人間が作れる一番小さな海【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0163】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】手紙/リディア・デイヴィス ◎
別れた男女、その女性が主人公。男性は不在だが、痕跡を追うように、男性に近づこうとする。未練と言えば簡単だが、女性の感情表現はほとんど示されず、小さな行動が丹念に描かれている。あより抑揚がない、いつも通りの淡々とした文章によって、かえって女性の情緒が表現されているように感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】一ばんみじかい抒情詩/寺山修司 ○
「なみだは/にんげんのつくることのできる/一ばん小さな/海です」。これが詩の全文。確かにと、納得する半面、作者は「海」を何ととらえているのだろうか。単純に一定量の液体ということではないだろう。また、読み手にとって「海」は、何を想起すると考えているのか。端的に言って、美しい詩だと思うが、読者とのかけ橋があいまいにも感じる。

【論考】表微の部屋/ロラン・バルト ○
何度か読んだが、きちんと理解できていない。日本は、「空間の特殊な構造化がおこなわれている」という。どこが特殊なのか判然としないものの、西洋と違って境界があいまいで、装飾がほとんどないということか。それは、文明が未発達だったということより、神(一神教)の不在が大きな理由だと思う。


エックハルト【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#137】


【5月16日】エックハルト:1260頃~1327

苦しむことほど苦いものはない。しかし苦しんだことほど甘美なこともない。世間では、苦しむことほど身を醜くするものはないが、逆に神の前では、苦しんだことほど魂を飾るものはないのである。(「離脱について」)

『エックハルト説教集』田島照久編訳、岩波文庫、1990年

【アタクシ的メモ】
神の前では、苦しむことで魂を磨き上げられるということか。偶然にも本日5月16日に、自分を苦しめるようなことが起きたが、自己の魂を鍛錬すると思って、日々を過ごしたい。


ひったへにびっくり【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0162】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】鼠/リディア・デイヴィス ○
その家には鼠がおり、罠を仕掛けて捕まえ、罠ごと雪が積もる屋外に捨ててしまうという話。文章がいつも通り淡々としているし、シチュエーションの違う場面が、ある意味でぶっきら棒につなげられているため、とても不思議な読後感である。著者のメッセージは、把握できなかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】えかきうた/谷川後太郎 ○
これは、ビジュアル詩と言った方がヨイのかもしれない。「ひ」「へ」「び」で「ひった/へに/びっくり」した顔が描けるからだ。また、この時も、意味本意な詩ではなく、とても短いが言葉遊び的な要素が強く、ユーモアを感じる。こうした詩はどうしても幼い感じもあるが、個人的には好みである。

【論考】暴力の表現体/ロラン・バルト △
全学連について。「暴力以前の力を統御することこそが大切である」「全学運の暴力は暴力それ自身の調整に先行しない。調整と同時に発生する」といった個所が気になった。全体を読んで、今回も理解に苦しんだが、全学運は暴力が目的化しており、逆から言えば、暴力を行使する理由が希薄だと言いたかったのだろうか。


シレジウス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#136】


【5月15日】シレジウス:1624.12.25~1677.7.9

薔薇はなぜという理由なしに咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない、ひとが見ているかどうかも問題にしない。

『シレジウス瞑想詩集』(上)、植田茂雄・加藤智見訳、岩波文庫、1992年

【アタクシ的メモ】
自然は無為であるということ。ただ人間は、自然や無意味に見える事柄にも、理由や意味を見い出そうとする。それは知的捏造であり、一方で探求でもあるのだろう。


意味本意の詩からの脱走【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0161】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ミルドレッドとオーボエ/リディア・デイヴィス ○
ミルドレッドは、女性の名前のようで、一人称で語る私を含め、このミルドレッド以外は名前が出てこない。アパートの住人はやや変わった人たちばかりみたいに描かれている。一方、「私は善良な市民で、母親で、私は早く寝る」と述べられているが、それをどこまで信じてヨイのかは、短い小説でもあり、よくわからない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ののはな/谷川俊太郎 ○
冒頭は「はなののののはな」から始まる。正直、きちんと読めなかったが、調べてみると、「花野の野の花」のようだ。花野という言葉を知らなかったので、読めないのも当然だったのだろう。作者の意図としては、あまり意味本位な詩にしたくなかったらしい。もちろん、それは成功していると思う。

【論考】瞼/ロラン・バルト △
筆者は、日本人の目が特別だと語る。これまで通り、正直、説明されていることは、よく分からないままである。一部引用すると、「眼は、裂け目のなかで自由である」そうだ。ただ、分からないなりに読んで解釈すると、彫りが深い西洋人とは、目つき、顔つきが違っていると言っているにすぎないのではないか。


