女はいっそ自分のことを愚かな男と呼びたいと思う【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0180】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】昔、とても愚かな男が/リディア・デイヴィス ○
「女はいっそ自分のことを愚かな男と呼びたいと思う」とあったり、人間の自己同一性を超え出た表現が散見され、ちょっとした異空間に迷い込んだ感じがするだろうか。ただ、作品の意図やメッセージはなかなか理解できないでいる。よく分からないが、生きることの難しさや生きづらさを語りたいのか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】アランブラ宮の壁の/岸田衿子 ○
アランブラ宮とは、アルハンブラ宮殿のことだろうか。とは言え、アルハンブラ宮殿も、名前しか聞いたことはないのだが。話はとても短く、アランブラ宮もイメージできないとなると、書かれた内容を読んでも、頭に像が描けないままになってしまう。

【論考】お台場海浜公園/池田晶子 ○
今回も、池田さんがかつて飼っていたコリー犬の話し。これも、ほほ笑ましいのではあるが、書籍のテーマである死や、章タイトルの「ひとりだけで考える」との関連は見えてこないのだった。もしかすると、後に続く文章の前段的な内容なのかもしれない。


よくわからないが続く【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0179】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】フランス語講座 その1-Le Meatre/リディア・デイヴィス △
語学講座の体裁で、記述が進む。ただ、フランス語については、ほとんどわからないこともあり(外国語がとにかく苦手)、内容がほさんど入ってとなかった。現代的なアプローチだと思うが、やはり普遍性はないように思うので、私自身はあまり肯定的にはとらえられない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】オイノリ/阪田寛夫 △
カタカナだけで構成されているので、読みづらいし、正直言って、意味もとれなかった。なので、詩としての良し悪しが、何も言えない。ちょっと悪く言いすぎだろうが、ポカーンとしてしまった感じだ。また「アーメン」が出てくるが、どうして言われるのかも分からない。

【論考】似たもの同士/池田晶子 ○
飼っている大きなコリーと散歩が楽しいという話で、もはや論考ではなく、エッセーである。もちろんエッセーが悪いわけではないか、なぜ『死とは何か』という本に収録されたのかが、よく分からない。読めば、単純にほほ笑ましいのではあるが。


ああめん そうめん ひやそうめん【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0178】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】セラピー/リディア・デイヴィス ○
セラピーに通う女性。彼女自身にとって、重大かもしれない出来事はあるのかもしれないが、小説らしいエピソードがあるわけではない。いつも通り、ややネガティブな記述が淡々と続く。そして最後は、「それを決めるのは、たぶん私ではないのだろう」で終わる。もちろん人生は、自分の意志だけで成立するわけでなないが、それでも哀しい気分になるのだった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ああめん そうめん/坂田寛夫 ○
「おあめん そうめん ひやそうめん」というフレーズは、この詩から生まれたのだろうか。全く出自は知らなかったが、フレーズだけはなぜだか子どものころから知っていた。語感のユニークさの印象がとても強く、明るいイメージを持っていたが、詩の中では、父親の死を嘆く箇所があった。「ああめん」という言葉があるので、よく考えたら当然なのだろう。

【論考】わからないのは当たり前/池田晶子 ◎
「たかが人生ではないか。こういった構えも、なかなか感じのよいものです」。こういった考えは、普段暮らしているだけでは思い至ることもなく、読書するからこそ得られる思考だと思う(もちろん、著者が池田さんだからこそということもあるが)。「たかが人生」と考えられたら、もっと自分が自由になるし、広がりを感じられるであろう。


生(ある)と死(ない)とはどういうことか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0177】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】母親/リディア・デイヴィス ○
女の子の行動に対して、いつも~だったらよかったのに、と言う母親。正直、こんな母親いるのかなと感じてしまう。最後には「でも水遠に眠ってしまえばかったのに」とまで言う。娘を愛せない母親を描きたかったのだろうか、それにしても、全く救いがなく、読み手は突き離された感じしかしないのだった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】どじょうだじょ/坂田寛夫 ○
どじょうをユーモラスに描いているが、最後はたまごでとじられ、食べられてしまうという、これもどじょうにとっては、救いがない詩である。詩を書くのは、人間なので、人間の目線から動物や生き物を表現するのが悪いわけではないが、読んだ感じは心地よくないと思ってしまう。

