ああめん そうめん ひやそうめん【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0178】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】セラピー/リディア・デイヴィス ○
セラピーに通う女性。彼女自身にとって、重大かもしれない出来事はあるのかもしれないが、小説らしいエピソードがあるわけではない。いつも通り、ややネガティブな記述が淡々と続く。そして最後は、「それを決めるのは、たぶん私ではないのだろう」で終わる。もちろん人生は、自分の意志だけで成立するわけでなないが、それでも哀しい気分になるのだった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ああめん そうめん/坂田寛夫 ○
「おあめん そうめん ひやそうめん」というフレーズは、この詩から生まれたのだろうか。全く出自は知らなかったが、フレーズだけはなぜだか子どものころから知っていた。語感のユニークさの印象がとても強く、明るいイメージを持っていたが、詩の中では、父親の死を嘆く箇所があった。「ああめん」という言葉があるので、よく考えたら当然なのだろう。

【論考】わからないのは当たり前/池田晶子 ◎
「たかが人生ではないか。こういった構えも、なかなか感じのよいものです」。こういった考えは、普段暮らしているだけでは思い至ることもなく、読書するからこそ得られる思考だと思う(もちろん、著者が池田さんだからこそということもあるが)。「たかが人生」と考えられたら、もっと自分が自由になるし、広がりを感じられるであろう。


ホイットマン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#152】


【5月31日】ホイットマン:1819.5.31~1892.3.26

見知らぬひとよ、もし通りすがりにきみがわたしに会って、
  わたしに話しかけたいのなら、どうしてきみがわたしに話しかけてはいけないのだ?
そして、どうしてわたしがきみに話しかけてはいけないのだ?(「きみに」)

『対訳 ホイットマン詩集』木島始編、岩波文庫、1997年

【アタクシ的メモ】
ちょっと難解な文(詩?)に感じたが、「袖すり合うも他生の縁」といった感じなのだろうか。あるいは、人間はもっと自由にコミュニケーションを取ればヨイということを言っているのか。


生(ある)と死(ない)とはどういうことか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0177】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】母親/リディア・デイヴィス ○
女の子の行動に対して、いつも~だったらよかったのに、と言う母親。正直、こんな母親いるのかなと感じてしまう。最後には「でも水遠に眠ってしまえばかったのに」とまで言う。娘を愛せない母親を描きたかったのだろうか、それにしても、全く救いがなく、読み手は突き離された感じしかしないのだった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】どじょうだじょ/坂田寛夫 ○
どじょうをユーモラスに描いているが、最後はたまごでとじられ、食べられてしまうという、これもどじょうにとっては、救いがない詩である。詩を書くのは、人間なので、人間の目線から動物や生き物を表現するのが悪いわけではないが、読んだ感じは心地よくないと思ってしまう。

【論考】生きているとはどういうことか/池田晶子 ◎
「生(ある)と死(ない)とはどういうことか」なのである。やはり、それに向き合わなければならないのだ、と改めて思わされた。「生活する」には、時としてつながらないけれど、自分が感じている不思議や分からなさにちゃやんと付き合わなければならないのだ。


ヴォルテール【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#151】


【5月30日】ヴォルテール:1694.11.21~1778.5.30

自尊心はわれわれの生存の道具である。それは種の永続の道具に似ている。それは必要であり、われわれにとって貴重であり、われわれに楽しみを与えてくれる、しかしそれは秘めておかねばならないものである。(「自尊心」)

『哲学辞典』高橋安光訳、法政大学出版局、1988年

【アタクシ的メモ】
私自身は、あまり自尊心を持ち合わせていないため、それほど共感できなかった。「生存の道具」とまで言われてしまうと、私自身は立つ瀬もない感じだ。


時間を超越するのが言葉の価値【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0176】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】姉と妹/リディア・デイヴイス △
この短編は、誰かの具体的な家庭の物語ではなく、家庭一般について書かれているよう(それだけで、小説ではないと言えるのかもしれない)。家庭には、男子が必要で、息子の方が喜ばれると語られたり、姉妹は大きくなってきっと仲違いすると、十把一絡げに説明されるが、あまり納得感がないまま終わってしまった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ゾウ 2/まど・みちお △
ゾウとノミを比べて、「ゾウだったからすばらしい」というのだったら、私は全く賛同できない。ゾウがゾウであること、言い換えれば、自分が自分であること、その同一性を重視しているのだったら肯定したい。だが最後に、「ノミではなかったとは」とあえて書くあたりで、かなり怪しいと思っている。

【論考】なんにも変わらない/池田晶子 ○
池田さんの少し愚痴的な文章である。もちろん、それはそれで何も間題はないのであるが。なお、私が付箋を貼ったのは、「言葉は、時代すなわち時間を超越することで価値なのだ」という箇所。以前、池田さんの他の著書で読んでから、これがとても意識されていて、言菜の価値のあり方や凄さを噛み締めているのだ。


