何か得たいの知れないものがあり【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0135】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】今日この頃です/片岡義男 △
不条理とまではいかないが、特に会話が変な感じである。女性なのに男性のような言葉使いだったり、発言も人というより、ロポットみたいだったり。作者は何が言いたかったのだろう。タイト含め物語の真意がまったく分からなかった。個人的には、片岡さんに期待していたので、残念である。

【詩・俳句・短歌・歌詞】なにもそうかたを……/高橋元吉 ○
何事も合理的、論理的に説明できなくてもよいのではないかという提言。その主張自体には同意、共感する部分もあるが、かたをつけたいというのは、人間の本能、性でもあると思う。「何か得たいの知れないものがあり」については、角田さんの「ポケットのなか」に通ずるものがあり、シンクロを感じた。

【論考】既知・未知/外山滋比古 ○
既知のことを再認するのがA、未知のことを理解するのがBとする。とかく、AとBの区別が判然としないし、学校教育もAから始まり、いつの間にかBに移行していたりと、ないまぜになっている。ただ知的活動の中心は、Bにすべきであろうし、AとBの区別やどうやってBを実行するのかという方法論が重大だと感じた。


ベルクソン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#109】


【4月18日】ベルクソン:1859.10.18~1941.1.4

不意に目の前に差し迫った死の威嚇が現れてきた人びとには、崖から下へ滑る登山家や水に溺れる人や首を吊った人には、注意の急激な転換が生ずることがあるようです。――それまで未来に向けられて行動の必要に奪われていた意識の方向が変わったために、突然それらに対して関心を失うようなことが起こるようです。それだけでも十分に「忘れていた」何千という細かい事が記憶によみがえり、その人の歴史全体が目の前に動くパノラマとなって展開するのです。(「変化の知覚」)

『思想と動くもの』河野与一訳、岩波文庫、1998年

【アタクシ的メモ】
死の間際のいわゆる「走馬灯」、過去の様々な記憶がフラッシュバックすることを言っているのだろうか。それにしても、ベルクソンはどうしてここまで走馬灯を明言できるのか。


ああ、ヨットのようだ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0134】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ポケットのなか/角田光代 ◎
10年近くかけて「だいじょうぶ」という信頼感を夫婦で築いたが、ほんのささいな出来事から離婚に至ることに。そんなことでと思う反面、自分の妻との付き合いも20年以上になるなかで、実際に変化したり、ずれのようなものを感じることもあり、妙な納得感があった。小説に書かれていたが、私たちは、得たいの知れないものを抱えているのだ。

【詩・俳句・短歌・歌詞】土/三好達治 ◎
「蟻が/蝶の羽をひいて行く/ああ/ヨットのようだ」というわずか4行の詩。それでも、その光景は目に浮かぶし、ちゃんと私に訴えかけてくる。単純だけどと言うより、シンプルだからこそ強く伝わるのかもしれない。修飾をたくさんすればするほど、ぼやけてしまうのと同じなのだろう。

【論考】第一次的現実/外山滋比古 ○
現実には2つあると、筆者はいう。物理的現実の第一次的現実と頭の中にある第二次的現実だ。この第二次的現実は、いわばアカデミズムのことなのだろう。そのためか、第一次的現実に根差した創像的思考の必要性を説く。当時とは時代が変わり、現在はそうした傾向が強くなっていると思う。


小林一茶【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#108】


【4月17日】小林一茶:1763.5.5~1827.11.19

「親のない子はどこでも知れる。爪を咥へて門に立。」と子どもらに唄はるゝも心細く、大かたの人交りもせずして、うらの畠に木・萱など積たる片陰に跼(かがま)りて、長の日をくらしぬ、我身ながらも哀也けり。

  我と来て遊べや親のない雀  弥太郎 六才(『おらが春』)

『父の終焉日記・おらが春 他一篇』矢羽勝幸校注、岩波文庫、1992年

【アタクシ的メモ】
小林一茶自身が、幼いころ寂しく、辛い家庭環境にあったことを綴っているようだ。「我身ながらも哀也けり」と言っているが、大人になってこうして言葉にできていることから、ちゃんと乗り越えられたのかもしれない。


蟹がひとりで何か呟いている【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0133】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】悪い春 202X/恩田陸 ○
コロナ禍が色温く反映された内容であった。以前読んだ「悪い春」の続編的な立ち位置だとは思うが、やはりメッセージがなく、ちょっとした落ちだけがあった感じ。そのため、結局、何で読んだんだろうという気分に、させられてしまうのが残念だった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】蟹/三好達治 ◎
樋をのぼる蟹と入道雲との対比、ミクロからマクロへの視点の移動が、とても気持ちよかった。とても短い詩だし、本当に何げない情景を切り取っただけとも言えるが、非常に情感が豊かだと思う。実際に蟹が呟いて(泡を吹いて)いる姿や人道雲を見たことがあり、自分の経験に根差しているからだろうか。