【論考】生きているとはどういうことか/池田晶子 ◎
「生(ある)と死(ない)とはどういうことか」なのである。やはり、それに向き合わなければならないのだ、と改めて思わされた。「生活する」には、時としてつながらないけれど、自分が感じている不思議や分からなさにちゃやんと付き合わなければならないのだ。


時間を超越するのが言葉の価値【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0176】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】姉と妹/リディア・デイヴイス △
この短編は、誰かの具体的な家庭の物語ではなく、家庭一般について書かれているよう(それだけで、小説ではないと言えるのかもしれない)。家庭には、男子が必要で、息子の方が喜ばれると語られたり、姉妹は大きくなってきっと仲違いすると、十把一絡げに説明されるが、あまり納得感がないまま終わってしまった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ゾウ 2/まど・みちお △
ゾウとノミを比べて、「ゾウだったからすばらしい」というのだったら、私は全く賛同できない。ゾウがゾウであること、言い換えれば、自分が自分であること、その同一性を重視しているのだったら肯定したい。だが最後に、「ノミではなかったとは」とあえて書くあたりで、かなり怪しいと思っている。

【論考】なんにも変わらない/池田晶子 ○
池田さんの少し愚痴的な文章である。もちろん、それはそれで何も間題はないのであるが。なお、私が付箋を貼ったのは、「言葉は、時代すなわち時間を超越することで価値なのだ」という箇所。以前、池田さんの他の著書で読んでから、これがとても意識されていて、言菜の価値のあり方や凄さを噛み締めているのだ。


そうよ かあさんも ながいのよ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0175】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】街の仕事/リディア・デイヴィス ○
現実の社会を切り取っただけだから、と言われたら、その通りなのかもしれないが、職業差別的な、あるいは差別的な記述が多いと感じられ、読んでいて気持ちのヨイものではなかった。著者は何を伝えたかったのだろう。スチールカメラを覗き、社会のその瞬間のスナップショットを撮ったということか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ぞうさん/まど・みちお ○
誰もが知る詩である。あまり謎はないと思ていたが、改めて読んでみると、なぜすきなのは「かあさん」なのか、よく分からなくなってきた。人間も子どもは、特に母親に愛情を感じがちだと言われるものの、かあさんしか出てこないことに、やや違和感がある。

【論考】わが闘争/池田晶子 ○
今でこそ、池田晶子さんは書店にコーナーが作られていることも多く、世間的にも認のられていると思うが、書き始めたころは、編集者を敵だと考えていたというのは、やや驚きである。とは言え、編集者や出版社も多種多様であり、認めてくれる人もいるのが現実。誰でもヨイわけではなく、改めて相手を選ぶことが大切だなぁと思った。


どうして哲学なのか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0174】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ワシーリィの生涯のためのスケッチ/リディア・デイヴィス ○
川で桃が流れてくるほどではないにしても、ストーリーらしきものがあまりないのは、苦手だし、やはり読みづらい。その内容も、家族たちが赤の他人であったら、誰ひとり友人に選ばないという、悲しい終わり方である。そして、主人公が食べかけていたサンドイッチを、寝ている間に犬が食べてしまうところに、何か救いのようなものが、あるのかもしれないと感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】崖/石垣りん ○
サイパン島の崖の上から、身を投げた女性たちのための詩。「ゆき場のないゆき場」という表現がとても悲しく感じる。最後の連では「まだ一人も海にとどかないのだ。/十五年もたつというのに」と語られる。この部分は、正直言って解釈できないでいる。死んでも死にきれないということだろうか。

【論考】どうして哲学なのですか/池田晶子 ○
もともとはビジネス誌向けに書いた没原稿だという。「なんで私なんですか」と聞いたようだが、そこからもう池田さんらしい感じである。ただ、時代が変わっていることもあって、今ならビジネスパーソンであっても、哲学は必要になっていると思うし、筆者が言うほど役に立たないわけではないと感じる。


