もあり、突発的で、安くない修理代がかさみました。学生でそれほど金銭的余裕のなかった私は、最終的にオートバイを手放さざるえなくなりました。自らの本意ではなかったのですが、廃車の手続きをとるしかなかったのです。

「盗みや万引きは犯罪です」という言葉を聞くことがあります。もちろん、盗難は明らかな犯罪ですからやめてほしいと思いますし、法治国家ですから秩序やルールは守ってもらわないと困ります。

ただ、私のような実際に“盗まれた人間”からすると、金銭的な負担だけでなく、私の気持ちや思い出を壊され、奪われたようで、それが何より悲しいのです。また、これからの未来ももみ消されたように感じました。盗んだ人は、利己的な軽い気持ちなのかもしれません。でも盗まれた方は、その行為によって大いに振り回されてしまうのです。

常習的に盗む人は、そんな被害者の過去や未来を考えたり、人の思いを想像できないからこそ、盗難という行為が出来てしまうのかもしれません。ある人の想像力の乏しさが、悲しみや不幸を生み出し、周りの人たちに押し付けられてしまうのです。逆から言えば、私は盗まれるという悲しい経験を通して、人が想像することの大切さを身にしみて実感することになったわけです。


にじゅう【二重】


『二重スパイ』という映画を見ました。以前、テレビで放映していた『八月のクリスマス』を偶然見て、韓国映画と俳優のハン・ソッキュさんを好きになりました。そんなことがあり、封切られた『二重スパイ』を映画館に見に行くことにしたのです。

北朝鮮の諜報員であったハン・ソッキュ扮するイム・ビョンホは、韓国に亡命します。当初は、偽装亡命を疑われ激しい拷問などにあいますが、その後少しずつ信頼を獲得し、韓国国家安全企画部で働き始めるようになるのです。そして彼は、韓国の国家機密をすべてではありませんが、知ることができるまでになります。

この立場を利用し、彼は二重スパイとして北朝鮮のため、密かに諜報活動を行なうのです。しかし、ある事件をきっかけに、もう北朝鮮にも戻ることもできず、韓国にもいられなくなってしまいます…。

ひと言で言ってしまえば、とても哀しい映画だと思いました。時代や国に翻弄された人間が、そこには描かれていたからです。彼らは祖国を愛していたのでしょうが、その愛は彼らを幸福にしてくれません。映画館を出ると、外は真夏のように晴れ渡っていましたが、私はやり切れない気持ちを持ったままでした。

ただ、私がそれ以上に感じたのは、二重スパイの生活が周りの人をいつも欺いていることへの哀しみでした。彼らは本心を語りません。当たり前ですが、彼らは本当の目的を決して明かさないのです。彼らは、「祖国北朝鮮のため」という強い思いを開陳したり、他人と交わらせることは全くなく、包み隠して日々を暮らしているのです。

そうやって考えてみると、もしかすると私の隣にいる友人や同僚たちは、実際に感じていることを言っていないのかもしれません。本当の気持ちは話していないのかもしれないのです。いささかネガティブ過ぎる観点かもしれませんが、やはりその可能性はありえます。

この可能性をさらに極大化させてしまうと、親や兄弟といった家族だったとしても、本心や本音をきちんと理解することはできないのかもしれません。他者に対し、厳しく閉ざされた心を、外から完全に知ることはできないのでしょう。

映画の中にいた二重スパイたちのように、命を懸けた嘘や欺きもあるのでしょうが、人は平和な日常の生活であっても、小さな偽りを行なってしまうものです。それはやはり、哀しい人間の現実だと思うのです。

言わないこと、表現しないことは、他者に認識し、理解されることはありません。隠された意志は、隠れたままです。でも、だからこそ私は本当に考えていることを、できるだけきちんと伝えてゆきたいと思うのです。哀しい世界は、映画の話だけにしたいと思いませんか。


なづける【名付ける】


もし塩が「しお」でなく、「携帯電話」という名前であったとしたら、何だかやっかいになりそうな気がします。「あ、そこの塩とって」とお願いしても、塩を取ってくれる人はいないわけです。「携帯電話を取って」と言って初めて、塩を手にすることができ、目玉焼きに塩をかけることが出来るのです。

当たり前ですが、塩は私が生まれたときからずっと「しお」と呼ばれていたわけで、あのしょっぱい白い粉は、昔に「しお」と名付けられ、その名前のままで存在していました。「塩はどうして『しお』という名前なのだろう?」「なぜ他の名前ではないのだろう?」と考えることもないほど、身近で当然の名前です。

しかし、よくよく考えてみたら「しお」と名付けられず、別の名前だったとしても問題はないはずです。先述の「携帯電話」でも、「本」でも、あるいは「砂糖」でも、呼び名としては特に不都合はないように思います。

