フランクリン・ルーズヴェルト【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#020】


【1月20日】フランクリン・ルーズヴェルト:1882.1.30~1945.4.12

われわれは、独りで安らかに生きることができないこと、われわれ自身の幸福が遠い他の国々の幸福に係っていることを学んだ。われわれは、砂に頭をうずめたダチョウや飼葉桶の中の犬としてではなく、人間として生きねばならぬことを学んだ。われわれは、世界の市民、人類共同体の成員となるべきことを学んだ。(第四回大統領就任演説、1945年1月20日)

『バーレット引用句辞典』所収、編者訳出

【アタクシ的メモ】
1945年の発言のようだが、現在(2023年)にも通ずるような言葉に感じた。ただ逆に言うと、発言後の50年間以上は、この演説とは相いれない政治をしてきたのではないかと思う。


「チャーリー・チャップリン」「頸動脈」など【「1日1ページ教養シリーズ」を毎日読む#018】


第3週第4日(木)
■1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365
18 科学:太陽系
太陽系には、水星、金星、地球、火星という4つの地球型惑星と木星、土星、天王星、海王星という4つの巨大ガス惑星で構成される。非常に冷たい冥王星は、2006年に天文学者によって、順惑星に分類変更されている。

■1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365【人物編】
18 悪人:コリオラヌス
ガイウス・マルキウス・コリオラヌスは、共和制ローマ期の将軍。実在したどうか定かではないが、ウォルスキ族との戦いで勝利を収めたが、国の人々から支持されず、後に裏切った。それを題材として、シェイクスピアは悲劇『コリオレイナス』を書いた。

■1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365【現代編】
18 映画:チャーリー・チャップリン
チャップリン(1889~1977)はロンドン生まれ、1913年からサイレント映画の俳優としてキャリアを始めた。チョビひげに、山高帽をかぶり、だぶだぶのズボンとぶかぶかの靴を履き、ステッキを振り回しながらがに股で歩く。代表的な作品は、『キッド』(1921年)、『黄金狂時代』(1925年)、『街の灯』(1931年)、『モダン・タイムス』(1936年)、『独裁者』(1940年)など。

■1日1ページ、読むだけで身につくからだの教養365
18 こころ:頸動脈
頸動脈は2本の大血管であり、血液を顔面と脳に送りだしている。頸動脈が死亡やコレステロールの堆積(アテローム性動脈硬化あるいはプラークと呼ばれる)によって詰まると、脳の機能や視覚が影響を受けたり、脳卒中を起こすことがある。

■1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365
18 科学・技術:鍛冶
日本において、鉄の生産や精錬が始まった時期は諸説あるが、弥生時代後期から末期(3世紀~3世紀後半)が有力。日本独自の技術「たたら製鉄」があるが、江戸時代に完成の域に達すると、大規模な鍛冶工房ができ、明示中盤まで日本の鉄需要の大部分を供給した。

■1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365【歴史編】
18 経済:水稲農耕
稲の原産地は揚子江流域と考えられており、そこから日本にもたらされた。水稲農耕は、前年の種籾をまいて苗代を作り、苗が育てば水田に植える。水が不可欠で、水量はしっかりと管理される。連作できる稲は生産性が高いことも、定着した理由だろう。


ソウイウモノニワタシハナリタイ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0046】


【短編小説】よごれている本/星新一
よごれている本は、魔王のための犠牲を集めている魔法の本。エス氏はふと興味を持ったばかりに犠牲になってしまう。身につまされるほどではないけれど、好奇心がきっかけなので、人間なら誰しもハマってしまう可能性がある。それで、フィクションだと割り切れないのだろう。

【詩・俳句・短歌・歌詞】雨ニモマケズ/官沢賢治
暗唱できるわけでもないが、全部知っているつもりになっていた。改めてすべて読むと、最後の「ソウイウモノニ/ワタシハ/ナリタイ」は、ちょっとオチのように読めた。ここの所、とても気持ちが沈んでいるのだが、自分も目標を持たなきゃなと、何だか少し元気をもらえたような気がする。元気百倍とまではいかないけれど。

【論考】真心について/森本哲郎
「真心」と言われて、最近あまり口にしたり、聞くことが少なくなったなぁと思った。中でも一番印象に残ったのは、本居宣長の「歌は心で感じたことを、善とか悪とかにかかわらず、そのまま読むものだ」という発言。確かに、あらゆる表現が、善悪を越えていると強くなるし、何より真心にも通じると感じた。


