うたがう【疑う】


二時間もののサスペンスドラマなどを見ていると、「刑事は疑うのが仕事なんですよ」といくらか自嘲気味に吐き捨てるセリフを聞くことがあります。本物の刑事さんが、そんなことを言うのかどうかは知りませんが、視聴者である私たちは、こうした皮肉なセリフが出てくる彼らの気持ちを、自然と受け入れてしまっているのではないでしょうか。それだけ「疑う」という行為を、多くの人が悪いことだと思っているのでしょうし、絶えず疑念を持っている人は罪悪感すら芽生えてくるかもしれません。

確かに「あいつは嘘をついているかもしれない」と考えたり、「こいつは自分を騙そうとしているのでは」などと勘ぐったりしているのは、大変不健康な精神状態に思えます。私の実体験で言っても、人の行動や言葉を疑っているときは、とても気持ちが疲れてしまうものです。素直に信じ、疑うことなく暮らせたらよいのになあと、誰しも 一度くらいは夢見たことがあるのではないでしょうか。

しかしながら、その「疑う」ことこそが本分であり、元来からの特性としているものがあります。それは、万学の女王とも言われる「哲学」です。哲学と言うと、訳のわからない話を延々ととなえるという印象を持つ方もいるでしょう。あるいは、ひどく当たり前の事象を意味もなく弄んでいるだけだと思う方、押し付けがましい面倒なお説教や単なる言葉遊びだと感じる方が多いかもしれません。

こうした理解は全くの間違いとは言えないものの、哲学とは本来、あらゆることを「疑う」ことで成立している学問です。例えば、「人間が『存在する』とは、一体どういうことだろう」というような、誰しも自分の存在は当たり前に考えがちですが、それこそを問おうとします。そして、この哲学の本質たる「疑う」ことは、前述のような悪印象ではない、別の働きももたらしてくれるように思うのです。

デカルトの「我思う、故に我あり( Cogito ergo sum )」という有名な言葉は、あらゆることを疑いつくした上で、疑っている主体たる“私”だけは疑うことができない、と自我の存在を根拠付けるものでした。ここで哲学あるいは哲学的な行為がなしえた仕事は、疑うことによって個という新しい存在や価値が見出され、証明さられたことだと言えるでしょう。今まで自分にとって当然だと思っていたことでも、再び「疑う」ことで、よりその存在が明確になったり、より強固になったりするわけです。

最近、ノーベル賞を受賞された田中耕一さんが、「常識を疑い、それを簡単に手放さないことが大切」といった主旨の発言を、どこかでされていたと思います。正に田中さんは、常識を疑うことから生まれた芽を、世界においても評価されるような大きな成果につなげたのでしょう。彼は、周囲の人から変人扱いされたとしても、たゆまぬ研究によって疑問に思ったことを検証しつづけていたと聞いています。

こうして考えてみると、学問や研究には「疑う」ことが大変に重要なことだと気づかされます。「疑う」ことが、新しい発見や新しい価値を創造してくれるのではないでしょうか。だからこそ、すべての科学や学問における優れた成果には、どんなに当たり前だと考えていたことでも「疑う」姿勢や態度が、必要なように思います。

犯人探しのような悲しい「疑う」もあるのでしょうが、田中さんの発見のような、我々に恩恵をもたらす「疑う」もあるはずです。今まで我々が単純に信じてきた「疑う」という言葉の持つネガティブな印象は、ちょっと早合点が過ぎてしまったのかもしれません。それこそ、いつでもどんなことでも「疑う」ことを忘れてはいけないのでしょう。


いちょう【銀杏・公孫樹】


営団地下鉄青山一丁目駅の出口を出ると、すぐに神宮外苑のいちょう並木があり、一面に黄色い世界が開けていました。

ちょうど去年の今頃だったと思うのですが、東京へ遊びに来た友人が熱心なスワローズファンで、どうしても実物の神宮球場を見てみたいからと、明治神宮まで連れ立って出かけたことがありました。その時に、このいちょう並木に出会ったのです。東京で働くようになって、 5 年以上経ってはいましたが、私はここを訪れるのは初めてのことでした。

その時が落ち葉の最盛期だったのか、黄色い葉があちらからこちらからとハラハラ落ち、そして落ちた葉も敷き詰められたように深く道を覆っていました。その景色は、黄色く彩られた幻想的な光景で、私は別世界に迷い込んだような気分にさせられました。とてもきれいだなあと言う素直な気持ちを、心の中で何度もかみ締めたことを覚えています。このようないちょうや、いちょう並木を今まで見たことがなかったので、私はすっかり感動してしまったのです。

この美しいいちょう並木を見るまで、私にとっていちょうはきれいなものと言うより、もうちょっと身近であたたかい気持ちを持たせる樹でした。と言うのも、私がかつて通っていた大学の構内には、並木というほどたくさんではなかったのですが、いちょうの樹が何本も生えていました。季節のめぐりとともに、葉を茂らせ、落とし、実をつけていました。あの独特な匂いとともに、学生時代の日常に、当たり前なものとして存在していたのです。

私が通っていた大学は、もちろん塀に囲まれていましたが、形ばかりのものと言っても言い過ぎではなく、学生以外の方の往来が多くありました。生協の定食は市価より安いので、タクシーの運転手の方がよく食べに来ていました。そのような開放的な雰囲気だったので、いちょうがぎんなんを実らせ、地面に落ち始めると、近くの団地のお母さんたちが拾いに来ていました。中には、小さなお子さんを連れて、構内のぎんなんを拾っている方もいました。

