パチンコは集団的で、一人ぼっち【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0145】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】水曜日の山/津村記久子 ○
物語全体にコロナ禍が通底する中で、いくつかのエピソードが言られる。ただ、読む方が悪いだけかもしれないが、話が散漫な感じがして、ストーリーのつながりを感じなかった。冒頭の自転車をひいてしまいそうなるのも、どうして書かれていたのだろろ。表現、描写自体も、結構わかりづらかったし。

【詩・俳句・短歌・歌詞】タぐれの時はよい時/堀口大學 ○
タイトルにもなっているが、一番言いたいのは、「夕ぐれの時はよい時/かぎりなくやさしいひと時」なのだろう。だが、その説明も冗長で、ロジックにもなっていないから、なぜそう言うのが腑に落ちなかった。やや悪く言いすぎかもしれないが、言葉を継げば継ぐほど、詩の内容がぼんやりしてしまったように思う。

【論考】パチンコ/ロラン・バルト ○
現在のパチンコ(スロット)は、随分様変わりしているが、集団的で、しかも一人ぼっちな点など、とても日本的(非西洋的)なものに見えたのだろう。だが、筆者の分折力や洞察力は、それほど感じなかった。どうであるかばかり語っていたと思うからだ。とは言え、見知らぬものでも、ちゃんと見つめる姿勢は、見習うべきだろう。


中里介山【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#119】


【4月28日】中里介山:1885.4.4~1944.4.28

大菩薩峠は江戸を西に距る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。
標高六千四百尺、昔、貴き聖が、この嶺みねの頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を湿おし田を実らすと申し伝えられてあります。(『大菩薩峠』)

『中里介山全集』第1巻、筑摩書房、1970年

【アタクシ的メモ】
中里介山の代表作『大菩薩峠』の冒頭部分を引用したようだ。単なる場所の説明だとも言えるが、視点が高いところにあるようで、趣が感じられると思った。


戦争で殺すのはきょうだいなのか、敵なのか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0144】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】非美人/月村了衛 ○
単純化してまとめると、憧れていた人の美しくない姿を見て、それだけが忘れられないという話。それは理解できるのだが、小説にはならないだろうと思った。好意を寄せる理由もそれぼど深さがなかったし、なぜ興がさめてしまったのかも納得はできなかった。エピソードトークでしかなかったかもしれない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】きょうだいを殺しに/高良留美子 ○
争いに賛成しているわけではないが、今現在、反戦の詩を読むと、絶対的に反論できない窮屈さがある。こうした詩に、私たらは逆らえなくなっている。正しい主張なのかもしれないが、自由ではないだろう。一方で、「きょうだい」という言葉は「人類みな兄弟」と言わんとしていることは同じなのか。

【論考】すきま/ロラン・バルト △
読めば読むほど、よく分からなくなるというのが、正直な所。すきまとは何なのか、なぜうなぎの料理が語られ、《天ぷら》りが取り上げられるのか。確かに西洋(フランス)と日本は違っている。とは言え、それらの違いを示されただけでは、具体的なメッセージまでたどり着けないのだろう。


ラ・ブリュイエール【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#118】


【4月27日】ラ・ブリュイエール:1645.8.16~1696.5.10

幸福になる前に笑っておかなければならぬ。笑わぬうちに死んでしまうようなことにならぬとも限らないから。(第4章 心情について)

人間にとっては唯三つの事件しかない。生まれること、生きること、死ぬこと。生まれる時は感じない。死ぬ時は苦しい。しかも生きている時は忘れている。(第11章 人間について)

『カラクテール』(上)(中)、関根秀雄訳、岩波文庫、1952-53年

【アタクシ的メモ】
言葉の切れ味が鋭すぎて、驚くと同時に、ラ・ブリュイエールに強く興味が沸いた。引用元の『カラクテール』は、古代ギリシア哲学者デオフラストスの翻訳でもあるようなので、デオフラストスの『人さまざま』も読んでみたくなった。まさに知の数珠つなぎである。


昨日はどこにもありません【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0143】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】旅の熱/高山羽根子 △
小説、ストーリーというより旅のエッセー、日記のような文章。一人称形式で書かれているが、私も僕も出てこないこともあり、人の顔が浮かび上がってこない。時間軸もあちこち行ってしまうし、淡々とした書き方で、体温や熱も感じられなかた。せっかく読んでいるのだから、ほんの少しでも心ない動く箇所があるとよかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】昨日はどこにもありません/三好達治 ○
タイトルである「昨日はどこにもありません」を、何度も繰り返す。ぼんやりと共感するというか、言いたいことが分かるような気もするが、作者のメッセージがビビッドに伝わってくるわけではない。「今日」や「今」だけが、存在すると言いたいのだろうか。ある瞬間は、まさにその瞬間だけ存在し、そしてすぐに消滅すると主張したいのだろうか。

【論考】中心のない食物/ロラン・バルト ○
筆者は、日本料理には《中心》がないと指摘する。食べる順番なども決まっておらず、断片のコレクションにすぎないという。そして、その例として《すき焼き》を取り上げる。なまの材料が持ち込まれ、食卓で調理される点も《中心》のなさのようだ。料理の「作る」と「食べる」が一緒くたなのも日本独自だと述べている。


