へちまに見る生命の不思議さ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0132】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】サクラ/尾崎世界観 ○
登場人物に対して、ちょっと距離感のある独特な文体が心地よく、また一方で、没入できない感じもあり、不思議な読後感であった。会話などとてもリアリティーのある印象で、目に見えないもの、例えば心情などはぜビビッドに伝わってきたものの、情景描写が少ないため、風景は浮かんでこなかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】へちま/高橋新吉 ○
生命の不思議を、へちまに例えた詩だろうか。「お前は元々どこにもなかったものだ」と書かれている通り、生命以前に存在していたとすれば、それは無なのである。生命の不思議さを、もちろん解明するわけではないが、「うれしさ」と捉えている点で私はホッとしたのだった。

【論考】知恵/外山滋比古 ○
耳学間のススメ。やや大げさに言うと、暗黙知の積極的な習得といった感じだろうか。ただ今は、「ググれカス」の言葉がある通り、人伝えで知識や知見が広がりづらく、何でも検索で解決しようとすることが多いように思う。私個人は、人伝えが大事であり、効率もヨイと感じている。


ヘンリー・ジェームズ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#106】


【4月15日】ヘンリー・ジェームズ:1843.4.15~1916.2.28

あまり善良すぎることをするのはおやめなさいよ。少し気楽に、自然に、そして意地悪になさいな。一生に一度くらい、少し悪者になってみるのも、案外いいものよ。

『ある婦人の肖像』(下)、行方昭夫訳、岩波文庫、1996年

【アタクシ的メモ】
これは、人間が善良であり続けるための方便なのか。それとも、悪への誘惑なのだろうか。


幸福や愛は既に目の前に存在している【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0131】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】あんなカレーに……/小川哲 △
『アンナ、カレーニナ』と「あんなカレーに……な」というダジャレだけの内容。メッセージがないとしか思えないし、読むのが辛くなるばかりだった。普通のストーリーが書けないのだろうかと、創作の姿勢の方が気になってしまうし、出版社の編集方針にも疑問を感じる。

【詩・俳句・短歌・歌詞】夢みたものは……/立原道造 ○
自身が夢みた幸福や愛は、きっと目の前にあるよということか。幸福も愛も、自らが感じるしかなく、どこかからやって来るものではない。今いる状況や環境を受け入れ、その中でポジティブなものを見い出すしかないのだろう。逆に、不幸が存在しているわけではないのだ。

【論考】三上・三中/外山滋比古 ○
三上というのは、馬上、枕上、厠上のこと。三中は、無我夢中、散歩中、入浴中。いずれも創造的思考が働きやすい状況や状態を指している。すべてが机の前ではないのが面白い。逆から言うと、デスクに向かって思考を働かすのは、そもそも至難の業なのかもしれない。


レイチェル・カーソン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#105】


【4月14日】レイチェル・カーソン:1907.5.27~1964.4.14

自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶるからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマドリ、スグロマネシヅク、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音一つしない。野原、森、沼地――みな黙りこくっている。

『沈黙の春』青樹簗一訳、新潮文庫、1992年

【アタクシ的メモ】
筆者が見た自然の様子を、端的に描いている。引用の分量は、そんなに長くないが、沈黙の様子が生々しく感じる。


思えば遠くへ来たもんだ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0130】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】新元号二年、四月/磯﨑憲一郎 △
カフカの小説の話から始まり、改元について、気づけば「私」という一人称が登場してきて、都内を移動しつつ 、北杜夫の引用で終わる。文章は淡々と進むが、読者が理解できるコンテクストは示されないので、ただただ目の前にある文字を追うだけになってしまう。シンプルに、何を言われているかも分からないため、読後感もよくなかった。やはり受け手にとって、「分かる」ということはとても大事だと思う。

【詩・俳句・短歌・歌詞】頑是ない歌/中原中也 ○
詩の冒頭に出てくる「思えば遠くへ来たもんだ」は印象的なフレーズである。海援隊の歌もあるが、もちろんこちらがオリジナルのようだ。詩にある通り、若い頃に思っていたような将来にはならないのである。少し前、中学生の頃に住んでいたつくばに行ったが、街自体も変わるし、見え方や認識が、現在とは全く別だったことを思い出した。私は、あの時の私ではいられないのだ。

【論考】垣根を越えて/外山滋比古 ○
前回の続きで、会話するにも、インブリーディング(同系繁殖)を避けようという主旨である。インターディシプリナリー(学際研究)という言葉も出てくるが、境界を越えた学問は、ある意味、今は当たり前になっているのではないか。当然になりすぎて、学問の数が増え、収拾つかなくなっているようにも思える。


ベケット【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#104】


【4月13日】ベケット:1906.4.13~1989.12.22

私はどこへ行こうか、もし行けるなら。
誰になろうか、もしなれるなら。
何を口にしようか、まだあるなら。
そう言っているのは誰だ、私だと言っているのは?(「反古草紙」)

