女はいっそ自分のことを愚かな男と呼びたいと思う【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0180】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】昔、とても愚かな男が/リディア・デイヴィス ○
「女はいっそ自分のことを愚かな男と呼びたいと思う」とあったり、人間の自己同一性を超え出た表現が散見され、ちょっとした異空間に迷い込んだ感じがするだろうか。ただ、作品の意図やメッセージはなかなか理解できないでいる。よく分からないが、生きることの難しさや生きづらさを語りたいのか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】アランブラ宮の壁の/岸田衿子 ○
アランブラ宮とは、アルハンブラ宮殿のことだろうか。とは言え、アルハンブラ宮殿も、名前しか聞いたことはないのだが。話はとても短く、アランブラ宮もイメージできないとなると、書かれた内容を読んでも、頭に像が描けないままになってしまう。

【論考】お台場海浜公園/池田晶子 ○
今回も、池田さんがかつて飼っていたコリー犬の話し。これも、ほほ笑ましいのではあるが、書籍のテーマである死や、章タイトルの「ひとりだけで考える」との関連は見えてこないのだった。もしかすると、後に続く文章の前段的な内容なのかもしれない。


旧訳聖書【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#154】


【6月2日】旧訳聖書

いっさいの事柄は物憂く、
誰も語り尽くせはしない。
目は見て、飽きたりることなく、
耳は聞いて、満たされることはない。
かつて起こったことは、いずれまた起こり、
かつてなされたことは、いずれまたなされる。
日の下に、新しいことは何一つ存在しない。(『コーヘレト書』)

『旧約聖書』XIII、月本昭男訳、岩波書店、1998年

【アタクシ的メモ】
「日の下に、新しいことは何一つ存在しない」や、その前段を読むと、永劫回帰を言いたいのだろうか。一方で、「語りつくせず、満たされることはない」とは、世界の要素が無限であるということか。永劫回帰とは矛盾するとは思うが。


よくわからないが続く【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0179】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】フランス語講座 その1-Le Meatre/リディア・デイヴィス △
語学講座の体裁で、記述が進む。ただ、フランス語については、ほとんどわからないこともあり(外国語がとにかく苦手)、内容がほさんど入ってとなかった。現代的なアプローチだと思うが、やはり普遍性はないように思うので、私自身はあまり肯定的にはとらえられない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】オイノリ/阪田寛夫 △
カタカナだけで構成されているので、読みづらいし、正直言って、意味もとれなかった。なので、詩としての良し悪しが、何も言えない。ちょっと悪く言いすぎだろうが、ポカーンとしてしまった感じだ。また「アーメン」が出てくるが、どうして言われるのかも分からない。

【論考】似たもの同士/池田晶子 ○
飼っている大きなコリーと散歩が楽しいという話で、もはや論考ではなく、エッセーである。もちろんエッセーが悪いわけではないか、なぜ『死とは何か』という本に収録されたのかが、よく分からない。読めば、単純にほほ笑ましいのではあるが。


ヘレン・ケラー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#153】


【6月1日】ヘレン・ケラー:1880.6.27~1968.6.1

先生は私の手を井戸の口にもっていきました。冷たい水の流れが手にかかると、先生はもう一方の手に、はじめはゆっくり次に速く「水」という字を書かれます。私はじっと立ったまま、先生の指の動きに全神経を集中します。突然私は、なにか忘れていたことをぼんやり意識したような、思考が戻ってきたような、戦慄を感じました。言語の神秘が啓示されたのです。そのとき、「W-A-T-E-R」というのは私の手に流れてくる、すばらしい冷たいなにかであることを知ったのです。その生きた言葉が魂を目覚めさせ、光と望みと喜びを与え、自由にしてくれました。

『ヘレン・ケラー自伝』川西進訳、ぶどう社、1982年

【アタクシ的メモ】
かつて幼いころ、伝記やアニメで体験したシーンである。今、こうして読むと、言葉(概念)が持つ力がヘレン・ケラーさんの生を、強く後押ししたように感じる。


ああめん そうめん ひやそうめん【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0178】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】セラピー/リディア・デイヴィス ○
セラピーに通う女性。彼女自身にとって、重大かもしれない出来事はあるのかもしれないが、小説らしいエピソードがあるわけではない。いつも通り、ややネガティブな記述が淡々と続く。そして最後は、「それを決めるのは、たぶん私ではないのだろう」で終わる。もちろん人生は、自分の意志だけで成立するわけでなないが、それでも哀しい気分になるのだった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ああめん そうめん/坂田寛夫 ○
「おあめん そうめん ひやそうめん」というフレーズは、この詩から生まれたのだろうか。全く出自は知らなかったが、フレーズだけはなぜだか子どものころから知っていた。語感のユニークさの印象がとても強く、明るいイメージを持っていたが、詩の中では、父親の死を嘆く箇所があった。「ああめん」という言葉があるので、よく考えたら当然なのだろう。

