シェークスピア【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#114】


【4月23日】シェークスピア:1564.4.23~1616.4.23

明日、また明日、また明日と、小刻みに一日一日が過ぎ去っていき、
定められた時の最後の一行にたどりつく。
きのうという日々はいつも馬鹿者どもに、
塵泥の死への道を照らして来ただけだ。
消えろ、消えろ、束の間のともし火!
人生はただ影法師の歩みだ。
哀れな役者が短い持ち時間を舞台の上で派手に動いて声を張り上げて、
あとは誰ひとり知る者もない。

『マクベス』木下順二訳、岩波文庫、1997年

【アタクシ的メモ】
「人生はただ影法師の歩みだ」という言葉が強烈。これがシェークスピアの人生観ではないだろうが、生きることを非常に矮小に見ている。


レーニン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#113】


【4月22日】レーニン:1870.4.22~1924.1.21

わたしはこう思うのです。このような奇跡を人間はつくることができるのだと……。……罪のないばかを言って汚らしい地獄に生きながら、このように美しいものをつくることができる人間の頭をなでてやりたくなるのです。でも、今日はだれの頭もなでてやるわけにはゆきません。手を嚙み切られてしまいますからね。逆に、頭をたたいてやらねば、情け容赦なくたたいてやらねばならないのです。われわれは、理想としては人間に対するあらゆる暴圧に反対なのですけれどもね。そうです、この仕事は、おそろしくむずかしいものですよ!(「レーニン」)

ゴーリキー『追憶』(江口朴郎「レーニンと現代の課題」、『レーニン』『世界の名著』52、中央公論社、1966年より)

【アタクシ的メモ】
どの辺りが、英知のことばなのか判然としない。地獄にいながらも美しいものをつくることができるという人間に対する肯定なのか、時に厳しく指導しなければ人間は成長しないという認識なのか。


ケインズ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#112】


【4月21日】ケインズ:1883.6.5~1946.4.21

経済学者や政治哲学者の思想は、それらが正しい場合も誤っている場合も、通常考えられている以上に強力である。実際、世界を支配しているのはまずこれ以外のものではない。誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。虚空の声を聞く権力の座の狂人も、数年前のある学者先生から〔自分に見合った〕狂気を抽き出している。

『雇用、利子および貨幣の一般理論』(下)、間宮陽介訳、岩波文庫、2008年

【アタクシ的メモ】
経済学者や政治哲学者の思想は、過去の何らかの学説から強く影響を受けているため、強力であると言いたいのだろうか。もっと抽象化して言えば、人間が紡いできた知性は、その歴史によって強化され続けるということなのかもしれない。


親鸞【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#111】


【4月20日】親鸞:1173.4.1~1262.11.28

煩悩具足の身なればとて、こゝろにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、くちにも、いふまじきことをもゆるし、こゝろにも、おもふまじきことをもゆるして、いかにもこゝろのまゝにてあるべしとまふしあふてさふらふらんこそ、かへす〲不便におぼえさふらへ。ゑひもさめぬさきに、なほさけをすゝめ、毒もきえやらぬにいよ〱毒をすゝめんがごとし。くすりあり、毒をこのめとさふらふらんことは、あるべくもさふらはずとぞおぼえ候。(『末燈鈔』)

『親鸞集 日蓮集』多屋頼俊校注(『日本古典文学大系』82、岩波書店、1964年)

【アタクシ的メモ】
思うがままに生きるのは、薬があるから毒を飲んでも構わないという考えと同じであると言っているようだ。煩悩に従うのではなく、そこから抜け出そうと努力することが大事なのだろう。


ダーウィン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#110】


【4月19日】ダーウィン:1809.2.12~1882.4.19

いろいろな種類の多数の植物によっておおわれ、茂みに鳥は歌い、さまざまな昆虫がひらひら舞い、湿った土中を蠕虫ははいまわる、そのような雑踏した堤を熟視し、相互にかくも異なり、相互にかくも複雑にもたれあった、これらの精妙につくられた生物たちが、すべて、われわれの周囲で作用しつつある法則によって生みだされたものであることを熟考するのは、興味ふかい。

