時間は過ぎるものではなく、人々のリレー【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0148】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】なにも持っていない右腕/藤野可織 ○
舞台はコロナ禍を想定しているから、そもそも他者の意識が交錯することもなく、主人公の自意識のみが描かれている。それは「現在」を上手くすくい上げているのかもしれないが、読書としては、物語の声を聞くという点からは、物足りないというのが正直な印象だ。また、ただ一人の認識のみが示されているため、単純に単調でもある。

【詩・俳句・短歌・歌詞】朝のリレー/谷川俊太郎 ◎
少し前、夕陽を眺めていて、この詩を思い出したことがあった。言葉や文章というよりは、コンセプトを想起したのだ。ということは、私は文字よりも、概念として記憶していたことになるのだろうか。いずれにせよ、時間を地球上の人々がつないでゆくという考え、俯瞰力は驚嘆に値する。

【論考】駅/ロラン・バルト △
今回も、わかりづらい文章だった。前半は日本の駅は街の中心としてあるのではなく、マーケットなどすべてが詰め込まれていると述べる。いわやる駅ビルのようなもので、買い物の場所でもあるのは、確かに日本独自の駅のあり方かもしれない。ただ、後半については、何度も読んで解読不能だった。


メルロ=ポンティ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#122】


【5月1日】メルロ=ポンティ:1908.3.14~1961.5.3

現象学はバルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品と同じように、不断の辛苦である——おなじ種類の注意と驚異とをもって、おなじような意識の厳密さをもって、世界や歴史の意味をその生まれ出づる状態において捉えようとするおなじ意志によって。

『知覚の現象学』1、竹内芳郎・小木貞孝訳、みすず書房、1967年

【アタクシ的メモ】
現象学では、「現象を作り出すのは人間の認識である」というような考え方するようだ。「世界や歴史の意味をその生まれ出づる状態において捉えようとする」ということに集約できるのかもしれない。