【論考】わからないのは当たり前/池田晶子 ◎
「たかが人生ではないか。こういった構えも、なかなか感じのよいものです」。こういった考えは、普段暮らしているだけでは思い至ることもなく、読書するからこそ得られる思考だと思う(もちろん、著者が池田さんだからこそということもあるが)。「たかが人生」と考えられたら、もっと自分が自由になるし、広がりを感じられるであろう。


ホイットマン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#152】


【5月31日】ホイットマン:1819.5.31~1892.3.26

見知らぬひとよ、もし通りすがりにきみがわたしに会って、
  わたしに話しかけたいのなら、どうしてきみがわたしに話しかけてはいけないのだ?
そして、どうしてわたしがきみに話しかけてはいけないのだ?(「きみに」)

『対訳 ホイットマン詩集』木島始編、岩波文庫、1997年

【アタクシ的メモ】
ちょっと難解な文(詩?)に感じたが、「袖すり合うも他生の縁」といった感じなのだろうか。あるいは、人間はもっと自由にコミュニケーションを取ればヨイということを言っているのか。


生(ある)と死(ない)とはどういうことか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0177】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】母親/リディア・デイヴィス ○
女の子の行動に対して、いつも~だったらよかったのに、と言う母親。正直、こんな母親いるのかなと感じてしまう。最後には「でも水遠に眠ってしまえばかったのに」とまで言う。娘を愛せない母親を描きたかったのだろうか、それにしても、全く救いがなく、読み手は突き離された感じしかしないのだった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】どじょうだじょ/坂田寛夫 ○
どじょうをユーモラスに描いているが、最後はたまごでとじられ、食べられてしまうという、これもどじょうにとっては、救いがない詩である。詩を書くのは、人間なので、人間の目線から動物や生き物を表現するのが悪いわけではないが、読んだ感じは心地よくないと思ってしまう。

【論考】生きているとはどういうことか/池田晶子 ◎
「生(ある)と死(ない)とはどういうことか」なのである。やはり、それに向き合わなければならないのだ、と改めて思わされた。「生活する」には、時としてつながらないけれど、自分が感じている不思議や分からなさにちゃやんと付き合わなければならないのだ。


ヴォルテール【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#151】


【5月30日】ヴォルテール:1694.11.21~1778.5.30

自尊心はわれわれの生存の道具である。それは種の永続の道具に似ている。それは必要であり、われわれにとって貴重であり、われわれに楽しみを与えてくれる、しかしそれは秘めておかねばならないものである。(「自尊心」)

『哲学辞典』高橋安光訳、法政大学出版局、1988年

【アタクシ的メモ】
私自身は、あまり自尊心を持ち合わせていないため、それほど共感できなかった。「生存の道具」とまで言われてしまうと、私自身は立つ瀬もない感じだ。


時間を超越するのが言葉の価値【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0176】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】姉と妹/リディア・デイヴイス △
この短編は、誰かの具体的な家庭の物語ではなく、家庭一般について書かれているよう(それだけで、小説ではないと言えるのかもしれない)。家庭には、男子が必要で、息子の方が喜ばれると語られたり、姉妹は大きくなってきっと仲違いすると、十把一絡げに説明されるが、あまり納得感がないまま終わってしまった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ゾウ 2/まど・みちお △
ゾウとノミを比べて、「ゾウだったからすばらしい」というのだったら、私は全く賛同できない。ゾウがゾウであること、言い換えれば、自分が自分であること、その同一性を重視しているのだったら肯定したい。だが最後に、「ノミではなかったとは」とあえて書くあたりで、かなり怪しいと思っている。

【論考】なんにも変わらない/池田晶子 ○
池田さんの少し愚痴的な文章である。もちろん、それはそれで何も間題はないのであるが。なお、私が付箋を貼ったのは、「言葉は、時代すなわち時間を超越することで価値なのだ」という箇所。以前、池田さんの他の著書で読んでから、これがとても意識されていて、言菜の価値のあり方や凄さを噛み締めているのだ。


内田百閒【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#150】


【5月29日】内田百閒:1889.5.29~1971.4.20

生きてゐるのは退儀である。しかし死ぬのは少少怖い。死んだ後の事はかまわないけれど、死ぬ時の様子が、どうも面白くない。妙な顔をしたり、變な聲を出したりするのは感心しない。ただ、そこの所だけ通り越してしまへば、その後は、矢つ張り死んだ方がとくだと思ふ。とに角、小生はもういやになつたのである。(「無恒債者無恒心」)

『新輯 內田百閒全集』第2巻、福武書店、1986年

【アタクシ的メモ】
恥ずかしながら私も、生きるのが退儀であると感じることが多い。もちろん、幸せを感じることもあるのだが、やはり家庭を持ってからは、辛いと思うことが増えたかもしれない。それでも今は、家族を自分の生きる目的にしている。