私は寡聞にして実際のところを知らないのですが、塩をどこかの会議で「しお」と名付けたわけではなさそうですし、誰かえらい人が決めたわけでもなさそうです。それなのに、塩は誰にとっても「しお」でしかないのです。あらためて考えると、これはとてもすごいことのように思えます。ことばや名前が大いなる普遍性を実現しているからです。

「しお」ということばが、すべての塩を指し示し、またほとんどすべての人にその意味が伝わります。もちろん、人によって文化によって、その理解する意味や思い浮かべるイメージに若干の相違があるとは思いますが、「塩をとって」と言えば、誰もが「しお」ということばを理解し、とってくれるのです。

また逆の面から言うと、「しお」という名前があるからこそ、人は「塩」というものを理解できるとも言えるでしょう。例えば、昔から魚をよく食べていた日本人が使う日本語には、「トロ」「中落ち」「赤身」などマグロの部位ごとに名前がありますが、英語にはその違いはなく、どこを食べても「ツナ」で、細かい違いは区別されていません。反対に、牛肉のそれぞれ部位の名前は、英語にしかありません。日本はそのことばを、概念ごと輸入しただけです。

ここでは、ものの存在が先か名前が先かという議論はいたしませんが、少なくともことばや名前があって初めて、ものや概念が指し示され、把握されるのは、どうやら紛れもない事実のようです。すなわち、名前があってこそ、我々はそれをひとつの存在として認識することができ、呼びかけたり、伝えたりできるのです。

塩が「しお」という名前である絶対的理由はなさそうです。名前は単に名前に過ぎないと言えるかもしれませんが、ものや事柄は名付けられることにより、その存在を我々の眼前に浮上させてくれているのです。名前がなければ、我々の生活もままならないかもしれません。いつまでも安心して目玉焼きが食べられるように、私としては名前の力が衰えぬことを祈るばかりです。


とりかえし【取り返し】


大学では文学部だった私ですが、いわゆる文学と言われるものを読んだ経験は、人と比べてきっと少ない方だと思います。読書よりも、CDやラジオで音楽を聴く方が楽しかったので、もっぱらロックと言われる音楽ばかり聴いて暮らしてきました。

そんなわけで、例えば「詩」でも、文芸作品を読んだこともあまり多くはありませんし、強く感動したり影響を受けたりと言ったことも、残念ですがほとんどありませんでした。むしろ、ロックで歌われる歌詞の内容の方に、激しく揺れ動かされたりしていたのです。

スコットランドのグラスゴーで結成されたTRAVISと言うバンドのセカンドアルバム『The Man Who』も、私にはそういった体験を起こさせた一枚です。このアルバムの中に、“Why Does it Always Rain On Me?”という曲があり、その歌詞の一節が私に強烈な印象を与えました。

Why does it always rain on me?
(どうして僕にいつも雨が降りつけてくるんだ?)
Is it because I lied when I was seventeen?
(17のときに嘘をついたからさ)

これらの歌詞が、ミドルテンポで穏やかに伸びやかに歌われています。

17歳のときに嘘をついたからと言って、それが原因で雨が降りつづけるわけはありませんから、文字通り「雨降り」なのではなく比喩(暗喩)でしょうが、ここには、過去のもう取り返しのつかない行動に、人生を縛られてしまった人間の姿があります。

若かった頃にとった、恐らく軽はずみな態度か何かが、その後の彼の営みにずっと影を落としてしまっているのです。拭い切れそうにない哀しさが見え隠れします。

自分なりに「17歳」と言うときを思い起こしてみました。何もわかっていないのに、すべてを知っているかのように思い込んでいた頃。可能性に欠けることは全くない、と考えていた頃。自分はいつも正しいことをしているという恐れを知らぬ確信を持って。

そんな若くて未熟な時の行動が、将来の自分にずっとのしかかるとは、どうして気づくことができるのでしょうか。しかしそれでも、雨は彼に降りつけられ、もう取り返しがつかないのです。

私がこのことばの連なりに魅了されてしまうのは、このようなもう後戻りすることのできない、生きることの不可逆性とそれを受け入れざるを得ない現実を、すっぱりと切り取って見せてくれているからなのです。どうあがいても、人は生き直すことはできません。


てがみ【手紙】


先日、部屋の整理をしていると、たくさんの便箋と封筒、そして切手が出てきました。ずっと目にしていなかったので、すっかり忘れてしまっていましたが、一時は毎日のように手紙を書いていた時期があり、そのために準備し溜め込んだものでした。

高校を卒業して浜松で浪人生活を送ったときも、東京で予備校の寮に入って受験勉強をしていた親友と、手紙をやり取りしながら、互いに合格するよう励ましあったりしました。遠くに住んでいる友達には、電話代もばかにならないため、 今思い起こせば結構頻繁に手紙を書いていました。

