天神山の記憶(6)【フジロックGO #0008】


「天神山の記憶(5)【フジロックGO #0007】」はこちら

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの演奏が終わると、アタクシは我にかえった。ビニール袋で作ったお手製のカッパを、勢いで投げ捨てており、ずぶ濡れになっていたからだ。後先考えずに行動したことを反省しても、後悔先に立たず。仕方なくステージ前から移動しつつ、「フジロックすげーな」みたいな感慨を噛み締めていた。

やや呆然としながらはけていると、誰かに後ろから押され、その勢いで前にいた金髪の女性にぶつかってしまった。「あんた、痛いじゃないの」と英語で言われて、恐縮しながらも「何だよ、俺のせいじゃないのに」と言い返したかったが、英語がしゃべれないこともあって、実際には黙っていた。ロックフェスって、こんな風に殺伐とするものなのかと、小さな疑念も生まれた。

友人とアタクシは、テントに戻ることにした。このまま外にい続けるわけにもいかず、狭いながらも、雨風から逃れられる場所を選択したのだ。その後の報道で知るのだが、多くの参加者は着の身着のままで来場しており、とにかく行き場に困っていたそうだ。


天神山の記憶(5)【フジロックGO #0007】


「天神山の記憶(4)【フジロックGO #0006】」はこちら

フー・ファイターズの次のアクトは、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンだった。雨もしたたか降っていたと思う。それでも、アタクシたちはテントを張ったスキー場の斜面を滑るように下って、ステージ前に走り込んだ。思っていた以上に地面はドロドロで、実際は走れていなかったかもしれない。そんな最前列ではないが、割と正面に陣取ったと記憶している。CDで何度も何度も聞いて、それだけで熱くなる音が、目の前で鳴っていた。

周りのキッズたちもひどく興奮していた。誰も彼もが飛び跳ねている。ザックの声に、トムのギターに突き動かされていた。気づけばあっという間に沸点に達している。カッパを着ている人は皆無。アタクシ含め、ほとんどの一年生フジロッカーはTシャツ姿でビショビショになっていた。そのTシャツから、身体から、もうもうと煙が立ち上っていた。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに煽られた熱気が、水蒸気となってステージ前を雲のように覆っていたのだ。こんな光景は、後にも先にもこれっきりである。


天神山の記憶(4)【フジロックGO #0006】


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やっとたどり着いたフジロックの会場。その時、聞こえてきたのはフー・ファイターズだったと思う(今回、改めて確認するまで、フジロック初体験バンドはサマーキャンプだと思っていたので、アタクシ的にはずっと忘れられない、甘酸っぱい思い出のあるバンドになっていたヨ)。

ニルヴァーナが何より好きなアタクシにとっては、まだデイブ・グロールの新しい活動は受け入れづらく、ファースト・アルバムこそ聞いていたものの、ちょっと冷めた感情があった。そんなこともあって、まずはテント設営から始めた。

今でこそ「フジロック=キャンプ」というイメージが定着しているが、その当時はテントなど持って来ている人は少数派で、やや大げさに言えばテントは数えるほどしか張られていなかった。しかし、このテントが、その後のアタクシたちの命運を分けることになった。スキー場だったので、かなり傾斜もきつく、もっと平らなところないかなーくらいにしか思っていなかったのだが。


天神山の記憶(3)【フジロックGO #0005】


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第1回のフジロック、会場に向けて歩き続けたアタクシたち。何の計画も、どんな展望もなく、ただただ歩みを止めなかった。もし現在だったら、スマートフォンをあれこれいじって、何らか善後策らしきものをを探したかもしれない。しかし、その当時は目の前に見えるものがすべてで、インターネットのような拡張空間は、存在していないも同様だった。

実際に、ほかの人たちが進んでいる方向を追いかけているだけで、下手をすると間違った場所や目的地を目指していたのかもしれなかった。それでも、いつかきっと会場にたどり着けるはずと思い、淡々と歩いた。恐らく3時間以上は歩きつづけたと思うものの、終始ずっと悲壮感はなかった。

