自分が今ここに存在する奇跡【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0100】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】旅する本/角田光代 ◎
事実に基づいているのか、フィクションなのかは分からないが読んでいるだけで、ワクワク、ドキドキした。本ではないが、よく会う人、モノもあったりするので、そうした自分の体験も思い出された。角田さんの文章を読むのは、とても久しぶりだったが、読みやすいし、気持ちもよかった。主人公の変化、成長を感じらたのもヨイ印象である。

【詩・俳句・短歌・歌詞】リンゴ/まど・みちお ◎
リンゴという題名だが、ある空間に存在できる存在者はたった一つであるということを詠んだ存在論的な詩である。一つの存在者が空間を専有するという摂理を、「あることと/ないことが/まぶしいように/ぴったりだ」と表現している。私にとっては驚きであったが、作者は明るい光ととらえたのだろう。

【論考】宗教/池田晶子 ◎
宗教を基点にして、神とは何か、自分が存在するとは何かといったことが語られている。自分が今ここに存在している奇跡に気づけば、神ではなく自分を待じられるだろうという。そう、私たちは、絶対的、超越的な神ではなく、自分を信じなければならない。そうすることで、時に苦しい自身のどんな人生でも受け入れられるのだ。


マルクス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#074】


【3月14日】マルクス:1818.5.5~1883.3.14

自然の人間的本質は、社会的人間にとってはじめて現存する。……ここにはじめて人間の自然的なあり方が、彼の人間的なあり方となっており、自然が彼にとって人間となっているのである。それゆえ、社会は、人間と自然との完成された本質統一であり、自然の真の復活であり、人間の貫徹された自然主義であり、また自然の貫徹された人間主義である。

『経済学・哲学草稿』城塚登・田中吉六訳、岩波文庫、1964年

【アタクシ的メモ】
この草稿における「人間的」「社会的」「自然的」の意味、「社会」「人間」「自然」の関係性がはっきりしないので、この引用だけでは、何を主張しているのかよくわからない。ただ、「人間」と「自然」とを分断し、対立として考えていそうな点は、あまり賛同できない。


内に向かって、外へ抜ける【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0099】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】巣に帰る/ルシア・ベルリン △
自分の読解力にも問題があるのだろうが、いくら読んでも情景がイメージできなかった。解説文を読むと、原文ならではの良さもあるようだ。今回は諦めるが、いつかりベンジしたい。続編のような短編集が、もう一冊あるようなので、それにチャレンジしてみようか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】象/高村光太郎 △
象を飼う人間たちへの反乱の詩なのだろうか。しかし、現実なのか、象の想いの代弁なのかもわからない。最初と最後の行の「象はゆっくり歩いてゆく」以外は、どれも象による一人称であるのも、やや違和感。意図的なのだろうが、私にはその効果は感じられなかった。

【論考】宇宙/池田晶子 ◎
池田さんが書く文章で、宇宙の話はやや苦手にしている。「内に向かって、外へ抜ける」「自分を知るため内界に向かうと無限へ通ずる」といった言説が、腑に落ちていないのである。カントの上なる星空と、内なる道便律と同じなのだろうが、感覚的にしか理解できないのだ。


ブーバー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#073】


【3月13日】ブーバー:1878.2.8~1965.6.13

メロディーは音から成り立っているのではなく、詩は単語から成り立っているのではなく、彫刻は線から成り立っているのではない。これらを引きちぎり、ばらばらに裂くならば、統一は多様性に分解されてしまうにちがいない。このことは、わたしが〈なんじ〉と呼ぶひとの場合にもあてはまる。わたしはそのひとの髪の色とか、話し方、人柄などをとり出すことができるし、つねにそうせざるを得ない。しかし、そのひとはもはや〈なんじ〉ではなくなってしまう。(『我と汝』)

『我と汝・対話』植田重雄訳、岩波文庫、1979年

【アタクシ的メモ】
同一性について語っているのだろうか。なんじ(あなた)を構成する要素を分解してしまうと、自己同一性は保てなくなる。ただ、それが単なる数多ある組み合わせのうちの一つであるという確率論ではないと、私は考える。


人間の意志を超えている力【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0098】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】あとちょっとだけ/ルシア・ベルリン △
ちょっと公私ともに悩みが多い状態だということもあってか、文字を目で追っていても、ほとんど内容が頭に入ってこなかった。だからといって、何度も読む気にもならない。夫を先に亡くした女性の物語。作者本人の経験に基づいているだろう。生きている人にできるのは、故人を思い出すことくらいなのか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】自分はいまこそ言おう/山村暮鳥 △
自分の人生は一回きりだから、のろくても休まず生きてゆくという宣言をしているようだ。それ自体に反論はないが、どうしてそうしたて生き方を詩の中で、“いま”こそ言い出さなければならないのかが、理解できなかった。作者のモケベーションがわからなかったのだ。