内田百閒【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#150】


【5月29日】内田百閒:1889.5.29~1971.4.20

生きてゐるのは退儀である。しかし死ぬのは少少怖い。死んだ後の事はかまわないけれど、死ぬ時の様子が、どうも面白くない。妙な顔をしたり、變な聲を出したりするのは感心しない。ただ、そこの所だけ通り越してしまへば、その後は、矢つ張り死んだ方がとくだと思ふ。とに角、小生はもういやになつたのである。(「無恒債者無恒心」)

『新輯 內田百閒全集』第2巻、福武書店、1986年

【アタクシ的メモ】
恥ずかしながら私も、生きるのが退儀であると感じることが多い。もちろん、幸せを感じることもあるのだが、やはり家庭を持ってからは、辛いと思うことが増えたかもしれない。それでも今は、家族を自分の生きる目的にしている。


そうよ かあさんも ながいのよ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0175】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】街の仕事/リディア・デイヴィス ○
現実の社会を切り取っただけだから、と言われたら、その通りなのかもしれないが、職業差別的な、あるいは差別的な記述が多いと感じられ、読んでいて気持ちのヨイものではなかった。著者は何を伝えたかったのだろう。スチールカメラを覗き、社会のその瞬間のスナップショットを撮ったということか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ぞうさん/まど・みちお ○
誰もが知る詩である。あまり謎はないと思ていたが、改めて読んでみると、なぜすきなのは「かあさん」なのか、よく分からなくなってきた。人間も子どもは、特に母親に愛情を感じがちだと言われるものの、かあさんしか出てこないことに、やや違和感がある。

【論考】わが闘争/池田晶子 ○
今でこそ、池田晶子さんは書店にコーナーが作られていることも多く、世間的にも認のられていると思うが、書き始めたころは、編集者を敵だと考えていたというのは、やや驚きである。とは言え、編集者や出版社も多種多様であり、認めてくれる人もいるのが現実。誰でもヨイわけではなく、改めて相手を選ぶことが大切だなぁと思った。


コンラート・ローレンツ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#149】


【5月28日】コンラート・ローレンツ:1903.11.7~1989.2.27

攻撃は元来健全なもの、どうかそうあってほしいと思う。だがまさに攻撃衝動は本来は種を保つれっきとした本能であるからこそ危険きわまりないのである。つまり本能というものは自発的なものだからだ。もし攻撃本能が、多くの社会学者や心理学者たちが考えたように、一定の例外的条件に対する反応に過ぎないのであれば、人類の形状はこれほど危うくなりはしなかったろう。もしそうなら、反応を引き起こす諸原因をつきとめて、取り除くこともできよう。

『攻撃 悪の自然誌』日高敏隆・久保和彦、みすず書房、1985年)

【アタクシ的メモ】
現在の日本では、攻撃などが絶対悪と見做されていると思う。何らかの攻撃が処罰されるといったことは、法治国家として適切だと思うが、人に攻撃の衝動があり得るということは、認めるべきだと思う。後は、それぞれの人が、その衝動をどのようにコントロールするかということだ。


どうして哲学なのか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0174】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ワシーリィの生涯のためのスケッチ/リディア・デイヴィス ○
川で桃が流れてくるほどではないにしても、ストーリーらしきものがあまりないのは、苦手だし、やはり読みづらい。その内容も、家族たちが赤の他人であったら、誰ひとり友人に選ばないという、悲しい終わり方である。そして、主人公が食べかけていたサンドイッチを、寝ている間に犬が食べてしまうところに、何か救いのようなものが、あるのかもしれないと感じた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】崖/石垣りん ○
サイパン島の崖の上から、身を投げた女性たちのための詩。「ゆき場のないゆき場」という表現がとても悲しく感じる。最後の連では「まだ一人も海にとどかないのだ。/十五年もたつというのに」と語られる。この部分は、正直言って解釈できないでいる。死んでも死にきれないということだろうか。

【論考】どうして哲学なのですか/池田晶子 ○
もともとはビジネス誌向けに書いた没原稿だという。「なんで私なんですか」と聞いたようだが、そこからもう池田さんらしい感じである。ただ、時代が変わっていることもあって、今ならビジネスパーソンであっても、哲学は必要になっていると思うし、筆者が言うほど役に立たないわけではないと感じる。


ネルー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#148】


【5月27日】ネルー:1889.11.14~1964.5.27

大衆を飢餓と不潔と無知に安住させておくことにかまけているような宗教に私は関わりをもちたくない。人びとはこの世でもっと幸福になりもっと文明に浴することができるし、真の人間、わが運命の主、わが心の長になることができるのだ。宗教的であれ何であれ、そう人びとに説かぬようなどんな集団とも私は関わりを持ちたくない。

エドガー・スノウ『始まりへの旅』1958年(『オクスフォード引用句辞典』所収、編者訳出)

【アタクシ的メモ】
とても真っ当な発言である。人間に幸福をもたらそうとしない宗教や経済活動は、非常に志が低いと思う。自社に売上があがり、利益がでさえすればヨイと考えるビジネスパーソンは、残念ながら思った以上に多いと思う。