ボンヘッファー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#079】


【3月19日】ボンヘッファー:1906.2.4~1945.4.9

愚かさは悪よりもはるかに危険な善の敵である。悪に対しては抗議することができる。それを暴露し、万一の場合には、これを力ずくで妨害することもできる。悪は、少なくとも人間の中に不快さを残していくことによって、いつも自己解体の萌芽をひそませている。愚かさにはどうしようもない。(『十年後』)

E・ベートゲ編『ボンヘッファー獄中書簡集』村上伸訳、新教出版社、1988年

【アタクシ的メモ】
「悪は、少なくとも人間の中に不快さを残していくことによって、いつも自己解体の萌芽をひそませている」という認識は、非常に鋭いと思う。私は全く気づいていなかったし、少なくとも言語化したことはなかった。


学校はグライダー人間の訓練所【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0105】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】引き出しの奥/角田光代 ◎
誰とでも寝てしまう女性が主人公で、どんな話になるのかと思っていたら、伝説の古本を探していくうちに、自分自身や周りの変化から、世界に美しい瞬間を見い出して終わるささやかなハッピーエンドに。そう、きっと美しい一瞬とは、唐突に訪ずれるのだろうし、日常のありふれた光景に隠れているのではないか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】歌/中野重治 △
何度も読んだが、この詩自体の真意はわからなかった。少し調べてみると、この詩はプロレタリア詩であるそうだ。そうやって読むと、いくらか目の前の霧が晴れてきた。とは言え、見えてきたものが絶景かと問われたらそうではない。私にはルサンチマン的な印象しか感じられなかった。

【論考】グライダー/外山滋比古 ○
「学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない」と筆者は指適する。もちろん、これからは自分だけで飛行できるよう、グライダーにエンジンを搭載することが求められるという。ここ最近で言うと、検索で答えらしいモノを見つける人より、自らプランニングできる人が重要ということだろうか。


いつかは分からないが人は必ず死ぬ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0104】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】不幸の種/角田光代 ◎
不幸の種に思える本をめぐる十年にわたる物語。ただ、出来事に対する解釈も人それぞれである。幸福も不幸も、やはり本人の心のありようでしかなく、例えば、離婚も不幸と一方的に決めつける必要はなく、本人にとっては幸福を感じるための決断かもしれないと改めて認識した。

【詩・俳句・短歌・歌詞】鄙ぶりの唄/茨木のり子 △
鄙ぶりとは、田舎めいていること。調べて初めて知ったこともあり、最初に読んだときは、詩の意味が全くわからなかった。ただ、改めて読んでも国有名詞も多く、ぼんやりとしかイメージできない。この詩で伝えようとしていることも、はっきりしないのが正直な感想である。

【論考】人生/池田晶子 ◎
人は必ず死ぬ。しかも、いつ死ぬかは分からない。その事実を直視したうえで、私はどう生きるのか。人生の不思議に向き合うのか、そうではないのか。自分自身は向き合ってと思っているが、日々の暮らしに埋没してしまうと、それもままならない。定期的にこうした言葉に触れ、思い出すしかないのだろうか。


エーリッヒ・フロム【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#078】


【3月18日】エーリッヒ・フロム:1900.3.23~1980.3.18

十九世紀においては神が死んだことが問題だったが、二十世紀では人間が死んだことが問題なのだ。十九世紀において、非人間性とは残忍という意味だったが、二十世紀では、非人間性は精神分裂病的な自己疎外を意味する。人間が奴隷になることが、過去の危険だった。未来の危険は、人間がロボットとなるかもしれないことである。たしかにロボットは反逆しない。しかし人間の本性を与えられていると、ロボットは生きられず、正気でいられない。

『正気の社会』加藤正明・佐瀬隆夫訳(『世界の名著』続14、中央公論社、1974年)

【アタクシ的メモ】
十九世紀の問題は、人間の外部にあり、二十世紀になって問題は人間に内在化されたということだろうか。エーリッヒ・フロムなら、『自由からの逃走』や『愛するということ』などがよく知られているので、この引用にはやや驚いた。


幸福とは自分の心のありようそのもの【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0103】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】彼と私の本棚/角田光代 ◎
私とハナケンは、互いの本棚を通じて、恋人としてのつき合いを深めていた。読書好きの人からすると、とてもよく分かる状況。でもそれは、恋愛における必要条件ではないから、ハナケンに別な好きな人が現れ、分かれることになる。「私」は、なかなか割り切ることができずにいたが、過去の豊かなつき合いが無駄になるわけではないから、新たな生活に力強く進んでもらいたいと思った。

