中井正一【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#045】


【2月14日】中井正一:1900.2.14~1952.5.18

一体人間は、二つの魂の誕生をもっているといえよう。世界がこんなに美しく、世の中がこんなに面白いものかと驚嘆する時がある。これが第一の誕生である。そしていつか、それとまったく反対に、人間がこんなに愚劣であったのか、また自分も、こんなに下らないものだったのかと驚嘆し、驚きはてる時がくる。これが第二の、魂の誕生なのである。しかし、この時、人々は、ほんとうの人生を知ったというべきであろう。(「美学入門」)

『中井正一評論集』長田弘編、岩波文庫、1995年

【アタクシ的メモ】
中井正一は、美学者、評論家、社会運動家だったとのこと。国立国会図書館の初代副館長でもあった。上の記述は、美醜による二元論的な人間理解だったということであろう。


八歳の活力と同年代に死の影【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0071】


【短編小説】これはジェイミーに/トルーマン・カポーティ ◎
もうすぐ八歳になるテディの物語。その年齢らしい純粋さや快活さにあふれた文体である。それだけでも価値のある作品ではないか。だだ八歳の活力、明るさの背後に、同年代ジェイミーの死を感じさせ、重苦しくはないが、悲しみがにじむ。読み手としては、これまでにないパターンに、してやられた感じだ。

【詩・俳句・短歌・歌詞】奴隷根性の唄/金子光晴  △
2023年現在では、なかなか受け入れられない詩ではないだろうか。焦点は、奴隷根性自体を責めているのか、奴隷根性を持つ「人」を非難しているのか。私には「人」を責めているように読めて、共感できなかった。そうした状況は、環境に由来することもあり、個人だけを問題視できないのではと思った。

【論考】生命の不思議について/森本酒郎  △
「自然は経験を必要としない」という言葉から、生物はそれぞれ世界を持ち、それは「総譜」や「意味の計画」だと説明する。しかし、私には「作曲」や、そもそも「意味」が何を差しているのか、よく分からなかった。特に意味というのは、人が、ある視点から見出すものであり、他の生物にとって、意味はあってもなくても構わないのだと思う。


内村鑑三【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#044】


【2月13日】内村鑑三:1861.2.13~1930.3.28

神を見ると夢幻にかれを見るということではない、また神秘的にかれを感ずるということでもない、神を見るとはイエスキリストを真の神として認むることである。かの最も不幸なる人、かの罪人として十字架に懸けられ、エリエリラマサバクタニの声を発しながら息絶えし人、かの人を神と認むるをえて、人生のすべての問題の解決はつくのである。神を見るとは実に神を見ることである、わが罪を担うてわれに代わりて屈辱の死を遂げ給いし人なるイエスキリストを神として認むることである。(「神を見ること」)

『内村鑑三所感集』鈴木俊郎編、岩波文庫、1973年

【アタクシ的メモ】
自分はキリスト教徒ではないせいか、トートロジーに感じる。「イエスキリストは神だから神なのだ」というような。「真の神」という表現も、真ではない神がいるようで、やや違和感がある。


相手を追い出すほどの妬みや嫌悪【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0070】


【短編小説】ルイーズ/トルーマン・カポーティ ◎
ルイーズに対するやや理不尽な嫉みから、エセルは彼女を退学へと追い込む。どうして嫌いという感情だけで、そこまでの行動をとるのだろうか。また、退学に至る理由に、人種差別的なものがあり、今読むとモヤモヤした感情が残る。書かれた当時の空気感はどうだったのだろう。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ぼるぼろな駝鳥/高村光太郎 ○
動物園の駝鳥を読んだ詩のようだ。動物園に行けば、まとめて色々な動物が見られるから、人間にとっては好都合であるが、動物にとっては暮らしやすい環境ではきっとないだろう。筆者の言う通り、駝鳥らしくない駝鳥を見せていても、その意義はとても薄いと感じる。

【論考】身のほどについて/森本哲郎 △
現状に甘んじるわけでなければ、「身のほど」を知ることは大切だと思う。ただ、この論考自体は、イソップによる寓話の紹介、読み方の解説みたいになってしまったようで残念である。テーマや筆者の主張を明確にしたうえで、イソップの物語を活用したら、もっと違った展開になったと思う。


カント【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#043】


【2月12日】カント:1724.4.22~1804.2.12

それを考えることしばしばであり、かつ長きにおよぶにしたがい、つねに新たなるいやます感嘆と畏敬とをもって心を充たすものが二つある。わが上なる星しげき空とわが内なる道徳法則がそれである。二つながら、私はそれらを、暗黒あるいははるか境を絶したところに閉ざされたものとして、私の視覚の外にもとめたり、たんに推し測ったりするにはおよばない。それらのものは私の眼前に見え、私の存在の意識とじかにつながっている。

『実践理性批判 人倫の形而上学の基礎づけ』坂部恵・平田俊博・伊古田理訳(『カント全集』7、岩波書店、2000年)

【アタクシ的メモ】
まだきちんと解釈できているわけではないが、「わが上なる星しげき空とわが内なる道徳法則」は重要な一文だと思っている。翻訳でもヨイので、原典に当たらなければならないだろう。


