旧訳聖書【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#154】


【6月2日】旧訳聖書

いっさいの事柄は物憂く、
誰も語り尽くせはしない。
目は見て、飽きたりることなく、
耳は聞いて、満たされることはない。
かつて起こったことは、いずれまた起こり、
かつてなされたことは、いずれまたなされる。
日の下に、新しいことは何一つ存在しない。(『コーヘレト書』)

『旧約聖書』XIII、月本昭男訳、岩波書店、1998年

【アタクシ的メモ】
「日の下に、新しいことは何一つ存在しない」や、その前段を読むと、永劫回帰を言いたいのだろうか。一方で、「語りつくせず、満たされることはない」とは、世界の要素が無限であるということか。永劫回帰とは矛盾するとは思うが。


ヘレン・ケラー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#153】


【6月1日】ヘレン・ケラー:1880.6.27~1968.6.1

先生は私の手を井戸の口にもっていきました。冷たい水の流れが手にかかると、先生はもう一方の手に、はじめはゆっくり次に速く「水」という字を書かれます。私はじっと立ったまま、先生の指の動きに全神経を集中します。突然私は、なにか忘れていたことをぼんやり意識したような、思考が戻ってきたような、戦慄を感じました。言語の神秘が啓示されたのです。そのとき、「W-A-T-E-R」というのは私の手に流れてくる、すばらしい冷たいなにかであることを知ったのです。その生きた言葉が魂を目覚めさせ、光と望みと喜びを与え、自由にしてくれました。

『ヘレン・ケラー自伝』川西進訳、ぶどう社、1982年

【アタクシ的メモ】
かつて幼いころ、伝記やアニメで体験したシーンである。今、こうして読むと、言葉(概念)が持つ力がヘレン・ケラーさんの生を、強く後押ししたように感じる。


ホイットマン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#152】


【5月31日】ホイットマン:1819.5.31~1892.3.26

見知らぬひとよ、もし通りすがりにきみがわたしに会って、
  わたしに話しかけたいのなら、どうしてきみがわたしに話しかけてはいけないのだ?
そして、どうしてわたしがきみに話しかけてはいけないのだ?(「きみに」)

『対訳 ホイットマン詩集』木島始編、岩波文庫、1997年

【アタクシ的メモ】
ちょっと難解な文(詩?)に感じたが、「袖すり合うも他生の縁」といった感じなのだろうか。あるいは、人間はもっと自由にコミュニケーションを取ればヨイということを言っているのか。


ヴォルテール【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#151】


【5月30日】ヴォルテール:1694.11.21~1778.5.30

自尊心はわれわれの生存の道具である。それは種の永続の道具に似ている。それは必要であり、われわれにとって貴重であり、われわれに楽しみを与えてくれる、しかしそれは秘めておかねばならないものである。(「自尊心」)

『哲学辞典』高橋安光訳、法政大学出版局、1988年

【アタクシ的メモ】
私自身は、あまり自尊心を持ち合わせていないため、それほど共感できなかった。「生存の道具」とまで言われてしまうと、私自身は立つ瀬もない感じだ。


内田百閒【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#150】


【5月29日】内田百閒:1889.5.29~1971.4.20

生きてゐるのは退儀である。しかし死ぬのは少少怖い。死んだ後の事はかまわないけれど、死ぬ時の様子が、どうも面白くない。妙な顔をしたり、變な聲を出したりするのは感心しない。ただ、そこの所だけ通り越してしまへば、その後は、矢つ張り死んだ方がとくだと思ふ。とに角、小生はもういやになつたのである。(「無恒債者無恒心」)

『新輯 內田百閒全集』第2巻、福武書店、1986年

【アタクシ的メモ】
恥ずかしながら私も、生きるのが退儀であると感じることが多い。もちろん、幸せを感じることもあるのだが、やはり家庭を持ってからは、辛いと思うことが増えたかもしれない。それでも今は、家族を自分の生きる目的にしている。


コンラート・ローレンツ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#149】


【5月28日】コンラート・ローレンツ:1903.11.7~1989.2.27

攻撃は元来健全なもの、どうかそうあってほしいと思う。だがまさに攻撃衝動は本来は種を保つれっきとした本能であるからこそ危険きわまりないのである。つまり本能というものは自発的なものだからだ。もし攻撃本能が、多くの社会学者や心理学者たちが考えたように、一定の例外的条件に対する反応に過ぎないのであれば、人類の形状はこれほど危うくなりはしなかったろう。もしそうなら、反応を引き起こす諸原因をつきとめて、取り除くこともできよう。