かなり記憶はあいまいだが、15時頃まで歩き続けて会場入り口に到達した。ある意味待ち焦がれ場所だったが、人気もまばらでやや拍子抜けした印象が残っている。苦労して歩いてきたのに、誰も歓待してくれないんだなと思ったのだ。当然、ライブは始まっていた。もう中盤から後半にかかっていた。その日残すアクトは数件という状況だった。


天神山の記憶(2)【フジロックGO #0004】


「天神山の記憶(1)【フジロックGO #0003】」はこちら

友人とアタクシは、とぼとぼと会場に向かって歩き始めた。事前には徒歩を全く予定していなかったので、どれくらいの距離があるのか、どの程度の時間がかかるのかも見当もつかないままだ。当時、携帯電話は持っていたかもしれないが、Googleマップのような便利なサービスもなかったので、これから先のことはぼんやりしたままである。

途中で雨が降ってきた。今フジロックに参加するなら、カッパは最も大事な必需品であるが、その時は持っていなかった。コンビニに入って、大きめのビニール袋を買って、頭と腕の部分に穴を開けて、即席のカッパにして進んだ。ビールも購入して、友人と「何か楽しいなあ」などと笑い合っていた記憶がある。

もちろんシャトルバスに何度か抜かれたが、数えるほどだった。少し焦る気持ちにもなったが、河口湖駅で待っていても、乗れそうな感じはしなかったので、ノロノロとはいえ会場に少しずつ近づいている方がよかった。周りに、自分たちと同じように歩いている人が多かったのも、アタクシを安心させてくれた。


天神山の記憶(1)【フジロックGO #0003】


フジロックは、せっかく第1回の天神山から参加しているので、その初回の体験談について書きたいと思う。

もう20年以上前のことである。チケットを取った経緯は、正直あまり記憶にない。その当時、アタクシは仕事に就いたばかりの社会人一年目で、恐らくロッキングオンか何かを見て、申し込んだのではなかったか。友人を含め、2名で参加することにした。その友人は仙台に住んでいたはずで、関東で合流して河口湖駅に向かった。

駅に近づけば近づくほど、ロックを聞きそうな人が多くなっていったのを覚えている。だから、駅にたどり着けば、ロックフェスが始まると考えていた。しかし、実際はそれからが長かった。駅から会場までシャトルバスが出ているということだったが、その本数も参加者の観点からは圧倒的に少なく、駅でとにかくバス待ちをしなければならなかった。

バスが数台来ても、数えるほどの人数しか乗り込めない。いつまでも経っても、自分がバスに乗れるような状況ではなかった。そこで、友人とアタクシは、シャトルバスを待つのを諦め、徒歩で会場に向かうことにした。


正月とお盆が一緒に来るイベント【フジロックGO #0002】


気づいた頃には、アタクシにとってフジロックは、「正月とお盆が一緒に来たようなもの」と表現するイベントになっていた。7月最終週の金土日と毎年恒例の3日間ということや、会場が苗場になってからは、フジロックに行くというよりも、また戻ってきたという感覚が強くなってきたからだろうか。

毎年参加しようと思うと、一年間のタイムスケジュールはおのずとフジロックを意識するようになる。転職活動するときも、教育ビジネスのように夏期講習があって夏は必ず忙しい職業は、どうしても選択肢から外れてしまう(現実の仕事選びで困ったことはないのだけど…)。

転職の面接でも、フジロックについて話すことがある。「7月の最終週はフジロックに行きたいので、お休み取れますか」と、ダイレクトに質問したことも少なくない。一般論で考えると、面接時にそんな自分の都合や条件ばかり言うのはどうなんだろうと思わなくもないのだが、面接の通過率などと合わせて振り返ると、直接的に聞けた方が内定をもらうことも多いし、実際にヨイ転職先のような気がする。

意識して発言したわけではないのだが、自分にフィットしていて、雰囲気もヨイからこそ、自然と質問できてしまうのかもしれない。こうした実体験も含めて、転職時にはフジロックに参加したい旨をしっかり伝えるのが吉なのだと思っている。皆さんの幸運を祈る。