【詩・俳句・短歌・歌詞】虹/まど・みちお △
人間は空を汚してしまった。でも、他の生き物たちのために、「虹は出て下さっている」のだという。私は、こうした人間対自然、人間対他の生き物という対立構造は、あまり好きではないし、事実でもないと思う。人間は他の生手物たちとは違っているが、人が生きていること自体は自然の一部であるだろう。

【論考】幸福/池田晶子 ◎
私自身、感謝の気持ちは持っているものの、幸福感に乏しく、不幸気質だと思っている。「すべての人が幸福を求めている」「幸福とは自分の心のありようそのもの」と改めて明言されると、自分は幸福が取到来するものだと思いすぎていたことに気づく。私の心が今ここにあるからこそ、すぐにでも幸福になれるのだ。


マルクス・アウレリウス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#077】


【3月17日】マルクス・アウレリウス:121.4.26~180.3.17

人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。というのは、君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることが出来るのである。実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠家を見出すことはできないであろう。

『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫、1956年

【アタクシ的メモ】
ここで言う「自分自身の内」とは何か。次の文で言い換えている「自分自身の魂」ということであろうか。マルクス・アウレリウスにおける魂の定義はわからないが、一般的には心の働きを司るものと理解すれば、自身の精神に立ち戻ることが重要ということなのか。


本当に大事なものは、君の中にこそある【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0102】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】手紙/角田光代 ◎
旅の直前に恋人と喧嘩して、おひとり様で旅館に泊まる女性。部屋に置いてあった本の中から、偶然にも手紙を見つける。少し自分の境遇とも似ており、段々と手紙の語り手と自分を重ね合わせるようになる。共感しつつも、相対化することで、現在の自己を超え出ようとしているのだろうか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】用意/石垣りん ○
四季の移り変わりと、自身が生きることをオーバーラップさせている。秋から冬にかけて、樹木から葉が落ちることは「洞落」ではなく、次の季節への「用意」ととらえているのだろう。その解釈に異論はないが、それを踏まえた読者への具体的なメッセージが、私としては欲しかった。

【論考】お金/池田晶子 ◎
お金の必要性は十分に認めつつ、「本当の価値、君の人生にとって本当に大事なものは、君の中にこそある」というのが、池田さんのメッセージ。今、仕事の再検討をしているので、ある意味で気づいていることだったが、生活が順調だと、お金を得ることが目的化されがちになってしまうだろう。気をつけなければ。


額田王【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#076】


【3月16日】額田王:生没年未詳

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

君待つと吾が恋ひをれば我が屋戸のすだれ動かし秋の風吹く

『万葉集』(一)(『日本古典文学大系』4、高木市之助ほか校注、岩波書店、1957年

【アタクシ的メモ】
言葉数も限りがあるし、いにしえの時代の短歌なので、詠まれていることはシンプルではあるが、どの首も情感がこもっている。


言葉は時空を超えて存在する【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0101】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】だれか/角田光代 ◎
タイでマラリアにかかった24歳の女性が、病床でたまたま手に取った本を通じて、ある人物の存在をまざまざと感じる。それは単なる妄想なのか、ある種の必然的な確信なのかは定かではない。まさに「だれか」であり、その人物像より風景の方が、ずっと残り続けているようだ。

【詩・俳句・短歌・歌詞】滅私奉公/吉野弘 △
この詩で訴えたい主旨が、ちょっとよく分からなかった。もしかして、原子力について言っているのかもなどと思ったが、単純に人が個を失って、国家のような全体に尽くすことを警告しているのであろうか。例えば、「虚無の手」といった表現も出てくるが、抽象的すぎて、それは何かがとらえられないままである。

【論考】言葉/池田晶子 ★
言葉が持つ特別な力を再認識した。聖書の「初めに言葉ありき」という言葉の真意、言葉が世界を創ったんだということ、目に見えない意味こそが、人や世界を動かしていることに改めて気づかされた。何百年前の言葉であっても、“今”分かるという時空を超えられる点も奇跡的だ。


平塚らいてう【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#075】


【3月15日】平塚らいてう:1886.2.10~1971.5.24

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である。
私どもは隠されてしまった我が太陽を今や取り戻さねばならぬ。(『青踏』創刊の辞)

『平塚らいてう評論集』小林登美枝・米田佐代子編、岩波文庫、1987年

【アタクシ的メモ】
1911年に書かれたようだ。2023年にこれを読むと、ややリアリティに欠けてしまうが、当時はある意味、大きく大胆な宣言だったのだろう。