斎藤茂吉【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#135】


【5月14日】斎藤茂吉:1882.5.14~1953.2.25

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

かがやけるひとすぢの道遥けくてかうかうと風は吹きゆきにけり

野のなかにかがやきて一本の道は見ゆここに命をおとしかねつも

『斎藤茂吉選集』第1巻、柴生田稔・佐藤佐太郎編、岩波書店、1981年

【アタクシ的メモ】
道に関する歌。そこに自分の運命を見たり、風がそよそよと吹き抜けていたり。


完膚なきまでに蹂躙され【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0160】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】魚/リディア・デイヴィス ○
これも超短編。女が魚を料理し、食べられず、じっと見ているというシーンである。非常に面白いのが、人間のある個人の感情と魚からの視点という2方向の見方だ。魚は「完膚なきまでに蹂躙され」と表現しており、それはまさに魚視点であり、「する」と「される」は仕方ないことではあるが、対等なのである。

【詩・俳句・短歌・歌詞】かえる/谷川後太郎 ○
かえるという言葉を使った遊び的な詩である。とにかく、かえるが繰り返えされることもあり、自然とテンポが生まれるし、ユーモアさも感じられる。ただ、メッセージ性があるわけではないので、どうしてこれを読むのだろうと自分に問うてみると、正直、答えに窮してしまう。

【論考】数百万の個体/ロラン・バルト △
今回もよくわからなかった。人間の顔についての個性がテーマのようであるが、どの個所を読んでも、ほとんど意味をとることができなかった(自分には読解力、理解力がないのではないかと悲しい気持ちになる)。個性は、個体と個体とのあいだの、相互に何の特権ももたない、重屈折のある相違であるにすぎないのだそうだ。


カッシーラー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#134】


【5月13日】カッシーラー:1874.7.28~1945.513

言語、神話、芸術を「シンボル形式」と呼ぶとき、この表現にはある前提がふくまれているように思われる。それは、言語も神話も芸術もすべて精神の形態化の特定の様式であって、それらはすべて、遡れば現実というただ一つの究極の基層に関わっているのであり、この基層が、あたかもある異質な媒体を透して見られるかのように、それらそれぞれのうちに見てとられるにすぎない、という前提である。現実というものは、われわれにはこうした形式の特性を介してしか捉ええないように思われるのだ。

『シンボル形式の哲学』(3)、木田元・村岡晋一訳、岩波文庫、1994年

【アタクシ的メモ】
言語、神話、芸術を「シンボル形式」とするなら、シンボル形式を通してしか、我々は現実を捉えられないという。私自身は正しい言説だと思う反面、ここでいう「現実」とはいったい何を言っているのだろうか。写真を撮って一瞬の光のありようを記録するように、そのありのままを記述することでも、現実は捉えられるのではないか。


かっぱよ、らっぱをかっぱらわないで【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0159】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】彼女が知っていること/リディア・デイヴィス ○
「彼女は本当は女ではなく男だった。しばしば太った男だったが、おそらくもっとしばしば年寄りの男だった」という、謎の超短編。書籍でも5行程度しかなく、非常に不条理な設定である。「若い女でいることは彼女にとって苦痛だった」の「いる」とは何を指しているのだろうか。物理的に若い女性であるとすれば、ますます謎が深まる。

【詩・俳句・短歌・歌詞】かっぽ/谷川俊太郎 ○
「かっぱらっぱかっぱらった」というように、早口言葉のような詩である。ひらがなばかりであるせいで、読みづらいだけでなく、意味も理解しづらいが、愉快な感じは十分に出ているだろう。「とってちってた」は、どうやらラッパから出る音を表しているようだ。

【論考】書かれた顔/ロラン・バルト △
今回も何度か読んで、真意はつかめなかった。描かれたは、化粧したということらしく、「書かれた顔」とは女形のことを指しているのだろうか。西洋の女形は、一人の女になろうとするが、東洋(日本)では女性の表徴を組み合わせるだけだという。だからこそ、日本の女形はおしろいを塗ったりするのだろうか。


ナイチンゲール【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#133】


【5月12日】ナイチンゲール:1820.5.12~1910.8.13

子供たちに、新鮮な空気が入り、明るく、陽当りよく、広々とした教室と、涼しい寝室とを与え、また戸外でたっぷりと運動をさせよう。たとえ寒くて風の強い日でも、暖かく着込ませて充分に運動させ、あくまで自由に、子供自身の考えに任せて、指図はせずに、たっぷりと楽しませ遊ばせよう。もっと子供に解放と自然を与え、授業や詰めこみ勉強や、強制や訓練は、もっと減らそう。もっと食べ物に気をつかい、薬に気をつかうのはほどほどにしよう。(「ロンドンの子供たち」)

『看護覚え書』第6版、薄井坦子ほか編訳、現代社、2000年

【アタクシ的メモ】
専門的ではなく、プリミティブにも感じる提言ではあるが、現在読むと非常に首肯するし、正しいことを言っていると感じる。こうした考えは、18~19世紀にどのように捉えられたのだろう。