私たちは生涯で、何回さくらを見るのか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0170】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】夫を訪ねる/リディア・デイヴィス ○
離始の話し合いをする男女。そういう状態だからなのか、ちぐはぐなコシュニケーションを繰り返している。また女性は、独りになっても、周囲と上手く距離がとれずにいる。この何もかも失敗する感じは、身にしみてよく分かる。少しネガティブすぎるかもしれないが、生きるとはこんなものだよなとも思う。

【詩・俳句・短歌・歌詞】さくら/茨木のり子 ◎
題名を見て、さくらの美しさの詩かなと思ったが、毎年決まった期間しか花を咲かせないことから、人の生き死にについての内容であった。もしさくらを見た回数を数えたら、年齢より少なく、自分の場合は30~40回くらいと、それ程多くないことに改めて気づかされる。そして、さくらが散る姿を見ることで、「死こそ常態/生はいとしき蜃気楼と」わかるという。

【論考】思い悩むあなたへ/池田晶子 ○
何度か読んで、段々と分からなくなってしまったようだ。「私はこの自分がいまここに存在するというこのことが、どのような膨大な量であれなんらかの数量に換算し得るとは全く信じていない」という言葉に、つきるのかもしれない。存在とは謎であり、数量では表せず、言葉でもとらえ切れず、いつも不思議として立ち現れてくるのであろう。


考え始めれば、世界の不思議に気づくはず【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0169】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】完全に包囲された家/リディア・デイヴィス ○
「完全に包囲された」とは、一体何のことであろう。原文は分からないが、「包囲」だけでは、それがポジティブなのか、ネガティブなのかはっきりしない。しかし、「家に帰りたいと女は思った」というくらいなので、きっとネガティブな包囲なのだろう。そして、帰りたい家がもう存在しないことが、一番ネガティブなのかもしれない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】のぶ子/鈴木章 ○
「のぶ子」が48回登場し、「書けば書くほど、悲しくなる」で終わる詩。読み手にとって「のぶ子」と名前を見ても、当然、具体的な人物像は浮かび上がってこない。ただの記号、固有名詞である。だが作者にとっては、大変に特別な人物であり、悲しみの要因になるくらいなのだろう。自分も似た経験があるから、身にしみる。

【論考】考えなければ始まらない/池田晶子 ○
そう、考えなければ始まらないのである。そして、考え始めれば、当たり前に思っていたことが、いかに驚くべき不思議だったかに気づくはずだと筆者はいう。「考える」とは、多くの人がよくする「思い悩む」とも違っているとも指摘する。しかし、振り返ってみると、学校で勉強は教えてくれるが、考えることはきっと教えないのであった。


恋を見たことある?【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0168】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】母親たち/リディア・デイヴィス △
とても短いからというだけでなく、小説(ストーリー)というよりも、エッセーのような内容、どんな人でも母親がおり、そして母親あるあるが述べられ、つねに周囲から見られて、語られると終わる。エッセーみたいと書いたが、エッセーなら成立しているかもしれないが、小説としては要素が不十分に感じる。

【詩・俳句・短歌・歌詞】小さな恋の物語/寺山修司 ○
「恋を見たことある?」という質問から始まる。改めて聞かれると、詩に書かれた通り、恋を見たことはないのである。形も、色も、匂いもないのだ。恋はどこかに存なしているのだろうが、目に見えたり、物理に知覚することはできない。この詩ではおばけにたとえているが、それくらい目に見えないものは力強いのだろう。

【論考】人生は量ではなく質/池田晶子 ○
「死は言葉としてしか存在しません」。筆者が言う通り、死体から「死」を取り出せないのだ。「生命は有限であるからこそ、価値がある」とも語る。死を忌避して、遠ざけるのではなく、死とは何かを、自分の頭で考える必要があるのだろう。永遠の命などないのだから。


