その時がきた、しかたがない【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0173】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】私に関するいくつかの好ましくない点/リディア・デイヴィス ○
この作者の男女は、いつも関係が上手くいっておらず、コミュニケーション不全ばかりである。「彼を嫌な気持ちにさせるものが私の中にあると聞かされるのはつらかった」という感じだ。女性は、自分なりに嫌な気持ちにさせるものを考えるのだが、しっくりくるくるものはない。コミュニケーシュンの問題は、必ず個別になるであろうから、「正しい答え」はきっと見つからないのだ。

【詩・俳句・短歌・歌詞】雪崩のとき/石垣りん ○
四季が移ろいゆくように、社会や人は必然的に変化してゆくのだろうか。この詩の作者は、その変化の胎動を、「その時がきた」「しかたがない」という人々の心のうちに見て、指摘している。雪崩は、とても小さな崩れから起きるようだが、世の中の変化も一人ひとりの心が変わり、ある意味で不可逆な結果を導びくまで、進んでしまうのだろう。

【論考】崩壊願望/池田晶子 ○
「生命は尊くも卑しくもない自然現象です」と筆者は言う。この前提に我々は立つべきだし、この前提に立つと、人間の意志がどこにあるのかが問題になる。この論考では言及されていないが、それでも理由なく、人は意志すべきなのかもしれない。多くの自然発生的な意志が、社会を存続させ、変化を生み出しているように思う。


ハイデガー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#147】


【5月26日】ハイデガー:1889.9.26~1976.5.26

思索は言葉をとり集めて単純な語りにする。言葉は存在の言葉である、雲が空の雲であるように。思索はその語りでもって、言葉のうちに目立たぬ畝を切る。その畝間は、農夫がゆったりとした足どりで畑に切っていく畝間よりももっと目立たないものなのだが。

『ヒューマニズム書簡』編者訳出

【アタクシ的メモ】
何を言おうとしているのか、ちょっとよくわからない。思索によって、言葉が整理され、何らかの方向性(意見)が生まれるということだろうか。


「モノからココロへ」【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0172】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】骨/リディア・デイヴィス ○
パリに暮らしていた男女(その当時は夫婦だったよう)が、ある晩、魚の骨がのどにひっかかってしまい、医師に抜いてもらうという、これもやはり短いストーリー。あったこと(もしかすると、筆者の実話かもしれない)を、淡々と綴っているのだが、何とも言えない味、魅力のにじむ作品だと思う。ありふれた小さな物語でも、読み手の心を動かせるのかもしれないと可能性を感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】おんなのことば/茨木のり子 ○
きっと昭和の気分を色濃く描写した詩である。タイトルにある通り、女性が語る言葉について書かれているのだが、ステレオタイプの発言ではなく、本心、本音、心からの言葉を発すべきだと作者はいう。今は世の中も大きく変化し、こうした詩の出番はなくなっているだろう。だが、書かれた時にはきっと必要だったのだと思う。

【論考】新・唯心論/池田晶子 ○
筆者は、「モノよりココロ」「ココロがあるからこそ満たされる」と明言する。初出が1990年だから(しかも電通の媒体!)、その当時はきっと、かなり突飛な意見に映ったのではないだろうか。しかし、今では「モノからコト」とも言われるように、物質ではないものにこそ、価値を見い出すようになっている。池田さんが30年進んでいたというよりも、多くの日本人が本質から横に外れて暮らしていたのではないだろうか。


ロバート・キャパ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#146】


【5月25日】ロバート・キャパ:1913.10.22~1954.5.25

暁闇の中、爆弾で噴火口のようにあけられた穴だらけの道にクリスが目をこらしているあいだに、私はふと先刻の写真をとりだしてみた。それらは、ちょっとピンぼけで、ちょっと露出不足で、構図は何といっても芸術作品とはいえない代物であった。けれどもそれらは、シシリヤ攻略を扱った限り、唯一の写真であり、海上部隊の写真班が、海岸からなんとか、発送の手配をつけたものよりも幾日か早いにちがいないのである。(「シシリヤの空中に浮かぶ」)

『ちょっとピンぼけ』川添浩史・井上清一訳、文春文庫、1979年

【アタクシ的メモ】
例えば写真の価値を決めるのは、ピントの合い方や露出、構図といった重要と思われる要素だけではないということか。被写体を写したものが、その写真しか存在しなければ、たとえピンぼけであっても、価値が生まれるのだろう。


早くわたしの心に橋を架けて【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0171】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】秋のゴキブリ/リディア・デイヴィス ○
ゴキブリについて、数行程度の記述がくり返される。これは明らかに小説らしくない。物語ではなく、ゴキブリの感想、意見表明といったところだろうか。その中で、私が気になったのは、「彼はまるで厚みをもった影だ」という文。どうして人が、それほどゴキブリを気にするのかを、端的に表現している気がする。

【詩・俳句・短歌・歌詞】あほらしい唄/茨木のり子 ○
「あほらしい」とは言っているが、男性に対する愛の詩である。「早くわたしの心に橋を架けて」と願う部分は、とても異色だと思うし、興味深いと感じた。今とは時代が違い、女性から積極的にアプローチしないことを前提にしているせいかもしれない。ただ、もし愛情を感じるなら、本来待つ必要はないのだ。

【論考】孤独の妙味/池田晶子 ◎
改めて読んで、筆者のメッセージを一言でまとめることに難しさを感じた(誰かに頼まれているわけでもないのだが…)。スッキリと文章を理解できているわけでもないし、そもそも単純にまとめられる主張でもないからだ。それでも、一文だけ引用するとなると、「宇宙は自分として存在する」であろうか。自分という存在の不可思議さのしっぽをつかんだだけのようではあるが。