デフォー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#117】


【4月26日】デフォー:1660頃~1731.4.26

ある日のことであった。正午ごろ、舟のほうへゆこうとしていた私は海岸に人間の裸の足跡をみつけてまったく愕然とした。砂の上に紛れもない足跡が一つはっきりと残されているではないか。私は棒立ちになったままたちすくんだ。まさしく青天のへきれきであった。それとも私は幽霊をみたのであったろうか。耳をすまし、あたりを見まわしたが、なにも聞こえなかった。なにもみえなかった。もっと遠くをみようと、小高いところにもかけ登った。浜辺も走りまわった。しかしけっきょくは同じで、その足跡のほかはなにもみることはできなかった。

『ロビンソン・クルーソー』(上)、平井正穂訳、岩波文庫、1967年

【アタクシ的メモ】
主人公ロビンソンは乗っていた船が難破し、無人島に漂着。そこで誰にも頼らず、28年間に渡って生き抜くという苛酷な体験をしたようだ。それであれば、人の存在を予感させるものに出会えば、とても興奮するだろう。


箸はおびただしい機能をもっていて【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0142】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】終電過ぎのシンデレラ/新庄耕 ○
きちんと書かれた小説だと思う半面、情景が上手くイメージできず、何だか苦労して読んだ感じがある。全体を通じて、少しずつ設明が足りないのではないか。タイトルである終電後、駅に現れる女性も、シンデレラというあだ名と、ちょっとした行動のくせしか情報がないため、読み手としても人物像が想像できなかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】まんきい/金子光晴 ○
父親が娘に対して、その心情を詠んだ詩である。自分にも娘がいるから、もちろん気持ちはわかるが、もう少し冷静になった方がよかったのではないか。我が娘である『若葉』が大切なのも理解できる。それでも、特定の人物だけに語りかけていると、読み手との共通点を手放してしまうように思った。

【論考】箸/ロラン・バルト ○
今回は箸について。冒頭のバンコクとの対比は、やや意味不明であった。箸には様々な機能があると筆者は語る。それは、指示する機能、つまむ機能、くずす機能、運ぶ機能だという。おびただしい機能という表現もあったが、確かにフォークやナイフと比べると多機能ではあると思う。


与謝蕪村【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#116】


【4月25日】与謝蕪村:1716~1783.12.25

青楼の御意見承知いたし候。御尤もの一書、御句にて小糸が情も今日限に候。よしなき風流、老の面目をうしなひ申候。禁すべし。さりながらもとめ得たる句、御披判可被下候。
  妹がかきね三線草の花さきぬ
これ、泥に入て玉を拾ふたる心地に候。此ほどの机上のたのしびぐさに候。(弟子道立書簡、天明3年4月25日)

大谷晃一『与謝蕪村』河出書房新社、1996年より

【アタクシ的メモ】
検索などでも調べ、何度も読んで、色々と読解を試みたが、全文の意味はわからないままであった。それでも、引用の箇所は、どうやら小糸という若い女性に蕪村が熱を上げていて、別れることに決めたときの書簡のようだ。やれやれ。


死は悲しみではなく、摂理【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0141】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】通話時間 4時間49分3秒/島本理生 ○
お洒落な文体。ただ、私自身は好きではない。人の息使いのようなものが、まり伝わってこないからだ。小説の内容は、ふとしたきっかけでかかってきた電話で、気づけば5時間近く話し込んでしまったというもの。コロナによって、人とのつながりが疎遠になっている状態を前提としているようだ。個人的には、電話代は大丈夫なのかと思ってしまった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】父に/江國香織  ◎
言葉や文章を飾り気はないものの、胸に迫るものがあった。詩というよりも、何か人が思わずつぶやいたことを、無心に書きとめた感じでもある。人は永遠に生きつづけられない。父や母も死ぬが、いつか私も死に、そのまた先では、子どもたちも死を迎えるだろう。それは悲しみではなく、摂理なのだ。

【論考】水と破片/ロラン・バルト △
タイトルは水と破片だが、日本料理について述べられている。「食膳は一幅の絵に似ている」と「《筆致》という肉体と開係する性質」が、日本料料理の特質だという。そうは言われても、難解な表現なので、頭の中で具体的なイメージは浮かばない。その他の部分も、いつも通り、いくら読んでも理解が進まなかった。


ボルヘス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#115】


【4月24日】ボルヘス:1899.8.24~1986.6.14

大乗仏教の哲人たちは、宇宙の本質は空であると説いている。同じ宇宙の一小部分であるこの本に関する限り、彼らの言うところはまったく正しい。絞首台や海賊たちがこの本をにぎわわしており、標題の「汚辱」という言葉は大仰だが、無意味な空騒ぎの背後には何もない。すべて見せかけに過ぎず、影絵に等しいのである。だがほかならぬその理由が、面白さを保証するだろう。(「汚辱の世界史」1954年版、序)

『砂の本』篠田一士訳、集英社文庫、1995年

【アタクシ的メモ】
「無意味な空騒ぎの背後には何もない。すべて見せかけに過ぎず、影絵に等しいのである」というのは、この宇宙についてなのか、汚辱についてなのか。