しかし今では、携帯電話やパソコンから気軽にメールを送受信できるようになり、メールの使用はどんどんと増えています。仕事にも欠かせませんので、やり取りしている情報量や文字の量は、以前と比べ格段に多いと思います。それに反比例して、手紙を書くことは随分とまれになっていました。

確かに、メールであれば会社や自宅のパソコンから、思いついたらぱっと書けますし、携帯を使えばどんな所からでも、電車を待っているときなど、余った時間に送信できます。手紙のように、書くための場所や紙を準備する必要がなく、手紙をポストまで運ぶ手間もありません。

私はメールが好きですし、実際公私共にとても役にたっています。でも、部屋に残っていた封筒などを見ていたら、同じ文字でのコミュニケーション手段である手紙とメールとで、何かが大きく違っているように思え、とても不思議な感じです。

自分なりに考えてみたのですが、それはきっとことばの重みではないかと思いました。メールは便利で手軽なだけライトで、文体も含めカジュアルです。逆に、手紙は書くのに「よっこいしょ」という感じがある反面、じっくりと丹念に書くため、書かれたことばにはずっしりと気持ちが入っているようです。もちろん時によって、その反対もあるかもしれませんが、概ね当てはまるような気がします。

本来であれば、自らの思いを言語化するだけですから、どんな伝達方法でも違いが出ないのが道理でしょう。それでもやはり、人間は環境や手順にも左右されているのだと思います。キーボードとペン、ディスプレイと紙。相手に意志を伝えるまでの道筋が違えば、幾分その意志の表現にも違いが出てしまうのでしょう。

前述の通り、今では手紙を出したりもらったりする機会が、すっかり減ってしまいました。ですが、できるだけ気持ちのこもった手紙を書きつづけていければなあと思います。また、それだけでなく、さっと書くメールでも、じっくりとことばを選んで、気持ちがわかってもらえるメールにしたいとも思うのです。


つまり【詰まり】


「つまりさぁ~、こういうことだよ…」などと、話が長くなったり、複雑になると、話をまとめたり、要約する発言が出てくることは多いのではないでしょうか。それは、話し合っている人たちの理解を助け、共有するために行われています。

仮に「A。つまり、B」という文章であれば、「つまり」ということばの後は、Aを別のことばで言い換えたものです。AとBとの関係で言えば、方向性や内容は同一になります。いわば「=」や「≒」の働きをしていると言えます。AとBを並べることで、よりわかりやすくなったり、シンプルな表現になり、深く理解できるのです。

ことば本来の意味や働きとしては、上の通りだと思うのですが、実際に使われる場面においては、そうとばかりは言えないかもしれません。学校の授業、仕事での説明、会議や議論の中で、「つまり」は必ずしも“つまって”ばかりはいないように感じます。

「つまりは…」と言われても、ちっとも話がつながっていなかったり、ひどい時には前後で話が逆になっていたりします。そんな時には、話全体の流れや文脈から類推して、その人の言いたいこと、主張を類推するしかありません。

本来は、詳しい説明やまとめるための「つまり」が、かえって話の筋を曲げてしまい、わかりづらい、難解なものにしてしまうのです。皆さんも、そういった経験をしたことが少なからずあるのではないでしょうか。

また、人によっては「逆に、…だ。」という表現をよく使う方もいます。これも本来は話の転換ですが、話の向きを変えるといよりも、相手の話をさえぎり、優位に立つためだけに使われている場合も少なくありません。

そのため、話の筋道があいまいで、「逆に、… だ。逆に、… だ。」と「逆に」を連発して、意見の方向性がくるくる回っているようで、本当に何を言わんとしているのか、理解に苦しむこともあります。

接続の表現は、概して短いものですが、話や文章全体のまとまりや方向付けを左右するような重要な力を持っています。そのことばによって、言いたいことが伝わったり、伝わらなかったりするものなのです。

日本語は論理的なことばではない、とよく言われますが、私はそんなことはないと考えています。自分の主張する論理展開に合った接続表現を使用してやれば、きちんと論理的な思考を表現できると思うからです。

つまり、論理的な話や文章には、正しい接続表現が欠かせません。


たちどまる【立ち止まる】


今は随分と便利になって、東京から大阪まで新幹線ののぞみに乗ると、 2 時間半で着いてしまいます。300km近い速度で走っていることになり、当たり前ですが、窓から見える景色はあっという間に流れてしまいます。「車窓からの眺めを楽しむ」という感じではありません。

特に東京と大阪を移動するときは、仕事での乗車が多く、景色を見るよりもシートを倒して眠り込んでしまうことがほとんど。東京へ戻ってくるときなどは、業務の目的を終えた達成感も手伝って、冷えたビールを飲んでぐっすりと寝てしまうこともしばしばです。