「快適に生きる」と「よく生きる」の違い【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0167】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】W・H・オーデン、知人宅で一夜を過ごす/リディア・デイヴィス ○
とても短い短編小説。彼(=W・H・オーデン)は、寝むる際、恐らく一般的な上掛けだけでは物足りず、他人宅のカーテンやじゅうたんを必要としてしまう。その強迫観念的な行動の理由は、ほとんど説明されない。寒いというが、 じゅうたんをひっぺがし、掛けるのは尋常ではなく、奇妙な行動の真意は不明なままストーリーは終わってしまうのだった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】たし算/寺山修司 ○
詩の中で示されるのは、数学のたし算と、生き物や事柄、物のたし算。確かに数学では、たった一つの数字の解答しか導きだせない。リスと木の実や、ぼくときみのたし算だったら、その答えは、数字では表現できないだろうし、結果としてはかけ算のようになるだろう。

【論考】考えることは驚きから/池田晶子 ○
いくつも気になる文言があったが、生命が手の及ばない不思議だったから価値があり、自由になれば価値ではなくなるという件は、非常に現在的な問題を指摘していると思った。また、「快適に生きる」と「よく生きる」は違うというのは、いつもの池田節ではあるが、ハッとするのだ。


なぜ長生したいと思うのか?【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0166】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】義理の兄/リディア・ディヴィス ○
正体不明な「義理の兄」。誰の兄なのか、どこから来たのか、いつか出ていくのかも、わからないという。姿もほとんど見えず、最後には湯気のようになってしまい、はたき落とし、掃き出し、拭き取られてしまう。何かの暗喩なのだろうか。ただ、単なるなそなぞのようにしか読めないのである。

【詩・俳句・短歌・歌詞】あなたへの手紙/寺山修司 ○
本来手紙は、送り先や伝える相手がいなければ、成立しないものではあるが、あて名のない手紙を書き、その返事も自分で書いたという。そして、それは愛の手紙だった。状況は理解できるが、「ぼく」の意図や目的は、上手く理解できないでいる。愛を感じる対象が、あってこそだと思うからだ。

【論考】長生き方歳?/池田晶子 ○
なぜ人は長生きしたいと思うのか? 生きている時間の長短は、重要ではないと思う。池田さんが言う通り、「死によってこそ生は輝く」、「死を思って生きられる毎瞬のほうがはるかに充実しているはず」ではないだろうか。ただ生きていることで、幸福感は生まれないと思っている。


海だけは終わらないのだ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0165】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】設計図/リディア・デイヴィス ○
ある土地、ある家、ある友人に対して、執着する主人公。環境や状況は良くなくても、そこから去ることができない。最後まで、自分が夢みた場所にこだわり続ける。ただ、それは周囲の誰からも望まれていないとしても。最後に、夢うつつのような中で、幸福を感じており、幸せとは自らが生み出すものだと改めて感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】かなしくなったときは/寺山修司 ◎
「かなしくなったときは/海を見にゆく」という。自分は海まで2~3kmの距離に暮らしているから、目に触れる機会は比較的多いと思う。確かに、海を見ていると、不思議と落ち着いたり、ある意味で充足感のようなものを感じる。作者が「人生はいつか終るが/海だけは終わらないのだ」と言う通り、終わりがない存在だからなのか。

【論考】「現実」という夢/池用晶子 ○
「『本当にあったこと』は、『夢』と『現実」のあわいに消えていく」と、筆者は語るが、最近になって私も、それをよく実感している。現実に起きたことの記憶が、とてもあいまいだからである。また、全くの記憶違いも何度も経験している。夢と現実を混濁するのではなく、生(=現実)の意味を問わなければならないのかもしれない。


死体と死は違っている【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0164】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ある人生(抄)/リディア・デイヴィス △
ある人、「私」の人生を抜き書きした体裁。あまり連続性があるわけでもないので、この人がどんな人なのか、どんな性格なのかといったことも、あまりイメージできないままである。メッセージとしては、最後にある通り、やりたいことをやって生きろということなのだろうか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】Diamond ダイヤモンド/寺山修司 ○
「ほんとうに愛しはじめたときにだけ/淋しさが訪れるのです」と、作者は言う。それに反論したいわけではないが、私自身はあまり共感できない。愛することで、淋しさが生まれるのだろうか。少なくとも、自分にはそうした実感はないから、上手く飲み込めずにいる。また、タイトルのダイヤモンドもわからなかった。