【論考】自然/池田晶子 ◎
人間対自然という考え方に違和感があったので、人間の体は自然であるという説明を読んで、何だかホッとした。また「自然というのは、人間の意志を超えているカのことを言うんだ」という文にも、非常に納得。多くの人が、自分たちの意志で生きていると考えすぎなのではないか。


伊東静雄【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#072】


【3月12日】伊東静雄:1906.12.10~1953.3.12

この碧空のための日は
静かな平野へ私を迎える
寛やかな日は
またと来ないだらう
そして碧空は
明日も明けるだらう(「詠唱」)

『伊東静雄詩集』杉本秀太郎編、岩波文庫、1989年

【アタクシ的メモ】
「寛(おだ)やかな日は/またと来ないだらう」という一文が、個人的なはとても刺さった。また来ないのに、明日も明けてしまうのである。


時間によって前へ押し出される【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0097】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】さあ土曜日だ/ルシア・ベルリン △
主語が「わたし」ではなく「おれ」になった。読み手としては、それだけで大きな転換である。ただ、もちろん文体は変わらない。淡々としているので、なかなか頭に入ってこないのである。結末は悲劇のようである、色々と読み取れてはいないのであるが。

【詩・俳句・短歌・歌詞】前へ/大木実 ◎
時間は無限だから、私たちに終わりはない。次から次へと、今がやって来るのだ。作者は「――前へ」という言が好きだという。好き嫌いとは別に、私たちは前へ進まなければならない。私たちは押し出されるのだ。時間によって、前へと押し出されるのである。

【論考】戦争/池田晶子 ◎
例えば今、ウクライナで戦争はあるが、遠く離れた私たちは、単純に戦争は悪だと思っている。逆に平和であれば、多少のことは大目に見ても、仕方のないことだと感じていた。しかし、これを読んで、それは全くのサボりだと気づかされた。絶対的な悪だと思えても、考えることをやめてはいけないのだ。


マルコ・ポーロ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#071】


【3月11日】マルコ・ポーロ:1254~1324

サパング(日本国)は東方の島で、大洋の中にある。大陸から一五〇〇マイル離れた大きな島で、住民は肌の色が白く礼儀正しい。また、偶像崇拝者である。島では金が見つかるので、彼らは限りなく金を所有している。しかし大陸からあまりに離れているので、この島に向かう商人はほとんどおらず、そのため法外の量の金で溢れている。
この島の君主の宮殿について、一つ驚くべきことを語っておこう。その宮殿は、ちょうど私たちキリスト教国の教会が鉛で屋根をふくように、屋根がすべて純金で覆われているので、その価値はほとんど計り知れないほどである。

『全訳 マルコ・ポーロ 東方見聞録』月村辰雄・久保田勝一訳、岩波書店、2002年

【アタクシ的メモ】
「屋根がすべて純金で覆われている」と書かれているが、それは特定の建物のことなのだろうか。これは、英知のことばというよりも、当時の状況を伝える重要な記録なのだと思う。


言葉が瞬間を永遠に変える【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0096】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】沈黙/ルシア・ベルリン △
淡々と語る文体は相変わらずである。またも、モイニハン家の物語であり、アルコール中毒である。ただ、淡々というか、パッチワーク的な記述で、あまりストーリーが頭に入ってこなかった。そこそこ長いし、もう一度読心気にも、時間もなくてならなかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】雁/千家元麿 ○
雁が空を飛人でいる様子を詠った詩。集団とはいえ、1分も経たない瞬間の出平事であろう。それでも、こうして詩や言葉で書きとめられることで、その瞬間は、永達の時間を得ているようにて感じられるから不思議である。

【論考】道徳/池田晶子 ◎
「社会が決めた法律に善悪はない」。自分の外にあるものは変化する。変わらない善悪は、常に自分の中にあると筆者はいう。本当によいこと、本当に悪いことを知ろうとするなら、私たちは自分の頭で考えなければならない。それが人間の自由につながっているのだ。


李白【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#070】


【3月10日】李白:701~762

両人対酌して山花開く
一杯 一杯 復た一杯
我は酔いて眠らんと欲す 卿且く去れ
明朝 意有らば琴を抱いて来れ
(「山中にて幽人と対酌す」)

二人酌み交わすところに山の花が開く。一杯、一杯、また一杯。
おれは酔っぱらって眠くなった、君はひとまず帰れ。明日になってその気があれば、琴をかかえてやってこい。

『新編 中国名詩選』(中)、川合康三編訳、岩波文庫、2015年

【アタクシ的メモ】
李白は、詩聖杜甫に対して詩仙とも称される詩人。お酒を好み、酔って水中の月を捕まえようとして溺死したと伝えられるようだ。引用された詩を読んでも、詩仙らしさは感じなかった。