キケロ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#003】


【1月3日】
キケロ:前106.1.3~前43.12.7
仮に、われわれは不死なるものになれそうにないとしても、やはり人間はそれぞれふさわしい時に消え去るのが望ましい。自然は他のあらゆるものと同様、生きるということについても限度をもっているのだから。因みに、人生における老年は芝居における終幕のようなもの。そこでへとへとになることは避けなければならない、とりわけ十分に味わい尽くした後ではな。

『老年について』中務哲郎訳、岩波書店、2004年

【メモ】
「人間はそれぞれふさわしい時に消え去るのが望ましい」には同意するが、そのふさわしい時を見定めるのが難しいのではないか。「芝居における終幕のようなもの」という例えも、わかるようで、正直わかりづらい。

【関連リンク】
マルクス・トゥッリウス・キケロ – Wikipedia


プラトン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#002】


【1月2日】
プラトン:前427~前347
正しく哲学している人々は死ぬことの練習をしているのだ。そして、死んでいることは、かれらにとっては、誰にもまして、少しも恐ろしくないのである。こういう風に考えてみたまえ。もしも、かれらが至るところで肉体と仲たがいしてきて、魂それ自身だけを持とうと熱望してきたのに、そのことが起こると、恐怖を覚えて憤激するというのでは、これ以上の不合理はないだろう。

『パイドン 魂の不死について』岩田靖夫訳、岩波書店、1998年

【メモ】
人間の死は肉体の死であり、魂は不滅ということか。また哲学するのは、魂だけを持とうとするということか。

【関連リンク】
プラトンとは – コトバンク
パイドン – Wikipedia


柿本人麻呂【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#001】


【1月1日】
柿本人麻呂:生没年不詳
東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ
淡海(あふみ)の海夕波千鳥汝(な)が鳴けば情(こころ)もしのに古(いにしへ)思ほゆ
ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音(かわと)高しも嵐かも疾(と)き

『万葉集』(一)(二)(『日本古典文学大系』4・5、高木市之助ほか校注、岩波書店、1957-59年)

【メモ】
柿本人麻呂は、山部赤人とともに「歌聖」と呼ばれたそう。ここに挙げられた3つの歌は、どれも物悲しい感じがする。

【関連リンク】
『東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ』現代語訳と解説 |マナペディア|
『淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば 情もしのに古思ほゆ』わかりやすい現代語訳と解説 |マナペディア|
ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高しも嵐かも疾き