その時がきた、しかたがない【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0173】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】私に関するいくつかの好ましくない点/リディア・デイヴィス ○
この作者の男女は、いつも関係が上手くいっておらず、コミュニケーション不全ばかりである。「彼を嫌な気持ちにさせるものが私の中にあると聞かされるのはつらかった」という感じだ。女性は、自分なりに嫌な気持ちにさせるものを考えるのだが、しっくりくるくるものはない。コミュニケーシュンの問題は、必ず個別になるであろうから、「正しい答え」はきっと見つからないのだ。

【詩・俳句・短歌・歌詞】雪崩のとき/石垣りん ○
四季が移ろいゆくように、社会や人は必然的に変化してゆくのだろうか。この詩の作者は、その変化の胎動を、「その時がきた」「しかたがない」という人々の心のうちに見て、指摘している。雪崩は、とても小さな崩れから起きるようだが、世の中の変化も一人ひとりの心が変わり、ある意味で不可逆な結果を導びくまで、進んでしまうのだろう。

【論考】崩壊願望/池田晶子 ○
「生命は尊くも卑しくもない自然現象です」と筆者は言う。この前提に我々は立つべきだし、この前提に立つと、人間の意志がどこにあるのかが問題になる。この論考では言及されていないが、それでも理由なく、人は意志すべきなのかもしれない。多くの自然発生的な意志が、社会を存続させ、変化を生み出しているように思う。


「モノからココロへ」【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0172】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】骨/リディア・デイヴィス ○
パリに暮らしていた男女(その当時は夫婦だったよう)が、ある晩、魚の骨がのどにひっかかってしまい、医師に抜いてもらうという、これもやはり短いストーリー。あったこと(もしかすると、筆者の実話かもしれない)を、淡々と綴っているのだが、何とも言えない味、魅力のにじむ作品だと思う。ありふれた小さな物語でも、読み手の心を動かせるのかもしれないと可能性を感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】おんなのことば/茨木のり子 ○
きっと昭和の気分を色濃く描写した詩である。タイトルにある通り、女性が語る言葉について書かれているのだが、ステレオタイプの発言ではなく、本心、本音、心からの言葉を発すべきだと作者はいう。今は世の中も大きく変化し、こうした詩の出番はなくなっているだろう。だが、書かれた時にはきっと必要だったのだと思う。

【論考】新・唯心論/池田晶子 ○
筆者は、「モノよりココロ」「ココロがあるからこそ満たされる」と明言する。初出が1990年だから(しかも電通の媒体!)、その当時はきっと、かなり突飛な意見に映ったのではないだろうか。しかし、今では「モノからコト」とも言われるように、物質ではないものにこそ、価値を見い出すようになっている。池田さんが30年進んでいたというよりも、多くの日本人が本質から横に外れて暮らしていたのではないだろうか。


早くわたしの心に橋を架けて【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0171】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】秋のゴキブリ/リディア・デイヴィス ○
ゴキブリについて、数行程度の記述がくり返される。これは明らかに小説らしくない。物語ではなく、ゴキブリの感想、意見表明といったところだろうか。その中で、私が気になったのは、「彼はまるで厚みをもった影だ」という文。どうして人が、それほどゴキブリを気にするのかを、端的に表現している気がする。

【詩・俳句・短歌・歌詞】あほらしい唄/茨木のり子 ○
「あほらしい」とは言っているが、男性に対する愛の詩である。「早くわたしの心に橋を架けて」と願う部分は、とても異色だと思うし、興味深いと感じた。今とは時代が違い、女性から積極的にアプローチしないことを前提にしているせいかもしれない。ただ、もし愛情を感じるなら、本来待つ必要はないのだ。

【論考】孤独の妙味/池田晶子 ◎
改めて読んで、筆者のメッセージを一言でまとめることに難しさを感じた(誰かに頼まれているわけでもないのだが…)。スッキリと文章を理解できているわけでもないし、そもそも単純にまとめられる主張でもないからだ。それでも、一文だけ引用するとなると、「宇宙は自分として存在する」であろうか。自分という存在の不可思議さのしっぽをつかんだだけのようではあるが。