一神教が抱きがちな誤謬なのだろうか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0015】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】悪い春/恩田陸 ○
今回は不条理系ではなかった。その点では読みやすいと言えるだろう。会話がとても多くなっている。登場人物にりアリティーがあるのに好感はもてるが、ややチープな文体な印象もあった。今どきの言葉使いを多用すると、どうしても軽く感じてしまうだろう。また、この小説のメッセージも理解できぬまま終わってしまった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】誰か/宗左近 △
ここで言う「誰か」は、神や創造主を指しているのだろうか。歴史や文化の不思議を詩にしていると解釈しているが、一元的な主体を想定している点で、個人的にはどうしも偏りがあると感じる。作者は、何らか一神教の信者なのかもしれない。今これを読むと、私には違和感が大きいというのが正直なところである。

【論考】情報の“メタ”化/外山滋比古 △
この論考でのメタ化を一言で言うと、抽象度を上げるということのようだ。それが全くの間違いだとは思わないものの、私は視点や位相を変える高めることだと考えているので、何だか芯を食っていない感じがする。要約や目次もメタ化の一つになっているようなので、ちょっとお手軽すぎる部のではないか。