ぎんなんの匂いは好きになれませんでしたが、小さな子供が、無心にぎんなんを拾っている姿はやはり微笑ましいもので、あの小さくちょっと匂う実が、私の通う大学を幼い彼らにとって、より身近にしてくれているように思え、うれしく眺めていました。そして、その晩の食卓の茶碗蒸に入るかな、などと一人想像したものです。

そう言う意味では、いちょうは私と他の人を身近に感じさせてくれる、ひとつの媒介になってくれていたのでしょう。いまだに街でふとあの匂いをかぐことがあると、匂い自体のきつさとは別に、不思議と優しい気持ちになってしまうのです。

いちょうは、何億年も前から、今と同じ姿のままで生息しつづけてきた植物だそうです。つまり、人類が誕生するもっともっと前から、今私たちが見るのと同じように、枝を伸ばし、葉を増やし、実を実らせていたわけです。そんなことを想うと、私が大学で接したずっと昔から、人間どうしだけでなく、何らかの生物どうしを結びつける役目を、静かに果たしてきたのかもしれない、などと言う幾分妄想めいた想像を、思わずしてしまうのでした。


あまい【甘い】


「『うまい』の語源は『甘い』がなまったものだ」と国語の時間で教わったとき、幼い私はびっくりしてしまったことを、今でも覚えています。なぜなら、甘い食べ物は、私の身近にあり、味覚の中の1つだとしか思っていなかったからでした。

私は甘いお菓子なども好きなくちなので、シュークリームなども大好きでした。ですから、甘いものをおいしいとは思いましたが、その他の味ももちろんおいしいと感じていましたので、「甘い」ものだけが「うまい」わけではないのではないか、と幼心に思ったわけです。

しかし、平安時代の頃、世の中に甘い食べ物はほとんど存在しないくらい貴重で、都に住んでいる貴族のような、ごく一部の高い身分の人だけが甘いものを口できました。つまり、甘いものを食べることは、大変に特別な体験だったから、「甘い」ものこそが「うまい」へと変化しえたようです。

ところが、現在においては、甘いものはとても当たり前になっています。例えば、会社のデスクの引出しには、チョコレートなどの甘いものが、少なからず入っていたりするでしょうし、家の冷蔵庫の中にも、プリンやケーキがあったりするかもしれません。コンビニに行けば、たくさんの甘いお菓子が並べられており、手軽に購入できますし、自宅の台所に砂糖がない家庭など、ちょっと考えられないほどでしょう。

かつては、特権階級のものだった「うまい」甘さを、今では誰もが享受できるようになったわけです。むしろ、それを通り越してひどく当たり前な、何も珍しくない存在となっているといっても、過言ではないでしょう。

今も飢餓や食料不足に苦しむ国や地域があることを考えると、上述のような日本の状況は、我々が住んでいる国が、非常に恵まれていることを証明してくれます。歴史を振り返ってみれば、戦後すぐのような、日本にとって苦しい時期もあったのでしょうが、高度経済成長後に育った私ぐらいの世代は、何もかもが豊富にある中で暮らしている、大変に恵まれた世代と言えるのでしょう。

そのためでしょうか、私がまだ学校に通っていた小さなころには、よく両親や教師の方々から「おまえたちは、まだまだ甘い。俺たちが、若いときには…」といったような話を、それこそ耳にたこができてしまうほど聞かされたのでした。

しかしながら、確かに我々以降の年代は、彼らが言うように精神的にも肉体的にも、甘いところが少なからずあるのを、全く認めないわけにはいきません。日本はずっと豊かで、電化製品、車、 IT 技術や社会インフラが、私たちの生活をより便利に、より暮らしやすくしてくれているからです。もう我々は、数百メートルだって歩かずにすませてしまいますし、洗濯も洗濯機がほとんど終わらせてくれます。

このように、他国と比べても豊かな国である日本ではありますが、ここ何年かは永遠に続きそうな不況に直面し、未来に対して不安な気持ちを持っています。そして、この不安な時代を、今後担っていかなければいけないのは、私たちのような「甘い」と言われて育ってきた世代なのです。

少しずつ積み重なり、ずっしりと重みをもった不安を、我々の世代がすべて吹き飛ばせるとは思いません。それでも、この「甘い」世代こそが、「うまい」世の中、あるいは「うまい」時代へと、ほんの少しでも、いくらかでも導けたらと考えています。


世界が終わるとき


世界の終わりがきたら
きみはどうする?

ぼくは、タマゴを割ってみるね
生タマゴかゆでタマゴかわからないから

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小さな変化


落ち続ける葉。大きな樹から、絶えることなく落ちる葉。いくつも、いくつもの葉が落ちる。しかし、私はその樹の変化に盲目でしかない。

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他者が在る


他者が在る。自己とは、別なるもの。その命をその命として、生きる。その経験をせずに、他者は理解できない。

自己のコピー、浮遊した感触、それらは理解の妨げにしかならない。むしろ、ねじ曲げられた断定への入口なのだ。


こぼれ落ちるもの


こぼれ落ちるもの、その流れすべる姿を心にとめる。それなくして、何も語ることはできない。

ただ話す、そのなめらかさ、その誇らしさ、その上昇気流に気持ちをとられ、見誤ってはいけない。その病気に侵されたものは、決して何も見ていない。

盲目なのだ。その自らに気づかぬもの、それが覆い尽くす瞬間、瞬間が、毒ガスの様に憂鬱な空気を這いつくばらせる。