一神教が抱きがちな誤謬なのだろうか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0015】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】悪い春/恩田陸 ○
今回は不条理系ではなかった。その点では読みやすいと言えるだろう。会話がとても多くなっている。登場人物にりアリティーがあるのに好感はもてるが、ややチープな文体な印象もあった。今どきの言葉使いを多用すると、どうしても軽く感じてしまうだろう。また、この小説のメッセージも理解できぬまま終わってしまった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】誰か/宗左近 △
ここで言う「誰か」は、神や創造主を指しているのだろうか。歴史や文化の不思議を詩にしていると解釈しているが、一元的な主体を想定している点で、個人的にはどうしも偏りがあると感じる。作者は、何らか一神教の信者なのかもしれない。今これを読むと、私には違和感が大きいというのが正直なところである。

【論考】情報の“メタ”化/外山滋比古 △
この論考でのメタ化を一言で言うと、抽象度を上げるということのようだ。それが全くの間違いだとは思わないものの、私は視点や位相を変える高めることだと考えているので、何だか芯を食っていない感じがする。要約や目次もメタ化の一つになっているようなので、ちょっとお手軽すぎる部のではないか。


ディドロ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#089】


【3月29日】ディドロ:1713.10.5~1784.7.31

ラブレーの修道士の知恵は、自分の安泰のためにも、ほかの人々の安泰のためにも、本当の知恵ですよ。曲がりなりにも自分の義務を果たし、いつも僧院長さんのことをよく言い、世界を勝手気儘に運行させておくという奴です。それで大部分の者が満足するんだから、世界は丸く納まるわけでさ。わしがもし歴史を知っていたら、悪はいつでも誰か天才の手をへてこの地上にやって来たということを、あんたに証明して見せるだがなあ。

『ラモーの甥』本田喜代治・平岡昇訳、岩波文庫、1964年

【アタクシ的メモ】
何度も読んだが、真意は理解できなかった。賢く優秀な人ほど悪さを起こし、無為な人の方が安泰や満足をもたらすといことか。


言葉によって月から地球を見る【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0114】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】十二面体関係/円城塔 △
20人の登場人物が、名前と番号とともに、10行程度で説明されるという独特な文章。小説というよりは、調書のよう。なので感情移入もできないし、一人の人物を三名がそれぞれ殺したと証言するなど、合理性も整合性もない内容である。今回も読むのが苦痛だった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】月から見た地球/北原白秋 ○
自分なりに、言葉を丁寧に追っても、あまり像が結ばなかった。私にとっては、言葉がよそよそしい感じである。月から見た地球というくらいなので、壮大な視点ではあるが、何か空想的な表現が続いているからだろうか。地球創生を語っているようだが、一点にフォーカスした方が伝わってくるように思う。

【論考】セレンディピティ/外山滋比古 ○
今回は、偶然の出会い、思わぬ獲得について。あくまで自分の感覚であるが、現在のように情報爆発の時代は、かえってセレンディピティは起こりづらいように思う。一つひとつの情報が軽んじられがちだし、情報消費に精一杯で出会いと感じづらいからだ。「寝させる」など、時間的な猶予も大切ではないか。


ゴーリキー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#088】


【3月28日】ゴーリキー:1868.3.28~1936.6.18

幼年のころ、わたしはみずから自分を蜂の巣のように想像した。さまざまのなんでもない、ごく平凡な人びとが、生活についての自分の知識や思考の蜜を蜜蜂のようにそこへ運んできては、だれでもできるものでわたしの精神を惜しげもなく富ましてくれるのだ。しばしばこの蜜はきたなく、またにがいことがあったけれども、あらゆる知識は――やっぱり蜜であった。

『幼年時代』湯浅芳子訳、岩波文庫、1968年

【アタクシ的メモ】
ゴーリキー自身の知的好奇心について、書かれているのであろうか。現在のように情報過多の時代ではないと思うので、きたなく、にがい知識もきっと喜んで受け取っていたのではないか。


未知を解く類推のカ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0113】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】蒸籠を買った日/江國香織 △
今回も(?)不条理小説で、ちょっとうんざりしてしまった。理にかなっていない物語を読むのは、何かの魅力など、読む理由がないと成り立たないと思う。その点でいえば、ただただ不可思議な状況が続き、解釈できぬまま終わってしまった。主人公の私は、何に共鳴したのだろうか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】朝を愛す/室生犀星 △
朝活をすすめる啓発本のような詩である。言葉便いが、やや古いこともあってか、文字がなかなか頭に入ってこなかった。読み終っても、余額のようなものもなく、何だかまくし立てられた気分になってしまう。タイトル通り朝を愛しているのなら、もっと別の表現があったのではないか。

