内村鑑三【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#044】


【2月13日】内村鑑三:1861.2.13~1930.3.28

神を見ると夢幻にかれを見るということではない、また神秘的にかれを感ずるということでもない、神を見るとはイエスキリストを真の神として認むることである。かの最も不幸なる人、かの罪人として十字架に懸けられ、エリエリラマサバクタニの声を発しながら息絶えし人、かの人を神と認むるをえて、人生のすべての問題の解決はつくのである。神を見るとは実に神を見ることである、わが罪を担うてわれに代わりて屈辱の死を遂げ給いし人なるイエスキリストを神として認むることである。(「神を見ること」)

『内村鑑三所感集』鈴木俊郎編、岩波文庫、1973年

【アタクシ的メモ】
自分はキリスト教徒ではないせいか、トートロジーに感じる。「イエスキリストは神だから神なのだ」というような。「真の神」という表現も、真ではない神がいるようで、やや違和感がある。