勝海舟【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#019】


【1月19日】勝海舟:1823.1.30~1899.1.19

世の中に無神経ほど強いものはない。あの庭前の蜻蛉(とんぽ)をごらん。尻尾を切って放しても、平気で飛んで行くではないか。おれなどもまあ蜻蛉ぐらいのところで、とても人間の仲間入りはできないかもしれない。むやみに神経を使って、やたらに世間のことを苦に病み、朝から晩まで頼みもしないことに奔走して、それが為に頭が禿げ鬚(ひげ)が白くなって、まだ年も取らないのに耄碌(もうろく)してしまうというような憂国家とかいうものには、おれなどはとてもなれない。(『氷川清話』)

『日本の名著32勝海舟』中央公論社、1984年

【アタクシ的メモ】
自分を無神経なトンボくらいだと蔑みながら、当時多くいた憂国の士を批判しているようだ。


良心をめざめさせる薬【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0045】


【短編小説】盗んだ書類/星新一
星新一さんらしいショート・ショート。でも、今になって読むと、効果、効能が分からない薬の書類を盗んで、自分で作って飲むだろうか、すごい薬なのにセキリティがゼロに近く、大丈夫だろうか、など色々と突っ込めなくもない。なので、リアリティというよりも、ストーリー構成のみで勝負しているのだろう。

【詩・俳句・短歌・歌詞】わたしが一番きれいだったとき/茨木のり子
自分のようなベビーブーマー世代は、戦争はなかったけれど、バブルも崩壊し、失われた30年だったり、あまりヨイことはなかったと思っている。それでも人は、その時を生きるしかなく、その状況を受け入れるしかない部分がある。作者のように発奮しながらも、「その時」を見渡して、自らの生き方を決める必要があるのだろう。

【論考】女の美しさについて/森本哲郎
女性に限らず人の美しさは、生きていること、あるいはどのように生きているかによって大きく変わると思っている。顔立ちの よさも、全く無開係だとは言わないまでも、同じ人物でもその瞬間の状態によって、美しく見えたり、見えなかったりするからだ。そうした意味では、筆者の意見がとても納得できる。


モンテスキュー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#018】


【1月18日】モンテスキュー:1689.1.18~1755.2.10

国家、すなわち、法律が存在する社会においては、自由とは人が望むべきことをなしうること、そして、望むべきでないことをなすべく強制されないことにのみ存しうる。
独立とはなんであるか、そして、自由とはなんであるかを心にとめておかねばならない。自由とは法律の許すすべてをなす権利である。(第二部第11編)

『法の精神』(上)野田良之ほか訳、岩波文庫、1989年

【アタクシ的メモ】
法の下で、自由が認められていることは、普段は気づきづらいことではあるが、やはり十分に感謝すべきことだと思う。


「パルテノン神殿」「日本書紀」など【「1日1ページ教養シリーズ」を毎日読む#017】


第3週第3日(水)
■1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365
17 視覚芸術:パルテノン神殿
パルテノン神殿は、政治家ペリクレスの命により、ペルシア軍にギリシア軍の勝利を記念して紀元前447年から前432年に建設された。その建築は、ドーリア式とイオニア式が組み合わせており、資格補正と言って、形をゆがめることで、建物が美し見える技も使われている。

■1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365【人物編】
17 革新者:ヒッポクラテス
古代ギリシアでは、疾病は神による罰であると解釈されており、治療には祈祷や神へのいけにえなどが使われた。しかしヒッポクラテスは、疾患には自然の原因があり、食事を変えたり薬を使ったりすることで治療できると考えた。また、「ヒッポクラテスの誓い」が含まれる『ヒッポクラテス全集』を書いたとされる。

■1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365【現代編】
17 音楽:アルノルト・シェーンベルク
オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)は、無調という概念の普及に貢献した。無調とは、クラシック音楽で従来の和声を排して不協和音を組み合わせる革命的なスタイルである。彼は「不協和の解放」と呼び、協和音と不協和音の違いを取り払った。

■1日1ページ、読むだけで身につくからだの教養365
17 薬と代替療法:アスピリン
1899年、バイエル社は筋肉や関節の痛み、頭痛を軽減し、解熱作用のある新薬アスピリンを市販した。アスピリンはアセチルサリチル酸という化合物で、サリチル酸同様の作用をもちながら、胃にずっとやさしかったのだ。

■1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365
17 文学:『日本書紀』
『古事記』の成立からわずか8年後、720年に完成したとされる『日本書紀』。2つを合わせて「記紀」と呼ばれ、日本文学の始まりを告げるものである。出来事を年代順に記載する「編年体」という形式をとり、歌謡部分以外は、ほぼ漢文で書かれている。