『種の起源』(下)八杉龍一訳、岩波文庫、1990年

【アタクシ的メモ】
当たり前だが、生物の生態系(エコシステム)は、非常に複雑なのだろうと思う。もちろん、それ自体をデジタル化することもできないから、はっきりと見える化することも困難なはずである。


ベルクソン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#109】


【4月18日】ベルクソン:1859.10.18~1941.1.4

不意に目の前に差し迫った死の威嚇が現れてきた人びとには、崖から下へ滑る登山家や水に溺れる人や首を吊った人には、注意の急激な転換が生ずることがあるようです。――それまで未来に向けられて行動の必要に奪われていた意識の方向が変わったために、突然それらに対して関心を失うようなことが起こるようです。それだけでも十分に「忘れていた」何千という細かい事が記憶によみがえり、その人の歴史全体が目の前に動くパノラマとなって展開するのです。(「変化の知覚」)

『思想と動くもの』河野与一訳、岩波文庫、1998年

【アタクシ的メモ】
死の間際のいわゆる「走馬灯」、過去の様々な記憶がフラッシュバックすることを言っているのだろうか。それにしても、ベルクソンはどうしてここまで走馬灯を明言できるのか。


小林一茶【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#108】


【4月17日】小林一茶:1763.5.5~1827.11.19

「親のない子はどこでも知れる。爪を咥へて門に立。」と子どもらに唄はるゝも心細く、大かたの人交りもせずして、うらの畠に木・萱など積たる片陰に跼(かがま)りて、長の日をくらしぬ、我身ながらも哀也けり。

  我と来て遊べや親のない雀  弥太郎 六才(『おらが春』)

『父の終焉日記・おらが春 他一篇』矢羽勝幸校注、岩波文庫、1992年

【アタクシ的メモ】
小林一茶自身が、幼いころ寂しく、辛い家庭環境にあったことを綴っているようだ。「我身ながらも哀也けり」と言っているが、大人になってこうして言葉にできていることから、ちゃんと乗り越えられたのかもしれない。


パウル・クレー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#107】


【4月16日】パウル・クレー:1879.12.18~1940.6.29

色は、私を捉えた。自分のほうから色を探し求めるまでもない。私には、よくわかる。色は、私を永遠に捉えたのだ。私と色とは一体だ――これこそ幸福なひとときでなくて何であろうか。私は、絵描きなのだ。(1914年4月16日)

『クレーの日記』南原実訳、新潮社、1961年

【アタクシ的メモ】
画家、絵描きの矜持を感じる文章だ。日記といえども、「私と色とは一体だ」と言い切れるのは、ある意味うらやましい限りである。


ヘンリー・ジェームズ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#106】


【4月15日】ヘンリー・ジェームズ:1843.4.15~1916.2.28

あまり善良すぎることをするのはおやめなさいよ。少し気楽に、自然に、そして意地悪になさいな。一生に一度くらい、少し悪者になってみるのも、案外いいものよ。

『ある婦人の肖像』(下)、行方昭夫訳、岩波文庫、1996年

【アタクシ的メモ】
これは、人間が善良であり続けるための方便なのか。それとも、悪への誘惑なのだろうか。


レイチェル・カーソン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#105】


【4月14日】レイチェル・カーソン:1907.5.27~1964.4.14

自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶるからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマドリ、スグロマネシヅク、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜は明ける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音一つしない。野原、森、沼地――みな黙りこくっている。

『沈黙の春』青樹簗一訳、新潮文庫、1992年

【アタクシ的メモ】
筆者が見た自然の様子を、端的に描いている。引用の分量は、そんなに長くないが、沈黙の様子が生々しく感じる。