小説を読むこと【1000のカスタネット#0010】
なぜ小説を読むのか。もちろん、理由は人それぞれではあろうが、私にとっては物語の中に居合わせるため。小説で描かれる舞台が奇想天外な世界であれ、時代や国が違っていたとしても、その中で呼吸したいと思っている。遠くからスクリーン…
続きを読む →なぜ小説を読むのか。もちろん、理由は人それぞれではあろうが、私にとっては物語の中に居合わせるため。小説で描かれる舞台が奇想天外な世界であれ、時代や国が違っていたとしても、その中で呼吸したいと思っている。遠くからスクリーン…
続きを読む →価値とは、結局過去に縛られている。 まだもたらされていない新しい価値は、形作らていないという点でも、認知されえないという点でも、過去という既に到来した時間の恩恵に預かることはできない。いや、むしろ既存の価値は、過去によっ…
続きを読む →「ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ」――。 すべての感情をヤバイと表現していてヨイのか。あのヤバイとこのヤバイは同じなのだろうか。 そして、いつしか平板な感情のようにしか聞こえなくなる。 関連する記事 言語化によって…
続きを読む →目的は、得てして不明確になりがちだ。ある目的のために始めた行動であっても、行動自体が目的化されてしまい、そもそものきっかけや行き先があいまいになってしまうからだろうか。 目的を見失わない姿は、いつも根拠を求める哲学的探求…
続きを読む →子どもたちの思考の連続は、われわれの常識に捉われていない。 その瞬間に思い着いたこと、気になることに着目し、次から次へと口に出していく。悪く言えば、五月雨で非論理的な思惟の連なりである。 だがかえって、その方が、聞かされ…
続きを読む →「世界の形を決定的に変える」とは、どのような事態、状況なのだろう。例えば、ずっと雨が降り続いてしまい、あらゆる場所が水没してしまったら、世界の形は変わったといえるのだろうか。 現象が変化したことで、様子は変わるのかもしれ…
続きを読む →ストーリーとメッセージ。どちらが重要なのか。もちろん、どちらも重要、大切で、優劣はつけがたいのかもしれない。 しかし、優れたストーリーテリングによって、そのコンテンツにぐいぐいと引き込まれ、没入していっても、メッセージが…
続きを読む →「小さな変化」 落ち続ける葉。大きな樹から、絶えることなく落ちる葉。いくつも、いくつもの葉が落ちる。しかし、私はその樹の変化に盲目でしかない。 初出:https://kazuhiq.com/19941201/chiisa…
続きを読む →「世界が終わるとき」 世界の終わりがきたら きみはどうする? ぼくは、タマゴを割ってみるね 生タマゴかゆでタマゴかわからないから 初出:https://kazuhiq.com/19960903/sekaigaowarut…
続きを読む →「こぼれ落ちるもの」 こぼれ落ちるもの、その流れすべる姿を心にとめる。それなくして、何も語ることはできない。 ただ話す、そのなめらかさ、その誇らしさ、その上昇気流に気持ちをとられ、見誤ってはいけない。その病気に侵されたも…
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