『攻撃 悪の自然誌』日高敏隆・久保和彦、みすず書房、1985年)

【アタクシ的メモ】
現在の日本では、攻撃などが絶対悪と見做されていると思う。何らかの攻撃が処罰されるといったことは、法治国家として適切だと思うが、人に攻撃の衝動があり得るということは、認めるべきだと思う。後は、それぞれの人が、その衝動をどのようにコントロールするかということだ。


ネルー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#148】


【5月27日】ネルー:1889.11.14~1964.5.27

大衆を飢餓と不潔と無知に安住させておくことにかまけているような宗教に私は関わりをもちたくない。人びとはこの世でもっと幸福になりもっと文明に浴することができるし、真の人間、わが運命の主、わが心の長になることができるのだ。宗教的であれ何であれ、そう人びとに説かぬようなどんな集団とも私は関わりを持ちたくない。

エドガー・スノウ『始まりへの旅』1958年(『オクスフォード引用句辞典』所収、編者訳出)

【アタクシ的メモ】
とても真っ当な発言である。人間に幸福をもたらそうとしない宗教や経済活動は、非常に志が低いと思う。自社に売上があがり、利益がでさえすればヨイと考えるビジネスパーソンは、残念ながら思った以上に多いと思う。


ハイデガー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#147】


【5月26日】ハイデガー:1889.9.26~1976.5.26

思索は言葉をとり集めて単純な語りにする。言葉は存在の言葉である、雲が空の雲であるように。思索はその語りでもって、言葉のうちに目立たぬ畝を切る。その畝間は、農夫がゆったりとした足どりで畑に切っていく畝間よりももっと目立たないものなのだが。

『ヒューマニズム書簡』編者訳出

【アタクシ的メモ】
何を言おうとしているのか、ちょっとよくわからない。思索によって、言葉が整理され、何らかの方向性(意見)が生まれるということだろうか。


ロバート・キャパ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#146】


【5月25日】ロバート・キャパ:1913.10.22~1954.5.25

暁闇の中、爆弾で噴火口のようにあけられた穴だらけの道にクリスが目をこらしているあいだに、私はふと先刻の写真をとりだしてみた。それらは、ちょっとピンぼけで、ちょっと露出不足で、構図は何といっても芸術作品とはいえない代物であった。けれどもそれらは、シシリヤ攻略を扱った限り、唯一の写真であり、海上部隊の写真班が、海岸からなんとか、発送の手配をつけたものよりも幾日か早いにちがいないのである。(「シシリヤの空中に浮かぶ」)

『ちょっとピンぼけ』川添浩史・井上清一訳、文春文庫、1979年

【アタクシ的メモ】
例えば写真の価値を決めるのは、ピントの合い方や露出、構図といった重要と思われる要素だけではないということか。被写体を写したものが、その写真しか存在しなければ、たとえピンぼけであっても、価値が生まれるのだろう。


朱子【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#145】


【5月24日】朱子:1130~1200

文字は汲汲として看るべし。悠悠たるは得からず。急ぎ看て、方はじめて前面に看し底に接し得。若し放漫なれば、則ち前面の意思と相い接せず。某の文字を看るや、看て六十一歳に到り、方めて略ぼ道理を見得ること恁地のごときを学ぶ莫れ。

本は倦まずたゆまず読むべきで、のんびりやっていたんでは駄目だ。急ぎ読んでこそ、さきに読んだものとつながってくる。もしのんべんだらりにやっておれば、さきの意味とつながらなくなる。私など本を読むのに、六一歳まで読んできて、やっとあらまし道理がこのように見えてきたが、こういう様を真似てくれるな。

吉川幸次郎・三浦國雄『朱子集』(『中国文明選』3、朝日新聞社、1976年)

【アタクシ的メモ】
ここ最近、毎日のように本を読んでいるが、それによって「さきに読んだものとつながってくる」ことを実感している。毎日ではないにしても、「たゆまず」続けることは、とても重要だと思う。