デカルト【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#042】


【2月11日】デカルト:1596.3.31~1650.2.11

我々は幼年のとき、自分の理性を全面的に使用することもなく、むしろまず感覚的な事物について、さまざまな判断をしていたので、多くの先入見によって真の認識から妨げられている。これらの先入見から解放されるには、そのうちにほんの僅かでも不確かさの疑いがあるような、すべてのことについて、生涯に一度は疑う決意をする以外にないように思われる。(「人間認識の諸原理について」)

『哲学原理』桂寿一訳、岩波文庫、1964年

【アタクシ的メモ】
批判的精神というか、当たり前と思っていることも、まずは一度疑ってみることから始めようということか。デカルトの一文が、「我思うゆえに、我あり」でないことに驚き。


なぜ人は「なぜ」と言わなくなるのか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0069】


【短編小説】知っていて知らない人/トルーマン・カポーティ  ◎
うたた寝から覚めると、死をもたらす人が目の前にいる。何とも不思議な話。ただカポーティは、直接的な説明はしない。その人物は、母親など身近な誰かが亡くなる日に、姿を現すという。死のキスを受けそうになったところで、ドアの音とともにその人物はいなくなってしまう。ミス・ナニーは悪い夢を見ていたのだろうか。その真偽も、全く語られない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】なぜ/川崎洋 ◎
詩の中で様々な「なぜ」が問われるが、世界は不思議に満ちている。そして、その問いには簡単に答えることはできない。作者は最後に、「人はなぜ、なぜを言わなくなるのだろう」と問うが、それは、世界の不思議に解答しづらいためではないか。などと問わず、当り前と受け入れた方が生きやすいだろう。

【論考】永遠について/森本哲郎 ○
題名を見て、とても期待して読んだが、日本人は世の無常を受け入れ、永遠の絶対者を求めない、ということであった。筆者は、日本とインド、あるいは西洋などと比較し、日本人のメニタリティー、無常感を説明する。それについては、異論はないが、どうして日本人は無常に安住するのかを知りたかった。


「生ましめんかな」と命を捧げる【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0068】


【短編小説】沼地の恐怖/トルーマン・カポーティ ◎
ストーリーの最後を読むと、どうしてジェプとレミーは逃げた因人なんて探しに行ってしまったのだろうと思ってしまう。一人は命を落としてしまうし、もう一人はそれを目の前にして助けてあげられなかった。誰も救われない物語である。また、カポーティは、なぜこの短編小説を書こうと思ったのだろう。読み終わって、解けない2つのモヤモヤに包まれている。

【詩・俳句・短歌・歌詞】生ましめんかな/栗原貞子 ◎
命は継いでゆくものだと改めて思った。その命は、ある意味で、その人のものかもしれない。しかし、人は一人で生きているわけではなく、助け合いながら、年長者が幼き者を世話しながら暮らしている。原爆が落とされたばかりの時、地獄のような瞬間においても、「生しめんかな」と命を持げた人がいた。涙なしには読めない。

【論考】「中くらゐ」について/森本哲郎 △
一茶の言う「中くらゐ」というのは、ちょうどまんなかではなく、自分にふさわしい程度、分相応ということらしい。ただ、この言葉の真意よりも、むしろ一茶の知らなかった人生の方に興味がいってしまった。恵まれなかった若かった頃や苦労が多かった晩年など。そうした意味では、論考というより評伝に感じる。


プーシキン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#041】


【2月10日】プーシキン:1799.6.6~1837.2.10

おもいでが 音もなく
ながい巻物をくりひろげる。
わたしは嫌悪のこころをもって
おれの生涯を読みかえし
身をおののかせ のろいの声をあげ
なげきつつ にがいなみだを流す。
けれども悲しい記録のかずかずは
もはや消し去るよしもない。

『プーシキン詩集』金子幸彦訳、岩波文庫、1968年

【アタクシ的メモ】
どうやら「思い出」という詩の一部のようだ。それにしても、「けれども悲しい記録のかずかずは/もはや消し去るよしもない。」という一文は、とても哀しみを帯びている。


禍いに満ちていても、その運命を抱きしめる【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0067】


【短編小説】火中の蛾/トルーマン・カポーティ
とても短いストーリー。そして、やはり哀しい物語。結局、命を落としてしまうセイディは、自業自得だったのか、エムの嘘が原因だったのか。因果関係は書かれていないため、読者それぞれが、自分なりに想像するしかない。唐突で急な終わり方含め、結論を読者にねるのがカポーティ流か。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ゆずりは/河井酔茗
人類の歴史というか、人々が次世代に継承していく営みをゆずりはに例えている。自分自身も40歳をすぎたころから、生きるのは子どもたちや社会のため、と考えることが多くなっていた。だから、この詩のメッセージにとても共感できる。また、語りかける子どもたちにとって、押しつけがましくなっていない点もよかったと思う。

【論考】禍いについて/森本哲郎
なぜ人は禍いから逃れられないのか。禍いについての考察。「パンドラの箱」の話は知っているようで分かっていなかったので、改めてひも解いてもらってありがたかった。途中の論の進め方はやや強引な印象もあったが、筆者の結論である「一生がどんなに禍いに満ちていても、その運命を抱きしめるしかない」には同意。弱者の論理かもしれないが。