こうしていつしか、私にとって便利な移動手段は、短時間で移動する意味しかなくなっていました。人一人で実現できないものすごいスピードが、その間の私を、移動だけに集中させてしまうわけです。

ところで私は、散歩というか歩くことが好きで、時間があったり天気のよい休日などは、カメラを片手に手当たり次第歩いたりします。特定の行き先がなくても、何となくこちら側へなどと思い、気ままに歩くわけです。

歩くことももちろん移動の一手段ですが、新幹線などと違い、遅いながらもそのスピードを自分でコントロール可能です。好きな所で立ち止まったり、急に曲がったり、のろのろと歩いたりできます。私は、自分の気に入った建物や景色を見つけると、好きなだけ写真を撮れるのです。

たくさん歩くとやはり疲れてしまいますから、徒歩を嫌がる人は少なくないでしょう。でも、こうしたささやかな幸福感を自分なりに享受できるのは、気持ちにまかせて立ち止まれるからだと思うのです。

先日、京都に銀閣寺を見に行きました。駅からの市バスが便利とのことで、駅前のロータリーに行ったところ、あいにく大変混雑していました。私はバスを待つのを諦め、地元の方から反対されながらも、地下鉄で行けるところまで行き、そこから約4km先の目的地まで歩くことにしました。

市営地下鉄の今出川駅を下りると京都御所があったので、せっかくだからと見物し、その大きさに驚きました。歩いているうちに昼時になったので、鴨川の河川敷のベンチに座り、コンビニ弁当ではありましたが、降り注ぐ太陽の光の下で食事を取りました。

また途中で 、こだわりの品揃えをしている地元の洋服屋さんが目に付きました。そこで、かわいく珍しいプリントのTシャツを買い、ついでにオーナーの方とちょとした洋服談義もできました。

その後も京都大学を見かけたり、「大」の字の送り火のあと見つけたりもし、のんびりと京都の町並みを楽しめました。もちろん写真もたくさん撮りました。

このように私が京都をのんびり観光できたのは、新幹線など速くて便利な乗り物があったからこそではあるのですが、「立ち止まれる移動」は、私に新しい出会いや思いがけない体験を導いてくれます。ですから私はこれからも、ついつい立ち止まってしまうと思うのです。


そば【蕎麦】


最近まで、「そば」はそんなに好きではありませんでした。そば屋さんに入っても、うどんがあれば、私一人うどんを頼むことが、今までは多かったのです。そばとうどんどちらが好きかと聞かれれば、ほとんど迷わずうどんと答えていました。

そばのさらっとした感覚より、うどんのもちもち感の方が自分の好みでした。特に鍋焼きうどんや煮込みうどんのような具材の多い料理は、食べ応えがあり満足感も大きく、こういったことも好きな理由でした。

しかし今では、うどんと同じくらいそばが好きになりました。その理由は単純で、私の友人が小さいながらもそば屋を営んでおり、修行をしていた店や彼のお店で、おいしいそばを何度も食べさせてもらったからです。

彼と出会ったのは、私が浪人生活を送った浜松でした。私が大学に入学して仙台に移ってからは、距離も離れてしまいました。ですので、親しく時間を共有したのは一年間だけでした。それでも、何とはなしに気が合ったので、その後も連絡を取り合い、たまに会ったりしていました。

そんな関係を続ける中、彼は自分でそば屋をやりたいと目標を定め修行を始めました。その後、約10年間の修行をし、貯金を貯めて、とうとう自分の店をオープンさせました。西武新宿線の武蔵関という駅から歩いて、 5 分くらいのところにあります。店の名前は、「にはち」といいます。

彼の店は、15人入れるかどうかという、そんなに大きなものではありません。でも、新しいせいもあるとは思うのですが、こぎれいにしていて、ジャズが穏やかに流れています。周りの環境が静かなのもあって、店内に入り、奥さんが笑顔で迎えてくれるとホッとする感じです。

友人だからとお世辞を言うつもりはないのですが、何より素晴らしいのはそばをはじめ、天ぷらやちょっとした料理も、大変おいしいのです。その味は、新潮文庫の『もっとソバ屋で憩う―きっと満足123店』という本にも取り上げられているほどです。

私は、彼の修行中身近にいたわけではありませんので、詳しくその過程を知っているわけでもありませんし、まして何か手助けできたわけでもありません。それでも、18歳のとき出会ったサッカーが得意な少年が、本当においしいそばを作れるようになり、自分の店を構えるようになるまでの努力は、並大抵ではなかったのだろうと思っています。

彼のおいしいそばに惹かれ、ちょっと遠いのですが、時間に余裕のあるときは店に行って、お酒など頂きながら舌鼓を打っています。そして私は、幾分酔っ払った頭の中で、彼が成し遂げたことへの敬意と、自分がまだ何も達成していないことへの反省をない交ぜにしながら、店を後にするのです。