そうよ かあさんも ながいのよ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0175】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】街の仕事/リディア・デイヴィス ○
現実の社会を切り取っただけだから、と言われたら、その通りなのかもしれないが、職業差別的な、あるいは差別的な記述が多いと感じられ、読んでいて気持ちのヨイものではなかった。著者は何を伝えたかったのだろう。スチールカメラを覗き、社会のその瞬間のスナップショットを撮ったということか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ぞうさん/まど・みちお ○
誰もが知る詩である。あまり謎はないと思ていたが、改めて読んでみると、なぜすきなのは「かあさん」なのか、よく分からなくなってきた。人間も子どもは、特に母親に愛情を感じがちだと言われるものの、かあさんしか出てこないことに、やや違和感がある。

【論考】わが闘争/池田晶子 ○
今でこそ、池田晶子さんは書店にコーナーが作られていることも多く、世間的にも認のられていると思うが、書き始めたころは、編集者を敵だと考えていたというのは、やや驚きである。とは言え、編集者や出版社も多種多様であり、認めてくれる人もいるのが現実。誰でもヨイわけではなく、改めて相手を選ぶことが大切だなぁと思った。


コンラート・ローレンツ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#149】


【5月28日】コンラート・ローレンツ:1903.11.7~1989.2.27

攻撃は元来健全なもの、どうかそうあってほしいと思う。だがまさに攻撃衝動は本来は種を保つれっきとした本能であるからこそ危険きわまりないのである。つまり本能というものは自発的なものだからだ。もし攻撃本能が、多くの社会学者や心理学者たちが考えたように、一定の例外的条件に対する反応に過ぎないのであれば、人類の形状はこれほど危うくなりはしなかったろう。もしそうなら、反応を引き起こす諸原因をつきとめて、取り除くこともできよう。

『攻撃 悪の自然誌』日高敏隆・久保和彦、みすず書房、1985年)

【アタクシ的メモ】
現在の日本では、攻撃などが絶対悪と見做されていると思う。何らかの攻撃が処罰されるといったことは、法治国家として適切だと思うが、人に攻撃の衝動があり得るということは、認めるべきだと思う。後は、それぞれの人が、その衝動をどのようにコントロールするかということだ。


どうして哲学なのか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0174】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ワシーリィの生涯のためのスケッチ/リディア・デイヴィス ○
川で桃が流れてくるほどではないにしても、ストーリーらしきものがあまりないのは、苦手だし、やはり読みづらい。その内容も、家族たちが赤の他人であったら、誰ひとり友人に選ばないという、悲しい終わり方である。そして、主人公が食べかけていたサンドイッチを、寝ている間に犬が食べてしまうところに、何か救いのようなものが、あるのかもしれないと感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】崖/石垣りん ○
サイパン島の崖の上から、身を投げた女性たちのための詩。「ゆき場のないゆき場」という表現がとても悲しく感じる。最後の連では「まだ一人も海にとどかないのだ。/十五年もたつというのに」と語られる。この部分は、正直言って解釈できないでいる。死んでも死にきれないということだろうか。

【論考】どうして哲学なのですか/池田晶子 ○
もともとはビジネス誌向けに書いた没原稿だという。「なんで私なんですか」と聞いたようだが、そこからもう池田さんらしい感じである。ただ、時代が変わっていることもあって、今ならビジネスパーソンであっても、哲学は必要になっていると思うし、筆者が言うほど役に立たないわけではないと感じる。


ネルー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#148】


【5月27日】ネルー:1889.11.14~1964.5.27

大衆を飢餓と不潔と無知に安住させておくことにかまけているような宗教に私は関わりをもちたくない。人びとはこの世でもっと幸福になりもっと文明に浴することができるし、真の人間、わが運命の主、わが心の長になることができるのだ。宗教的であれ何であれ、そう人びとに説かぬようなどんな集団とも私は関わりを持ちたくない。

エドガー・スノウ『始まりへの旅』1958年(『オクスフォード引用句辞典』所収、編者訳出)

【アタクシ的メモ】
とても真っ当な発言である。人間に幸福をもたらそうとしない宗教や経済活動は、非常に志が低いと思う。自社に売上があがり、利益がでさえすればヨイと考えるビジネスパーソンは、残念ながら思った以上に多いと思う。


その時がきた、しかたがない【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0173】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】私に関するいくつかの好ましくない点/リディア・デイヴィス ○
この作者の男女は、いつも関係が上手くいっておらず、コミュニケーション不全ばかりである。「彼を嫌な気持ちにさせるものが私の中にあると聞かされるのはつらかった」という感じだ。女性は、自分なりに嫌な気持ちにさせるものを考えるのだが、しっくりくるくるものはない。コミュニケーシュンの問題は、必ず個別になるであろうから、「正しい答え」はきっと見つからないのだ。

【詩・俳句・短歌・歌詞】雪崩のとき/石垣りん ○
四季が移ろいゆくように、社会や人は必然的に変化してゆくのだろうか。この詩の作者は、その変化の胎動を、「その時がきた」「しかたがない」という人々の心のうちに見て、指摘している。雪崩は、とても小さな崩れから起きるようだが、世の中の変化も一人ひとりの心が変わり、ある意味で不可逆な結果を導びくまで、進んでしまうのだろう。

【論考】崩壊願望/池田晶子 ○
「生命は尊くも卑しくもない自然現象です」と筆者は言う。この前提に我々は立つべきだし、この前提に立つと、人間の意志がどこにあるのかが問題になる。この論考では言及されていないが、それでも理由なく、人は意志すべきなのかもしれない。多くの自然発生的な意志が、社会を存続させ、変化を生み出しているように思う。