ジョン・バクスター『ウディ・アレン・バイオグラフィー』田栗美奈子訳、作品社、2002年より

【アタクシ的メモ】
ベケットは戯曲『ゴトーを待ちながら』の著者。前衛的な作品を数多く残したそうだ。この引用文も、人間の一般的な論理性や行動原理と少しずれがある感じで、読み手の心を緩やかに揺れ動かしてくる。


三人寄れば文殊の知恵【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0129】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】AHOYH/阿部和重 △
ウェブカメラやスマホのカメラから見えることがストーリーとして語られる。その後。無名の視聴者も登場人物になっていく(急に神の視点)。児童虐待も一瞬トピックに上がるものの、物語はポケモンGOのレアキャラ、アンノーンを捕まえられないんかという突っ込みで終わる。カメラの中の人とオンラインでしかつながらない傍観者との関係性を描きたかったのかもしれないいが、自分的には完全に不発だった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】愛/谷川俊太郎 △
何度も読んだが、自分の中で意味を形成できなかった。そうした点では、評価できないでいる。ちょっとネットで調べてみると、「あい」という詩も谷川さんは書いているようだ。むしろ、この「愛」はパッと見つからない。自分の読解力や感性だけでは理解できないのだ。

【論考】談笑の間/外山滋比古 ○
一言と言えば、三人寄れば文殊の知恵という話。ただ重要なのは人数ではなく、どんな人と集まるのかということ。知的であることはもちろんだが、フラットな関係性は欠かせないだろう。一方で、今なら何でも検索エンジンや対話型AIに聞くのが主流だ。その手法を100%否定するつもりはないが、自身の知的創造性のレベルが上がらない要因だと思っている。


ヘロドトス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#103】


【4月12日】ヘロドトス:前484頃~前425頃

陣立てを終わり犠牲の卦も吉兆を示したので、アテナイ軍は進撃の合図とともに駆け足でペルシア軍に向かって突撃した。両軍の間隔は八スタディオンを下らなかった。ペルシア軍はアテナイ軍が駆け足で迫ってくるのを見て迎え撃つ態勢を整えていたが、数も少なくそれに騎兵も弓兵もなしに駆け足で攻撃してくるのを眺めて、狂気の沙汰じゃ、全く自殺的な狂気の沙汰じゃと罵った。ペルシア方はアテナイ軍の行動をこのように受け取ったのであったが、一団となってペルシア陣内に突入してからのアテナイ軍は、まことに語り伝えるに足る目覚ましい戦いぶりを示したのである。

『歴史』(中)松平千秋訳、岩波文庫、1972年

【アタクシ的メモ】
アテナイ軍とペルシア軍の戦いの様子。2000年以上前の遠く離れた場所での出来事が、テキストで目の前に提示され、またそれを理解できるという、言葉のマジックとでも言うべき力に驚いている。


僕たちのくらしを生きる【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0128】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】20×20/山本文緒 ○
タイトルの「20×20」は原稿用紙のことか。読み終わって、あれこれ考えていたら気がついた。主人公は作家だけれど、ストーリーはとても小さい。というか、非常に個人的である。大きく、壮大な物語よりも、小さく、個人的なことを語る方が、現代的だろう。途中、「陰毛の生え方まで知っている」とあったが、それは相手を知るうえで、あまり知りえないことではあるが、重要な事柄ではないように感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】くらし/石垣りん ◎
自分がただ生きるためにも、多くの犠牲があると改めて認識させられた。人間的、時間的、物質的に。過去、全くの無駄がなく生きられないだろうかと、思案することもあったように思うが、それはもう諦めてしまった。そもそも、自分自身が生きていることも、無用とは言わないが、大いなる無駄ではないか。

【論考】しゃべる/外山滋比古 ○
創作活動におけるしゃべることの功罪。最近はしゃべることを苦手に感じていたので、個人的にはメリットばかりだと思っていた。編集者は作家になれないという指摘は、自分自身の経験としても理解できる。やはり簡単に発散せず、内なるマグマを溜めておくべきなのだろうか。溜まったら、自分の意見として発信する(しゃべる)ことで、昇華されていくのかもしれない。


中谷宇吉郎【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#102】


【4月11日】中谷宇吉郎:1900.7.4~1962.4.11

住みついてみると、北海道の冬は、夏よりもずっと風情がある。風がなくて雪の降る夜は、深閑として、物音もない。外は、どこもみな水鳥のうぶ毛のような新雪に、おおいつくされている。比重でいえば、百分の一くらい、空気ばかりといってもいいくらいの軽い雪である。どんな物音も、こういう雪のしとねに一度ふれると、すっぽりと吸われてしまう。耳をすませば、わずかに聞こえるものは、大空にさらさらとふれ合う雪の音くらいである。(「貝鍋の歌」)

『中谷宇吉郎随筆集』樋口敬二編、岩波文庫、19年88

【アタクシ的メモ】
北海道で暮らした夜、貝鍋やほっけを楽しんだ様子を書き綴ったようだ。引用の箇所はその冒頭。降雪によって音が吸収され、辺りが物静かになることを表現している。