イプセン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#144】


【5月23日】イプセン:1828.3.20~1906.5.23

物を書くとは、いったい、どういうことを言うのでしょうか? 近ごろになってやっとわかったのは、書くというのは、もともと見るということだ、ということです。ただし、——いいですか——見られたものが、作者がそれを見たのときっちり同じ形で、読者のものとなるように見ることです。しかし、本当にそれを生き抜いたことだけがそう見え、そうなってくるのです。しかも、それについて書くことを生き抜くということこそが、近代文学の秘密なのです。

原千代海『イプセンの読み方』岩波書店、2001年より

【アタクシ的メモ】
「書くというのは、もともと見るということだ」というのは、書く前の前提条件としてよくわかると感じた。ただ、後半部分の記述は、日本語としてあまり成立していないと思うし、そのため、正直意味がわからないでいる。


コナン・ドイル【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#143】


【5月22日】コナン・ドイル:1859.5.22~1930.7.7

ここに医者らしいタイプの紳士がいる。だが、どことなく軍人ふうのところもある。だから軍医にちがいない。顔はまっくろだが、手首が白いところを見ると生まれつき黒いわけじゃない。とすれば、熱帯地方から帰ったばかりだということになる。顔のやつれているのを見れば、だいぶ苦労した上に病気までしたことがわかる。左手にけがもしている。動きがこわばってぎごちないからだ。イギリスの軍医がこんな苦労をした上に、けがまでした熱帯地方というのはどこだろう。言うまでもなくアフガニスタンだ。これだけつづけて考えるのに、1秒もかからなかった。(『深紅の糸の研究』)

『シャーロック・ホウムズの冒険』林克己訳、岩波少年文庫、1985年、解説より

【アタクシ的メモ】
論理的な思考だけで、事態を解明していくというのは、個人的にどうしてもリアリティにかけると思ってしまう。様々な事柄で、選択肢が限られた時代ならいざしらず、現代においては、机上の空論、ご都合主義に感じてしますのだ。


ドビュッシー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#142】


【5月21日】ドビュッシー:1862.8.22~1918.3.25

美の真実な感銘が沈黙以外の結果を生むはずがないのは、よく御存知でしょうに……? やれやれ、なんてこった! たとえばです、日没という、あのうっとりするような日々の魔法を前にして、喝采しようという気をおこされたことが、あなたには一度だってありますか?(「クロッシュ氏・アンティディレッタント」)

『ドビュッシー音楽論集』平島正郎訳、岩波文庫、1996年

【アタクシ的メモ】
人が真に美しいものに触れると、言葉を失い、沈黙せざるを得ないということのようだ。それは正しいと思う反面、大きな感動が何かの言葉や行動を、強く引き出すこともあるように思う。


バルザック【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#141】


【5月20日】バルザック:1799.5.20~1850.8.18

パリはまことに大海原のようなものだ。そこに側鉛を投じたとて、その深さを測ることはできまい。諸君はこの海洋をへめぐり、それを描きだそうと望まれるだろうか。それをへめぐり、かつ描くことに諸君がいかに精魂をこめようと、またこの大海の探検家たちがいかに大勢で、いかに熱心であろうと、そこにはかならず未踏の地が残り、見知らぬ洞穴や、花や、真珠や、怪物や、文学の潜水夫からは忘れられた前代未聞のなにかが残ることだろう。

『ゴリオ爺さん』(上)、高山鉄男訳、岩波文庫、1997年

【アタクシ的メモ】
世界は未知にあふれている、ということだろうか。併せて、観察者である人間の限界を示しているのかもしれない。


西田幾多郎【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#140】


【5月19日】西田幾多郎:1870.5.19~1945.6.7

回顧すれば、私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は黒板を後にして立った。黒板に向って一回転をなしたといえば、それで私の伝記は尽きるのである。しかし明日ストーヴに焼くべられる一本の草にも、それ相応の来歴があり、思出がなければならない。平凡なる私の如きものも六十年の生涯を回顧して、転た水の流と人の行末という如き感慨に堪えない。(「或教授の退職の辞」)

『西田幾多郎随筆集』上田閑照編、岩波文庫、1996年

【アタクシ的メモ】
西田幾多郎さんといえば、『善の研究』だと思うし、実際に読んで、いくつもスリリングな記述があったと記憶しているので、そちらからの引用でよかったのではないか。


へラクトレイトス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#139】


【5月18日】へラクトレイトス:前535頃~前475頃

魂の際限は、どの途をたどって行っても、君は見つけ出すことはできないだろう。それほどにも深いロゴス(理)を魂はそなえているのだ。(「へラクトレイトス)

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(下)、加来彰俊訳、岩波文庫、1994年

【アタクシ的メモ】
最近はロゴスや理(ことわり)について、考えることが多い。何が正しいかではなく、理にかなった行動が必要だと感じる。正しさは突き詰めると、相対的であり、理に従った方が普遍性が高いと思うからだ。


ノヴァーリス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#138】


【5月17日】ノヴァーリス:1772.5.2~1801.3.25

わたしたちは、宇宙を旅することを夢みている。だが宇宙は、わたしたちの内にあるのではないか。わたしたちは精神の深みを知っていない——内に向かって神秘にみちた道が通じている。ほかならぬわたしたちの内にこそ、永遠とその世界——過去と未来があるのだ。(「断想」)

『青い花』青山隆夫訳、岩波文庫、1989年、解説より

【アタクシ的メモ】
カントの「我が上なる星の輝く空と我が内なる道徳律」と似た言葉だろうか。「わたしたちの内にこそ、永遠とその世界——過去と未来があるのだ」というのは、私も同意する。


エックハルト【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#137】


【5月16日】エックハルト:1260頃~1327

苦しむことほど苦いものはない。しかし苦しんだことほど甘美なこともない。世間では、苦しむことほど身を醜くするものはないが、逆に神の前では、苦しんだことほど魂を飾るものはないのである。(「離脱について」)

『エックハルト説教集』田島照久編訳、岩波文庫、1990年

【アタクシ的メモ】
神の前では、苦しむことで魂を磨き上げられるということか。偶然にも本日5月16日に、自分を苦しめるようなことが起きたが、自己の魂を鍛錬すると思って、日々を過ごしたい。


シレジウス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#136】


【5月15日】シレジウス:1624.12.25~1677.7.9

薔薇はなぜという理由なしに咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない、ひとが見ているかどうかも問題にしない。

『シレジウス瞑想詩集』(上)、植田茂雄・加藤智見訳、岩波文庫、1992年

【アタクシ的メモ】
自然は無為であるということ。ただ人間は、自然や無意味に見える事柄にも、理由や意味を見い出そうとする。それは知的捏造であり、一方で探求でもあるのだろう。


斎藤茂吉【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#135】


【5月14日】斎藤茂吉:1882.5.14~1953.2.25

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

かがやけるひとすぢの道遥けくてかうかうと風は吹きゆきにけり

野のなかにかがやきて一本の道は見ゆここに命をおとしかねつも

『斎藤茂吉選集』第1巻、柴生田稔・佐藤佐太郎編、岩波書店、1981年

【アタクシ的メモ】
道に関する歌。そこに自分の運命を見たり、風がそよそよと吹き抜けていたり。