恋を見たことある?【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0168】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】母親たち/リディア・デイヴィス △
とても短いからというだけでなく、小説(ストーリー)というよりも、エッセーのような内容、どんな人でも母親がおり、そして母親あるあるが述べられ、つねに周囲から見られて、語られると終わる。エッセーみたいと書いたが、エッセーなら成立しているかもしれないが、小説としては要素が不十分に感じる。

【詩・俳句・短歌・歌詞】小さな恋の物語/寺山修司 ○
「恋を見たことある?」という質問から始まる。改めて聞かれると、詩に書かれた通り、恋を見たことはないのである。形も、色も、匂いもないのだ。恋はどこかに存なしているのだろうが、目に見えたり、物理に知覚することはできない。この詩ではおばけにたとえているが、それくらい目に見えないものは力強いのだろう。

【論考】人生は量ではなく質/池田晶子 ○
「死は言葉としてしか存在しません」。筆者が言う通り、死体から「死」を取り出せないのだ。「生命は有限であるからこそ、価値がある」とも語る。死を忌避して、遠ざけるのではなく、死とは何かを、自分の頭で考える必要があるのだろう。永遠の命などないのだから。


ドビュッシー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#142】


【5月21日】ドビュッシー:1862.8.22~1918.3.25

美の真実な感銘が沈黙以外の結果を生むはずがないのは、よく御存知でしょうに……? やれやれ、なんてこった! たとえばです、日没という、あのうっとりするような日々の魔法を前にして、喝采しようという気をおこされたことが、あなたには一度だってありますか?(「クロッシュ氏・アンティディレッタント」)

『ドビュッシー音楽論集』平島正郎訳、岩波文庫、1996年

【アタクシ的メモ】
人が真に美しいものに触れると、言葉を失い、沈黙せざるを得ないということのようだ。それは正しいと思う反面、大きな感動が何かの言葉や行動を、強く引き出すこともあるように思う。


「快適に生きる」と「よく生きる」の違い【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0167】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】W・H・オーデン、知人宅で一夜を過ごす/リディア・デイヴィス ○
とても短い短編小説。彼(=W・H・オーデン)は、寝むる際、恐らく一般的な上掛けだけでは物足りず、他人宅のカーテンやじゅうたんを必要としてしまう。その強迫観念的な行動の理由は、ほとんど説明されない。寒いというが、 じゅうたんをひっぺがし、掛けるのは尋常ではなく、奇妙な行動の真意は不明なままストーリーは終わってしまうのだった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】たし算/寺山修司 ○
詩の中で示されるのは、数学のたし算と、生き物や事柄、物のたし算。確かに数学では、たった一つの数字の解答しか導きだせない。リスと木の実や、ぼくときみのたし算だったら、その答えは、数字では表現できないだろうし、結果としてはかけ算のようになるだろう。

【論考】考えることは驚きから/池田晶子 ○
いくつも気になる文言があったが、生命が手の及ばない不思議だったから価値があり、自由になれば価値ではなくなるという件は、非常に現在的な問題を指摘していると思った。また、「快適に生きる」と「よく生きる」は違うというのは、いつもの池田節ではあるが、ハッとするのだ。


バルザック【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#141】


【5月20日】バルザック:1799.5.20~1850.8.18

パリはまことに大海原のようなものだ。そこに側鉛を投じたとて、その深さを測ることはできまい。諸君はこの海洋をへめぐり、それを描きだそうと望まれるだろうか。それをへめぐり、かつ描くことに諸君がいかに精魂をこめようと、またこの大海の探検家たちがいかに大勢で、いかに熱心であろうと、そこにはかならず未踏の地が残り、見知らぬ洞穴や、花や、真珠や、怪物や、文学の潜水夫からは忘れられた前代未聞のなにかが残ることだろう。

『ゴリオ爺さん』(上)、高山鉄男訳、岩波文庫、1997年

【アタクシ的メモ】
世界は未知にあふれている、ということだろうか。併せて、観察者である人間の限界を示しているのかもしれない。


なぜ長生したいと思うのか?【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0166】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】義理の兄/リディア・ディヴィス ○
正体不明な「義理の兄」。誰の兄なのか、どこから来たのか、いつか出ていくのかも、わからないという。姿もほとんど見えず、最後には湯気のようになってしまい、はたき落とし、掃き出し、拭き取られてしまう。何かの暗喩なのだろうか。ただ、単なるなそなぞのようにしか読めないのである。

【詩・俳句・短歌・歌詞】あなたへの手紙/寺山修司 ○
本来手紙は、送り先や伝える相手がいなければ、成立しないものではあるが、あて名のない手紙を書き、その返事も自分で書いたという。そして、それは愛の手紙だった。状況は理解できるが、「ぼく」の意図や目的は、上手く理解できないでいる。愛を感じる対象が、あってこそだと思うからだ。

