思えば遠くへ来たもんだ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0130】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】新元号二年、四月/磯﨑憲一郎 △
カフカの小説の話から始まり、改元について、気づけば「私」という一人称が登場してきて、都内を移動しつつ 、北杜夫の引用で終わる。文章は淡々と進むが、読者が理解できるコンテクストは示されないので、ただただ目の前にある文字を追うだけになってしまう。シンプルに、何を言われているかも分からないため、読後感もよくなかった。やはり受け手にとって、「分かる」ということはとても大事だと思う。

【詩・俳句・短歌・歌詞】頑是ない歌/中原中也 ○
詩の冒頭に出てくる「思えば遠くへ来たもんだ」は印象的なフレーズである。海援隊の歌もあるが、もちろんこちらがオリジナルのようだ。詩にある通り、若い頃に思っていたような将来にはならないのである。少し前、中学生の頃に住んでいたつくばに行ったが、街自体も変わるし、見え方や認識が、現在とは全く別だったことを思い出した。私は、あの時の私ではいられないのだ。

【論考】垣根を越えて/外山滋比古 ○
前回の続きで、会話するにも、インブリーディング(同系繁殖)を避けようという主旨である。インターディシプリナリー(学際研究)という言葉も出てくるが、境界を越えた学問は、ある意味、今は当たり前になっているのではないか。当然になりすぎて、学問の数が増え、収拾つかなくなっているようにも思える。


ベケット【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#104】


【4月13日】ベケット:1906.4.13~1989.12.22

私はどこへ行こうか、もし行けるなら。
誰になろうか、もしなれるなら。
何を口にしようか、まだあるなら。
そう言っているのは誰だ、私だと言っているのは?(「反古草紙」)

ジョン・バクスター『ウディ・アレン・バイオグラフィー』田栗美奈子訳、作品社、2002年より

【アタクシ的メモ】
ベケットは戯曲『ゴトーを待ちながら』の著者。前衛的な作品を数多く残したそうだ。この引用文も、人間の一般的な論理性や行動原理と少しずれがある感じで、読み手の心を緩やかに揺れ動かしてくる。


三人寄れば文殊の知恵【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0129】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】AHOYH/阿部和重 △
ウェブカメラやスマホのカメラから見えることがストーリーとして語られる。その後。無名の視聴者も登場人物になっていく(急に神の視点)。児童虐待も一瞬トピックに上がるものの、物語はポケモンGOのレアキャラ、アンノーンを捕まえられないんかという突っ込みで終わる。カメラの中の人とオンラインでしかつながらない傍観者との関係性を描きたかったのかもしれないいが、自分的には完全に不発だった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】愛/谷川俊太郎 △
何度も読んだが、自分の中で意味を形成できなかった。そうした点では、評価できないでいる。ちょっとネットで調べてみると、「あい」という詩も谷川さんは書いているようだ。むしろ、この「愛」はパッと見つからない。自分の読解力や感性だけでは理解できないのだ。

【論考】談笑の間/外山滋比古 ○
一言と言えば、三人寄れば文殊の知恵という話。ただ重要なのは人数ではなく、どんな人と集まるのかということ。知的であることはもちろんだが、フラットな関係性は欠かせないだろう。一方で、今なら何でも検索エンジンや対話型AIに聞くのが主流だ。その手法を100%否定するつもりはないが、自身の知的創造性のレベルが上がらない要因だと思っている。


ヘロドトス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#103】


【4月12日】ヘロドトス:前484頃~前425頃

陣立てを終わり犠牲の卦も吉兆を示したので、アテナイ軍は進撃の合図とともに駆け足でペルシア軍に向かって突撃した。両軍の間隔は八スタディオンを下らなかった。ペルシア軍はアテナイ軍が駆け足で迫ってくるのを見て迎え撃つ態勢を整えていたが、数も少なくそれに騎兵も弓兵もなしに駆け足で攻撃してくるのを眺めて、狂気の沙汰じゃ、全く自殺的な狂気の沙汰じゃと罵った。ペルシア方はアテナイ軍の行動をこのように受け取ったのであったが、一団となってペルシア陣内に突入してからのアテナイ軍は、まことに語り伝えるに足る目覚ましい戦いぶりを示したのである。

『歴史』(中)松平千秋訳、岩波文庫、1972年

【アタクシ的メモ】
アテナイ軍とペルシア軍の戦いの様子。2000年以上前の遠く離れた場所での出来事が、テキストで目の前に提示され、またそれを理解できるという、言葉のマジックとでも言うべき力に驚いている。


僕たちのくらしを生きる【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0128】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】20×20/山本文緒 ○
タイトルの「20×20」は原稿用紙のことか。読み終わって、あれこれ考えていたら気がついた。主人公は作家だけれど、ストーリーはとても小さい。というか、非常に個人的である。大きく、壮大な物語よりも、小さく、個人的なことを語る方が、現代的だろう。途中、「陰毛の生え方まで知っている」とあったが、それは相手を知るうえで、あまり知りえないことではあるが、重要な事柄ではないように感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】くらし/石垣りん ◎
自分がただ生きるためにも、多くの犠牲があると改めて認識させられた。人間的、時間的、物質的に。過去、全くの無駄がなく生きられないだろうかと、思案することもあったように思うが、それはもう諦めてしまった。そもそも、自分自身が生きていることも、無用とは言わないが、大いなる無駄ではないか。

【論考】しゃべる/外山滋比古 ○
創作活動におけるしゃべることの功罪。最近はしゃべることを苦手に感じていたので、個人的にはメリットばかりだと思っていた。編集者は作家になれないという指摘は、自分自身の経験としても理解できる。やはり簡単に発散せず、内なるマグマを溜めておくべきなのだろうか。溜まったら、自分の意見として発信する(しゃべる)ことで、昇華されていくのかもしれない。