■1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365【歴史編】
17 外交:金印
古代日本において、後漢から印綬を賜った記録があるのは倭奴国だけである。その金印は、1784年に水田から偶然発見された。印の材質は、玉、金、銀、銅の順で地位が下がり、紐の色によっても地位が変わる。魏の時代には、邪馬台国の卑弥呼も金印を授かっている。


人間を越えたものに対する畏怖【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0044】


【短編小説】欲望の城/星新一
過ぎたるは及ばざるが如しな話ではあるが、夢を見ることで欲望が満たされるという。欲しがるたびに物が増え、そして増えてすぎて、眠るのも怖くなってしまったようだ。ただ、正直な所、そんなに夢に左右されるかなあと思う。夢はあくまで夢であって、現実の見え方まで変える力はないように感じる。

【詩・俳句・短歌・歌詞】死んだ男の残したものは/谷川後太郎
一読しただけではピンとこず、何度も読んで、解説も読んで、何となく理解できた気分になっているだけのような気がする。解説によれば、ベトナム戦争に対する反戦歌だとのこと。「死んだ兵士」という言葉はあるが、戦争がテーマとは感じなかった。

【論考】人間の限界について/森本哲郎
人間を越えたものに対る畏怖が大切さいうのには、同意するものの、その超越者が絶対化されてしまうと、かえって人は硬直的になってしまうようにも思う。やや凡庸ではあるが、中庸というかバランス感が大事なのではないか。とは言え、法然の専修念仏は筋も通っているので、非常に設得力があった。


「エレアのゼノン」「倭国大乱」など【「1日1ページ教養シリーズ」を毎日読む#016】


第3週第2日(火)
■1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365
16 文学:ハーレム・ルネサンス
ハーレム・ルネサンスとは、1920年代から1930年代初頭にかけて、ニューヨーク市のハーレム地区で花開いたアフリカ系アメリカ人の文学・芸術運動。基礎を築いたのが、歴史学者・社会理論家のW・E・B・デュボイスである。また、中心的作家のひとりがジェイムズ・ウェルドン・ジョンソンだ。音楽と文学が切っても切れない関係にある。

■1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365【人物編】
16 哲学者・思想家:エレアのゼノン
哲学者ゼノン(前495頃~前430頃)は、「ゼノンのパラドクス」で知られている。一定の距離を進むには、必ずその中間地点が存在し、際限なくその中間地点が到来するため、いつまでも到達できないという考えだ。俊足の走者は、先に出発した亀に追いつけないとした「アキレスと亀のパラドクス」もある。

■1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365【現代編】
16 文学:ウィリアム・バトラー・イェーツ
詩人ウィリアム・バトラー・イェーツ(1865~1939)は、アイルランド人の文化意識で大きな位置を占める。詩人ウィリアム・ブレイク(1757~1827)の作品と、アイルランド文芸復興運動の影響を受け、神秘主義にアイルランド固有の文化的インスピレーションを混ぜ合わせた世界観を育んだ。

■1日1ページ、読むだけで身につくからだの教養365
16 病気:病原体
病気を引き起こす病原体には、細菌やウイルス、カビ、原虫などがある。ウイルスは遺伝物質を含む小さなカプセルで、増殖するために宿主を必要とする。宿主となる細胞をハイジャックして、その細胞の中で増殖する。病原体の感染を防ぐには、頻繁に手を洗うことが最も効果的である。

■1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365
16 歴史:三内丸山遺跡(縄文時代)
縄文時代中期、約5900年前から約4200年前までの大規模集落が、青森県の三内丸山遺跡だ。中でも最も注目されるのは、6つの柱穴を持つ「大型掘立柱建物跡」である。これにより、文明や技術に乏しい原始社会という縄文時代のイメージを、一新させることになった。

■1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365【歴史編】
16 争い:倭国大乱
倭国の大乱は、『三国志』の「魏志倭人伝」や『後漢書』の「東夷列伝」などに記憶される、倭国内で起きた争乱のこと。邪馬台国など倭国の国々が畿内にあったら、ヤマト政権と熊襲の争乱とみられるが、邪馬台国が北九州なのだとしたら、熊襲の人々同士が戦っていたことになる。


フランクリン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#017】


【1月17日】フランクリン:1706.1.17~1790.4.17

もしもお前の好きなようにしてよいと言われたならば、私はいままでの生涯を初めからそのまま繰り返すことに少しも異存はない。ただし、著述家が初版の間違いを再販で訂正するあの便宜だけは与えてほしいが。

『フランクリン自伝』松本慎一・西川正身訳、岩波文庫、1957年

【アタクシ的メモ】
後悔のない人生を送ってきたということか。ただ、初版の間違いは訂正したいということは、少なからず改善の余地はあるようだ。