【論考】ことわざの世界/外山滋比古 ○
「具体例を抽象化し、さらに、これを定型化したのが、ことわでの世界である」と、筆者はいう。創造的な思考において、あまりことわざの効用を考えてこなかった。抽象化、定型化されていることから、構造主義的にロジックを合てはめたり、比べられる点は、思考の整理になると思った。


パウル・クレー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#107】


【4月16日】パウル・クレー:1879.12.18~1940.6.29

色は、私を捉えた。自分のほうから色を探し求めるまでもない。私には、よくわかる。色は、私を永遠に捉えたのだ。私と色とは一体だ――これこそ幸福なひとときでなくて何であろうか。私は、絵描きなのだ。(1914年4月16日)

『クレーの日記』南原実訳、新潮社、1961年

【アタクシ的メモ】
画家、絵描きの矜持を感じる文章だ。日記といえども、「私と色とは一体だ」と言い切れるのは、ある意味うらやましい限りである。


へちまに見る生命の不思議さ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0132】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】サクラ/尾崎世界観 ○
登場人物に対して、ちょっと距離感のある独特な文体が心地よく、また一方で、没入できない感じもあり、不思議な読後感であった。会話などとてもリアリティーのある印象で、目に見えないもの、例えば心情などはぜビビッドに伝わってきたものの、情景描写が少ないため、風景は浮かんでこなかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】へちま/高橋新吉 ○
生命の不思議を、へちまに例えた詩だろうか。「お前は元々どこにもなかったものだ」と書かれている通り、生命以前に存在していたとすれば、それは無なのである。生命の不思議さを、もちろん解明するわけではないが、「うれしさ」と捉えている点で私はホッとしたのだった。

【論考】知恵/外山滋比古 ○
耳学間のススメ。やや大げさに言うと、暗黙知の積極的な習得といった感じだろうか。ただ今は、「ググれカス」の言葉がある通り、人伝えで知識や知見が広がりづらく、何でも検索で解決しようとすることが多いように思う。私個人は、人伝えが大事であり、効率もヨイと感じている。


ヘンリー・ジェームズ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#106】


【4月15日】ヘンリー・ジェームズ:1843.4.15~1916.2.28

あまり善良すぎることをするのはおやめなさいよ。少し気楽に、自然に、そして意地悪になさいな。一生に一度くらい、少し悪者になってみるのも、案外いいものよ。

『ある婦人の肖像』(下)、行方昭夫訳、岩波文庫、1996年

【アタクシ的メモ】
これは、人間が善良であり続けるための方便なのか。それとも、悪への誘惑なのだろうか。


幸福や愛は既に目の前に存在している【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0131】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】あんなカレーに……/小川哲 △
『アンナ、カレーニナ』と「あんなカレーに……な」というダジャレだけの内容。メッセージがないとしか思えないし、読むのが辛くなるばかりだった。普通のストーリーが書けないのだろうかと、創作の姿勢の方が気になってしまうし、出版社の編集方針にも疑問を感じる。

【詩・俳句・短歌・歌詞】夢みたものは……/立原道造 ○
自身が夢みた幸福や愛は、きっと目の前にあるよということか。幸福も愛も、自らが感じるしかなく、どこかからやって来るものではない。今いる状況や環境を受け入れ、その中でポジティブなものを見い出すしかないのだろう。逆に、不幸が存在しているわけではないのだ。

【論考】三上・三中/外山滋比古 ○
三上というのは、馬上、枕上、厠上のこと。三中は、無我夢中、散歩中、入浴中。いずれも創造的思考が働きやすい状況や状態を指している。すべてが机の前ではないのが面白い。逆から言うと、デスクに向かって思考を働かすのは、そもそも至難の業なのかもしれない。


レイチェル・カーソン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#105】


【4月14日】レイチェル・カーソン:1907.5.27~1964.4.14

自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶるからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマドリ、スグロマネシヅク、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音一つしない。野原、森、沼地――みな黙りこくっている。

『沈黙の春』青樹簗一訳、新潮文庫、1992年

【アタクシ的メモ】
筆者が見た自然の様子を、端的に描いている。引用の分量は、そんなに長くないが、沈黙の様子が生々しく感じる。