ハイデガー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#147】


【5月26日】ハイデガー:1889.9.26~1976.5.26

思索は言葉をとり集めて単純な語りにする。言葉は存在の言葉である、雲が空の雲であるように。思索はその語りでもって、言葉のうちに目立たぬ畝を切る。その畝間は、農夫がゆったりとした足どりで畑に切っていく畝間よりももっと目立たないものなのだが。

『ヒューマニズム書簡』編者訳出

【アタクシ的メモ】
何を言おうとしているのか、ちょっとよくわからない。思索によって、言葉が整理され、何らかの方向性(意見)が生まれるということだろうか。


「モノからココロへ」【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0172】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】骨/リディア・デイヴィス ○
パリに暮らしていた男女(その当時は夫婦だったよう)が、ある晩、魚の骨がのどにひっかかってしまい、医師に抜いてもらうという、これもやはり短いストーリー。あったこと(もしかすると、筆者の実話かもしれない)を、淡々と綴っているのだが、何とも言えない味、魅力のにじむ作品だと思う。ありふれた小さな物語でも、読み手の心を動かせるのかもしれないと可能性を感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】おんなのことば/茨木のり子 ○
きっと昭和の気分を色濃く描写した詩である。タイトルにある通り、女性が語る言葉について書かれているのだが、ステレオタイプの発言ではなく、本心、本音、心からの言葉を発すべきだと作者はいう。今は世の中も大きく変化し、こうした詩の出番はなくなっているだろう。だが、書かれた時にはきっと必要だったのだと思う。

【論考】新・唯心論/池田晶子 ○
筆者は、「モノよりココロ」「ココロがあるからこそ満たされる」と明言する。初出が1990年だから(しかも電通の媒体!)、その当時はきっと、かなり突飛な意見に映ったのではないだろうか。しかし、今では「モノからコト」とも言われるように、物質ではないものにこそ、価値を見い出すようになっている。池田さんが30年進んでいたというよりも、多くの日本人が本質から横に外れて暮らしていたのではないだろうか。


ロバート・キャパ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#146】


【5月25日】ロバート・キャパ:1913.10.22~1954.5.25

暁闇の中、爆弾で噴火口のようにあけられた穴だらけの道にクリスが目をこらしているあいだに、私はふと先刻の写真をとりだしてみた。それらは、ちょっとピンぼけで、ちょっと露出不足で、構図は何といっても芸術作品とはいえない代物であった。けれどもそれらは、シシリヤ攻略を扱った限り、唯一の写真であり、海上部隊の写真班が、海岸からなんとか、発送の手配をつけたものよりも幾日か早いにちがいないのである。(「シシリヤの空中に浮かぶ」)

『ちょっとピンぼけ』川添浩史・井上清一訳、文春文庫、1979年

【アタクシ的メモ】
例えば写真の価値を決めるのは、ピントの合い方や露出、構図といった重要と思われる要素だけではないということか。被写体を写したものが、その写真しか存在しなければ、たとえピンぼけであっても、価値が生まれるのだろう。


早くわたしの心に橋を架けて【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0171】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】秋のゴキブリ/リディア・デイヴィス ○
ゴキブリについて、数行程度の記述がくり返される。これは明らかに小説らしくない。物語ではなく、ゴキブリの感想、意見表明といったところだろうか。その中で、私が気になったのは、「彼はまるで厚みをもった影だ」という文。どうして人が、それほどゴキブリを気にするのかを、端的に表現している気がする。

【詩・俳句・短歌・歌詞】あほらしい唄/茨木のり子 ○
「あほらしい」とは言っているが、男性に対する愛の詩である。「早くわたしの心に橋を架けて」と願う部分は、とても異色だと思うし、興味深いと感じた。今とは時代が違い、女性から積極的にアプローチしないことを前提にしているせいかもしれない。ただ、もし愛情を感じるなら、本来待つ必要はないのだ。

【論考】孤独の妙味/池田晶子 ◎
改めて読んで、筆者のメッセージを一言でまとめることに難しさを感じた(誰かに頼まれているわけでもないのだが…)。スッキリと文章を理解できているわけでもないし、そもそも単純にまとめられる主張でもないからだ。それでも、一文だけ引用するとなると、「宇宙は自分として存在する」であろうか。自分という存在の不可思議さのしっぽをつかんだだけのようではあるが。


朱子【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#145】


【5月24日】朱子:1130~1200

文字は汲汲として看るべし。悠悠たるは得からず。急ぎ看て、方はじめて前面に看し底に接し得。若し放漫なれば、則ち前面の意思と相い接せず。某の文字を看るや、看て六十一歳に到り、方めて略ぼ道理を見得ること恁地のごときを学ぶ莫れ。

本は倦まずたゆまず読むべきで、のんびりやっていたんでは駄目だ。急ぎ読んでこそ、さきに読んだものとつながってくる。もしのんべんだらりにやっておれば、さきの意味とつながらなくなる。私など本を読むのに、六一歳まで読んできて、やっとあらまし道理がこのように見えてきたが、こういう様を真似てくれるな。

吉川幸次郎・三浦國雄『朱子集』(『中国文明選』3、朝日新聞社、1976年)

【アタクシ的メモ】
ここ最近、毎日のように本を読んでいるが、それによって「さきに読んだものとつながってくる」ことを実感している。毎日ではないにしても、「たゆまず」続けることは、とても重要だと思う。