【論考】「聖なるもの」の行方/池田晶子 ○
私たちは、死体を見たり、葬儀に参列することで、死を理解したように感じるが、「死体と死は同じものではない」と筆者が言うように、生きている人にとって死とは、絶対に分からないものなのである。死を医学的、科学的に規定することは可能であろうが、死は生と対極にあり、死んだことのない我々にとって不可知なのだ。


人間が作れる一番小さな海【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0163】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】手紙/リディア・デイヴィス ◎
別れた男女、その女性が主人公。男性は不在だが、痕跡を追うように、男性に近づこうとする。未練と言えば簡単だが、女性の感情表現はほとんど示されず、小さな行動が丹念に描かれている。あより抑揚がない、いつも通りの淡々とした文章によって、かえって女性の情緒が表現されているように感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】一ばんみじかい抒情詩/寺山修司 ○
「なみだは/にんげんのつくることのできる/一ばん小さな/海です」。これが詩の全文。確かにと、納得する半面、作者は「海」を何ととらえているのだろうか。単純に一定量の液体ということではないだろう。また、読み手にとって「海」は、何を想起すると考えているのか。端的に言って、美しい詩だと思うが、読者とのかけ橋があいまいにも感じる。

【論考】表微の部屋/ロラン・バルト ○
何度か読んだが、きちんと理解できていない。日本は、「空間の特殊な構造化がおこなわれている」という。どこが特殊なのか判然としないものの、西洋と違って境界があいまいで、装飾がほとんどないということか。それは、文明が未発達だったということより、神(一神教)の不在が大きな理由だと思う。


ひったへにびっくり【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0162】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】鼠/リディア・デイヴィス ○
その家には鼠がおり、罠を仕掛けて捕まえ、罠ごと雪が積もる屋外に捨ててしまうという話。文章がいつも通り淡々としているし、シチュエーションの違う場面が、ある意味でぶっきら棒につなげられているため、とても不思議な読後感である。著者のメッセージは、把握できなかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】えかきうた/谷川後太郎 ○
これは、ビジュアル詩と言った方がヨイのかもしれない。「ひ」「へ」「び」で「ひった/へに/びっくり」した顔が描けるからだ。また、この時も、意味本意な詩ではなく、とても短いが言葉遊び的な要素が強く、ユーモアを感じる。こうした詩はどうしても幼い感じもあるが、個人的には好みである。

【論考】暴力の表現体/ロラン・バルト △
全学連について。「暴力以前の力を統御することこそが大切である」「全学運の暴力は暴力それ自身の調整に先行しない。調整と同時に発生する」といった個所が気になった。全体を読んで、今回も理解に苦しんだが、全学運は暴力が目的化しており、逆から言えば、暴力を行使する理由が希薄だと言いたかったのだろうか。


意味本意の詩からの脱走【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0161】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ミルドレッドとオーボエ/リディア・デイヴィス ○
ミルドレッドは、女性の名前のようで、一人称で語る私を含め、このミルドレッド以外は名前が出てこない。アパートの住人はやや変わった人たちばかりみたいに描かれている。一方、「私は善良な市民で、母親で、私は早く寝る」と述べられているが、それをどこまで信じてヨイのかは、短い小説でもあり、よくわからない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ののはな/谷川俊太郎 ○
冒頭は「はなののののはな」から始まる。正直、きちんと読めなかったが、調べてみると、「花野の野の花」のようだ。花野という言葉を知らなかったので、読めないのも当然だったのだろう。作者の意図としては、あまり意味本位な詩にしたくなかったらしい。もちろん、それは成功していると思う。

【論考】瞼/ロラン・バルト △
筆者は、日本人の目が特別だと語る。これまで通り、正直、説明されていることは、よく分からないままである。一部引用すると、「眼は、裂け目のなかで自由である」そうだ。ただ、分からないなりに読んで解釈すると、彫りが深い西洋人とは、目つき、顔つきが違っていると言っているにすぎないのではないか。