【論考】長生き方歳?/池田晶子 ○
なぜ人は長生きしたいと思うのか? 生きている時間の長短は、重要ではないと思う。池田さんが言う通り、「死によってこそ生は輝く」、「死を思って生きられる毎瞬のほうがはるかに充実しているはず」ではないだろうか。ただ生きていることで、幸福感は生まれないと思っている。


西田幾多郎【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#140】


【5月19日】西田幾多郎:1870.5.19~1945.6.7

回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーヴに焼くべられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思出がなければならない。平凡なる私の如きものも六十年の生涯を回顧して、転た水の流と人の行末という如き感慨に堪えない。(「或教授の退職の辞」)

『西田幾多郎随筆集』上田閑照編、岩波文庫、1996年

【アタクシ的メモ】
西田幾多郎さんといえば、『善の研究』だと思うし、実際に読んで、いくつもスリリングな記述があったと記憶しているので、そちらからの引用でよかったのではないか。


海だけは終わらないのだ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0165】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】設計図/リディア・デイヴィス ○
ある土地、ある家、ある友人に対して、執着する主人公。環境や状況は良くなくても、そこから去ることができない。最後まで、自分が夢みた場所にこだわり続ける。ただ、それは周囲の誰からも望まれていないとしても。最後に、夢うつつのような中で、幸福を感じており、幸せとは自らが生み出すものだと改めて感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】かなしくなったときは/寺山修司 ◎
「かなしくなったときは/海を見にゆく」という。自分は海まで2~3kmの距離に暮らしているから、目に触れる機会は比較的多いと思う。確かに、海を見ていると、不思議と落ち着いたり、ある意味で充足感のようなものを感じる。作者が「人生はいつか終るが/海だけは終わらないのだ」と言う通り、終わりがない存在だからなのか。

【論考】「現実」という夢/池用晶子 ○
「『本当にあったこと』は、『夢』と『現実」のあわいに消えていく」と、筆者は語るが、最近になって私も、それをよく実感している。現実に起きたことの記憶が、とてもあいまいだからである。また、全くの記憶違いも何度も経験している。夢と現実を混濁するのではなく、生(=現実)の意味を問わなければならないのかもしれない。


へラクトレイトス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#139】


【5月18日】へラクトレイトス:前535頃~前475頃

魂の際限は、どの途をたどって行っても、君は見つけ出すことはできないだろう。それほどにも深いロゴス(理)を魂はそなえているのだ。(「へラクトレイトス)

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(下)、加来彰俊訳、岩波文庫、1994年

【アタクシ的メモ】
最近はロゴスや理(ことわり)について、考えることが多い。何が正しいかではなく、理にかなった行動が必要だと感じる。正しさは突き詰めると、相対的であり、理に従った方が普遍性が高いと思うからだ。


死体と死は違っている【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0164】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ある人生(抄)/リディア・デイヴィス △
ある人、「私」の人生を抜き書きした体裁。あまり連続性があるわけでもないので、この人がどんな人なのか、どんな性格なのかといったことも、あまりイメージできないままである。メッセージとしては、最後にある通り、やりたいことをやって生きろということなのだろうか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】Diamond ダイヤモンド/寺山修司 ○
「ほんとうに愛しはじめたときにだけ/淋しさが訪れるのです」と、作者は言う。それに反論したいわけではないが、私自身はあまり共感できない。愛することで、淋しさが生まれるのだろうか。少なくとも、自分にはそうした実感はないから、上手く飲み込めずにいる。また、タイトルのダイヤモンドもわからなかった。

【論考】「聖なるもの」の行方/池田晶子 ○
私たちは、死体を見たり、葬儀に参列することで、死を理解したように感じるが、「死体と死は同じものではない」と筆者が言うように、生きている人にとって死とは、絶対に分からないものなのである。死を医学的、科学的に規定することは可能であろうが、死は生と対極にあり、死んだことのない我々にとって不可知なのだ。


ノヴァーリス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#138】


【5月17日】ノヴァーリス:1772.5.2~1801.3.25

わたしたちは、宇宙を旅することを夢みている。だが宇宙は、わたしたちの内にあるのではないか。わたしたちは精神の深みを知っていない——内に向かって神秘にみちた道が通じている。ほかならぬわたしたちの内にこそ、永遠とその世界——過去と未来があるのだ。(「断想」)

『青い花』青山隆夫訳、岩波文庫、1989年、解説より

【アタクシ的メモ】
カントの「我が上なる星の輝く空と我が内なる道徳律」と似た言葉だろうか。「わたしたちの内にこそ、永遠とその世界——過去と未来があるのだ」というのは、私も同意する。