最初に言葉ありき【フジロックGO #0001】


フジロックについて、書こうと思う。うまくいくかどうか、よくわからない。ただ、アタクシが1997年の初回から参加し続けてきたフジロックについて、書きたいと思っている。これを書こうと明確に考え始めて、少なくとも半年以上の時間が経っているが、テーマやコンセプトはまだ明確ではない。フジロックについて、何かを継続的に書こうと思っているだけだ。

アタクシは、1997年に初回が行われたフジロックから現在の最新、2019年まで連続でずっと参加を続けてきた。タイミングがよかったと思ている。第1回が行われたときは、とっても軽い気持ちでチケットを購入した。何か面白そうな野外イベントがあるなと感じただけだ。当時、自分がずっと通い続けるとは全く思っていなかった。そもそも、フジロックを体験もしたことがなかったのだから。

それでも、気づけば23年間にわたり参加を続けている。今は、毎年フジロックに行くことが目標というか、人生の目的のようになっている。ここ3年は、子どもたちも含めて家族4人で参加するようになった。それからは、音楽に興味のない子どもたちに合わせると、ほぼライブは聴けない。もともと音楽を浴びるように体験したいと思って参加をしてきたアタクシにとって、大きな変化である。それでも、フジロックの参加をやめるつもりは今のところない。自分なりに感じる魅力を、気軽に語れたらと思っている。


旋律【原稿用紙一枚の教養#0012】


※『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』の各ページを400字程度で要約しています。

第2週第5日(金)
12 音楽
旋律

旋律は、メロディーと呼ばれることも多く、一つまたは複数の楽器で演奏され、いくつもの音を、美しく響くように並べたものだ。和声(ハーモニー)とリズムと並んで、音楽の三要素の一つと考えられている。

並べられた音は、ある種の一体感、つまり、まとまっているような感じを作り出す。旋律と和声の違いは、旋律では個々の音が一つひとつ順に演奏されるのに対し、和声では複数の音が同時に演奏さる点にある。

旋律の定義は時代とともに広がり、一昔前の作曲家なら大胆だと思ったり耳障りだと感じたりするような音の並びも含まれるようになった。モーツァルト、シューベルト、シベリウスの三人は、旋律作りの天才と言われている。

旋律は、楽句(フレーズ)と呼ばれる短い単位に分割される。楽句の最後に来る区切りを、終止(カデンツ)という。通常はいくつもの楽句が集まって旋律の全体構造を形作っていて、それぞれの楽句が質問と回答のやり取りをしているような印象を与えることが多い。旋律の一部分が主題を提示し、別の部分がそれを完結させるのだ。

【アタクシ的ポイント】
音楽の三要素ということだが、旋律(メロディー)が一番、普遍性の高い気がする。


株式会社マリンロード【自由すぎるウェブ解析士の3分間サイト分析#0011】


URL:https://www.marineroad.com/

<特徴>
ホワイトを基調にしたシンプルなデザインでまとめている。地方の制作会社のようだが、サイト制作だけでなく、システム開発やWebプロモーションまで幅広く手掛けるようだ(地方企業だからこそ、自ずと対応範囲が広がるのだろうか)。ブログなどの情報発信も地道に続けているが、デザインの印象などもからも、やや淡白なイメージを持ってしまった。

<勝手に改善ポイント>
・グローバルナビの最初に「~が選ばれる理由」と入れるのを、最近よく見かける。ある意味流行だと思うが、顧客視点とは真逆だし、やや発想が楽観的すぎると思う。顧客が最初に知りたいのは、どうやって自分たちの課題を解決してくれるかであって、依頼先を決めるのは次のステップだからだ。

・キービジュアルやブログのサムネイルを含め、無理やり画像を入れている感じが強い。抽象的な図柄だと、サイトの印象もぼんやりしてしまうだろう。例えば、写真撮影のサービスもメニューにあるくらいなので、自社でディレクションした撮り下ろし画像の利用なども検討してはどうか。

・各サービス紹介文が淡白で、値段ばかり目に入ってくるの正直なところ。低価格を訴求したいならしかたないが、安いから頼もうという顧客にしかアピールできていないのではないか。

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