朱子【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#145】


【5月24日】朱子:1130~1200

文字は汲汲として看るべし。悠悠たるは得からず。急ぎ看て、方はじめて前面に看し底に接し得。若し放漫なれば、則ち前面の意思と相い接せず。某の文字を看るや、看て六十一歳に到り、方めて略ぼ道理を見得ること恁地のごときを学ぶ莫れ。

本は倦まずたゆまず読むべきで、のんびりやっていたんでは駄目だ。急ぎ読んでこそ、さきに読んだものとつながってくる。もしのんべんだらりにやっておれば、さきの意味とつながらなくなる。私など本を読むのに、六一歳まで読んできて、やっとあらまし道理がこのように見えてきたが、こういう様を真似てくれるな。

吉川幸次郎・三浦國雄『朱子集』(『中国文明選』3、朝日新聞社、1976年)

【アタクシ的メモ】
ここ最近、毎日のように本を読んでいるが、それによって「さきに読んだものとつながってくる」ことを実感している。毎日ではないにしても、「たゆまず」続けることは、とても重要だと思う。


私たちは生涯で、何回さくらを見るのか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0170】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】夫を訪ねる/リディア・デイヴィス ○
離始の話し合いをする男女。そういう状態だからなのか、ちぐはぐなコシュニケーションを繰り返している。また女性は、独りになっても、周囲と上手く距離がとれずにいる。この何もかも失敗する感じは、身にしみてよく分かる。少しネガティブすぎるかもしれないが、生きるとはこんなものだよなとも思う。

【詩・俳句・短歌・歌詞】さくら/茨木のり子 ◎
題名を見て、さくらの美しさの詩かなと思ったが、毎年決まった期間しか花を咲かせないことから、人の生き死にについての内容であった。もしさくらを見た回数を数えたら、年齢より少なく、自分の場合は30~40回くらいと、それ程多くないことに改めて気づかされる。そして、さくらが散る姿を見ることで、「死こそ常態/生はいとしき蜃気楼と」わかるという。

【論考】思い悩むあなたへ/池田晶子 ○
何度か読んで、段々と分からなくなってしまったようだ。「私はこの自分がいまここに存在するというこのことが、どのような膨大な量であれなんらかの数量に換算し得るとは全く信じていない」という言葉に、つきるのかもしれない。存在とは謎であり、数量では表せず、言葉でもとらえ切れず、いつも不思議として立ち現れてくるのであろう。


イプセン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#144】


【5月23日】イプセン:1828.3.20~1906.5.23

物を書くとは、いったい、どういうことを言うのでしょうか? 近ごろになってやっとわかったのは、書くというのは、もともと見るということだ、ということです。ただし、——いいですか——見られたものが、作者がそれを見たのときっちり同じ形で、読者のものとなるように見ることです。しかし、本当にそれを生き抜いたことだけがそう見え、そうなってくるのです。しかも、それについて書くことを生き抜くということこそが、近代文学の秘密なのです。

原千代海『イプセンの読み方』岩波書店、2001年より

【アタクシ的メモ】
「書くというのは、もともと見るということだ」というのは、書く前の前提条件としてよくわかると感じた。ただ、後半部分の記述は、日本語としてあまり成立していないと思うし、そのため、正直意味がわからないでいる。


考え始めれば、世界の不思議に気づくはず【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0169】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】完全に包囲された家/リディア・デイヴィス ○
「完全に包囲された」とは、一体何のことであろう。原文は分からないが、「包囲」だけでは、それがポジティブなのか、ネガティブなのかはっきりしない。しかし、「家に帰りたいと女は思った」というくらいなので、きっとネガティブな包囲なのだろう。そして、帰りたい家がもう存在しないことが、一番ネガティブなのかもしれない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】のぶ子/鈴木章 ○
「のぶ子」が48回登場し、「書けば書くほど、悲しくなる」で終わる詩。読み手にとって「のぶ子」と名前を見ても、当然、具体的な人物像は浮かび上がってこない。ただの記号、固有名詞である。だが作者にとっては、大変に特別な人物であり、悲しみの要因になるくらいなのだろう。自分も似た経験があるから、身にしみる。

【論考】考えなければ始まらない/池田晶子 ○
そう、考えなければ始まらないのである。そして、考え始めれば、当たり前に思っていたことが、いかに驚くべき不思議だったかに気づくはずだと筆者はいう。「考える」とは、多くの人がよくする「思い悩む」とも違っているとも指摘する。しかし、振り返ってみると、学校で勉強は教えてくれるが、考えることはきっと教えないのであった。


コナン・ドイル【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#143】


【5月22日】コナン・ドイル:1859.5.22~1930.7.7

ここに医者らしいタイプの紳士がいる。だが、どことなく軍人ふうのところもある。だから軍医にちがいない。顔はまっくろだが、手首が白いところを見ると生まれつき黒いわけじゃない。とすれば、熱帯地方から帰ったばかりだということになる。顔のやつれているのを見れば、だいぶ苦労した上に病気までしたことがわかる。左手にけがもしている。動きがこわばってぎごちないからだ。イギリスの軍医がこんな苦労をした上に、けがまでした熱帯地方というのはどこだろう。言うまでもなくアフガニスタンだ。これだけつづけて考えるのに、1秒もかからなかった。(『深紅の糸の研究』)

『シャーロック・ホウムズの冒険』林克己訳、岩波少年文庫、1985年、解説より

【アタクシ的メモ】
論理的な思考だけで、事態を解明していくというのは、個人的にどうしてもリアリティにかけると思ってしまう。様々な事柄で、選択肢が限られた時代ならいざしらず、現代においては、机上の空論、ご都合主義に感じてしますのだ。