【論考】アナロジー/外山滋比古 ○
『思考の整理学』を読んでいるわけだが、毎回、同じようなことを少しずつずらして言っているように感じてきた。もちろん、悪い意味ではない。今回は、似ている形式、構造から類推することを紹介している。単純と言えば、単純ではあるが、暗記に頼る知性の人にはできない方法ではある。


大伴家持【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#087】


【3月27日】大伴家持:717頃~785.8.28

春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女

春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも

うらうらに照れる春日にひばりあがり情悲しも独りしおもへば

『万葉集』(4)(『日本古典文学大系』7、高木市之助ほか校注、岩波書店、1962年

【アタクシ的メモ】
短歌は苦手だし、古文も苦手。なので、現代語訳なども参照したが、どれも一瞬の情景や心情を描いていて、とても美しいと感じた。特に「春の野に霞たなびき」は、語感も含め美しく、じんわりとした気持ちになる。


宵の明星、星のごとく【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0112】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】二十人目ルール/井上荒野 ○
これだという人を見つけ、二十人目に声をかけるという「二十日目ルー儿」を語る老人。今日、23才の青年から、そのルールに従い声をかけられたと話すも、それはどうやらいつもの妄想のようだ。この虚言と本人の家庭での居心地の悪さがないまぜになり、ストーリーは進む。面白いと感じる半面、結局、何を伝えたかったのだろうと首をひねった読後感だった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】夕づつを見て/佐藤春夫 ◎
夕づつとは、夕方、西の空に見える金星。宵の明星だ。調べてみて分かった。6行のつぶやきのような詩である。私はあまり宵の明星を見てきたわけではないが、そのつぶやきのような口数の少ない言葉によって、自然と目の前に現れ出てきた。ある意味で、言葉のマジックにかかったのだろう。

【論考】触媒/外山滋比古 ○
何か触媒するものがあれば、人間の創造性は高まるという主張。先の「醗酵」や「寝させる」などと、近しい考え方だと思う。そして、組み合わせの要素が変わったり、新しいアイデアが加わることで、全く別の思考や企画が出来上がることは、よくあることではないか。ただ、仮に方法や手順は分かっても、実際にアウトプットはなかなかできないというのが実情であろう。


ドーキンス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#086】


【3月26日】ドーキンス:1941.3.26~

純粋で、私欲のない利他主義は、自然界には安住の地のない、そして世界の全史を通じてかつて存在したためしのないもののである。しかし私たちは、それを計画的に育成し、教育する方法を論じることさえできるのだ。われわれは遺伝子機械として組立てられ、ミーム機械として教化されてきた。しかしわれわれには、これらの創造者にはむかう力がある。この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。

『利己的な遺伝子』日高敏隆ほか訳、紀伊國屋書店、1991年

【アタクシ的メモ】
生物の遺伝子は、すべて利己的な行動を促し、人間だけが利他的に振る舞える可能性があるということか。それは、人間だけが他者性を認識し、またそれを俯瞰した客観的な視線を持っていることだろう。


20年で人は大きく変わる【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0111】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】if/伊坂幸太郎 ○
ifという題名と、AとBとに分けられていることから、AかBかと、2つのストーリーが並べられていると思った。しかし読んでみると、Aに似たBという20年後の物語であった。実験的な作品だとは思うが、自分自身としては、あまり好きにはなれなかった。20年という歳月は、人を大きく変えると思うからだ。

【詩・俳句・短歌・歌詞】水の星/茨木のり子 ○
水の星とは、特にひねりもなく地球のことである。俯瞰して見ることで、いつも自分たちが感じていない地球を理解できるのかもしれない。ただ、表現が緻密ではないせいか、何だかとらえようがない感じである。抽象的過ぎるので、読み手としてはやや迷子になってしまった。

【論考】エディターシップ/外山滋比古 ○
一言で言ってしまうと、編集は大事だということ。自ら文章を書くと、確かに自発性は生まれるだろう。ただ、ここでは組み合わせの妙で、さらに価値が高まると説いている。私は長く、記事コンテとツの編集をやってきたが、そうした経験上でも、編集の力を信じている。


島崎藤村【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#085】


【3月25日】島崎藤村:1872.2.17~1943.8.22

愛憎の念を壮んにしたい。愛することも足りなかった。憎むことも足りなかった。頑執し盲排することは湧き上がって来るような壮んな愛憎の念からではない。あまり物事に淡泊では、生活の豊富に成り得ようがない。
長く航海を続けて陸地に恋い焦がれるものは、往々にして土を接吻するという。そこまで愛憎の念を持って行きたい。(「愛憎の念」)

『藤村随筆集』十川信介編、岩波文庫、1989年

【アタクシ的メモ】
それが正しいのか、正しくないのか置いておいて、極点に到達することが愛憎の念なのだろうか。愛憎の念があれば、自然に死と向き合えるということであろうか。