中谷宇吉郎【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#102】


【4月11日】中谷宇吉郎:1900.7.4~1962.4.11

住みついてみると、北海道の冬は、夏よりもずっと風情がある。風がなくて雪の降る夜は、深閑として、物音もない。外は、どこもみな水鳥のうぶ毛のような新雪に、おおいつくされている。比重でいえば、百分の一くらい、空気ばかりといってもいいくらいの軽い雪である。どんな物音も、こういう雪のしとねに一度ふれると、すっぽりと吸われてしまう。耳をすませば、わずかに聞こえるものは、大空にさらさらとふれ合う雪の音くらいである。(「貝鍋の歌」)

『中谷宇吉郎随筆集』樋口敬二編、岩波文庫、19年88

【アタクシ的メモ】
北海道で暮らした夜、貝鍋やほっけを楽しんだ様子を書き綴ったようだ。引用の箇所はその冒頭。降雪によって音が吸収され、辺りが物静かになることを表現している。


母と娘をつなぐ1本の糸【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0127】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】もうニ十代ではないことについて/山内マリコ ◎
どこかにいそうな主人公や登場人物を、軽妙な文体で描く。最初は、ちょっとわざとらしいというか、小説らしいと読んでいた。ただ、少し反発しながも、気づけは納得というか、共感してしまっていたようだ。作者が一番言いたかったのば、「探してばかりのニ十代。でもいつの間にかあたしは、見つけてしまっている」という箇所ではないのかな。

【詩・俳句・短歌・歌詞】糸まきをする母と娘/大木実 ◎
最近では、糸まきという言葉も聞かないし、もはや昔話し的な行為ではないだろうか。なので読み手としても、現実感、親近感はほとんど抱きようがない状態である。それでも母と娘が1本の糸でつながっている様を想像すると、親子の連なりや人類の歴史を意識してしまう。自分にも娘がいるから、なおさらなのである。

【論考】ホメテヤラネバ/外山滋比古 ○
端的に言ってしまえば、褒めて伸ばそうということだ。今でこそ褒めることは、常識になっているが、約40年前だと、異端の教育方針ではなかったのではないか。個人的には、しかると褒めるが半々くらいがヨイように思う。中庸である。あと、前半にあった「かならずできる」と自己暗示かけるのは重要だと感じている。


ヒューム【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#101】


【4月10日】ヒューム:1711.4.26~1776.8.25

冷淡で利害的関心から離れた理性は、行動の動機ではない。理性は、幸福を獲得し不幸を避ける手段を私たちに教えることによって、欲求もしくは傾向性から受けとる衝動を導くにすぎないのである。好みこそ、快と苦をもたらして、そこから幸福と不幸を産みだすがゆえに、行動の動機へと生成するものである。好みこそが、よく欲望と意志との第一のバネ、第一の衝動である。

『道徳原理の研究』編者訳出

【アタクシ的メモ】
行動の動機付けは、理性ではない。「好み」によって欲望や意志が生み出され、行動へとつながるのだ、とヒュームは語る。この「好み」と訳された原文は何だったのだろう。真実を言い当てている気がするので、それが知りたくなった。


絵に描いた幸福は存在しない【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0126】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】廿世紀ホテル/森見登美彦 ○
不条理とは言わないものの、フィクションで何でもありの設定。そうした話は、ちょっと食傷気味になっている。この小説のテーマは、20世紀は理性(科学)の世紀であり、それが一見成功したように見えるが、実どうなのだろうという疑問を呈しているのか。シニカルな終わり方はしていないが、それほど20世紀への肯定感もなかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】しずかな夫婦/天野忠 ○
詩というよりも、エッセーに近い気がする。それくらい、等身大で身近な内容が、書かれていると感じた。生きていて美しく感じる時間はほとんどなかったのかもしれないが、気負わず、地道に生きている姿にホッとする。絵に描いたような幸福は、きっとどこにも存在しないのだろう。

【論考】テーマと題名/外山滋比古 ○
論文などで、どのような表題をつけるのか。筆者は題名ですべて語らないほうが、読みたくなるのではないかと述べている。ただ現在は、情報が多すぎるので、少ない文字数でできるだけ内容を盛り込む方がヨイと思っている。また情報構造として、ツリー型になるから、表題にすべてがまとめられるというのは、その通りだろう。


田宮虎彦【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#100】


【4月9日】田宮虎彦:1911.8.5~1988.4.9

孟冬十月二十日(新暦十二月三日)、例年ならば黒菅の城下には霏々として白雪が舞っている頃である。だが、この年は何故か雪がおそかった。五日前の夜、亥の下刻に及んで初雪が僅かに降ったが、それも程なくやんで、夜明けとともに、冴えた藍いろの空が栗粒ほどのぞいたかと思うと、重たく淀んだ雪雲がみるみる黒菅盆地の刈りあとの田面を這って飛び散り、あくまで澄んだ初冬の空が、また柔らかい和毛のような日差しをなげつづけはじめていた。(「末期の水」)

『落城・霧の中 他四篇』訳、岩波文庫、1957年

【アタクシ的メモ】
知らない言葉も多いが、流麗な文章だと思う。引用は歴史小説の一節のようだ。著者自身は、脳梗塞が原因で右半身不随となり、それを悔やんで投身自殺を図ったとのこと。遺書には、「脳梗塞が再発し手がしびれ思い通りに執筆ができなくなったため命を絶つ」と記されていたそうである。