美しい願いごとのように紙風船を打ち上げる【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0107】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】さがしもの/角田光代 ◎
読み終えて、自然と涙が出てきて、鼻をかんでしまった。この短編は、祖母と娘の物語なので家族ではあるが、人と人はつながり合い、影響し合いながら、生きているんだなあと、改ためて感じられた。血のつながりとは関係なく。この短編集はどれも本をモチーフとしているが、本があるかどうかも関係ないと思った。

【詩・俳句・短歌・歌詞】紙風船/黒田三郎◎
紙風船をポンポンと打ち上げる様子を詠んでいる。とても短い詩だが、美しい意志を感じた。ある意味、無為で単純な行動を、美しい願いごとにたとえている。ありふれた人間の営みは、無為無意味に思いがちだが、それをスパッと大きく転換させている点が、素敵だと感じる。

【論考】朝飯前/外山滋比古 ○
一言でまとめると、すべてを朝飯前にしようという話。最初は夜よりも朝の方が生産性が高いという主張だったが、段々と知的活動は朝食前がベストなので、朝食を遅らせブランチにして、それを食べたらきちんと寝て、次に起きたら「自分だけの朝」にしようとなっていく。しかも、そうした生活は、筆者自身の実体験からのおススメである。理にかなっているとは思うが、普通の会社員などでは実践できないだろう。


ソクラテス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#081】


【3月21日】ソクラテス:前470~前399

しかしもう去るべき時が来た――私は死ぬために、諸君は生きながらえるために。もっとも我ら両者のうちのいずれがいっそう良き運命に出逢うか、それは神より外に誰も知る者がいない。(『ソクラテスの弁明』)

プラトン『ソクラテスの弁明 クリトン』久保勉訳、岩波文庫、1964年

【アタクシ的メモ】
「生」ではなく「死」であっても、それは時に「良き運命」になりうるということか。自身にとって過酷な判決であっても、法に従うことが良き行為だと言いたいのだろうか。


何も語らずそれでも人生に影響を与えた【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0106】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ミツザワ書店/角田光代 ◎
最初は、ちょっと主人公の行動がわざとらくし感じていたが、結果的には、老女の書店店主と主人公の人生が重なり合う素敵な物語であった。万引きしたことも含め、二人に直接的なコシュニケーションはほとんどなかったが、それでも人生に大きな影響を与えたのは、人々が生きている不思議とも言えるのではないか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】街/与謝野晶子 ○
この詩は「遠い遠い処へ来て、/わたしは今へんな街を見て居る」から始まる。その街は、兵隊もおらず、戦争もないという。ある意味で、日本や東京と真反対な街のようだ。「へんな街」と作者は言っているが、自身にとっての理想の街、日本や東京がそんな街になってほいという願いを語っているのだろう。

【論考】不幸な逆説/外山滋比古 ○
前回の「学校はグライダー訓練所」に続く話。学習者の積極性を出すためには、与えすぎるのではなく、少し隠すくらいでよいと筆者は説明する。確かにと思う反面、最今の社会状況を見ていると、足りないから欲するようになるというよりも、他をよそ見してしまうと思う。創造性は「なぜ」を問う、自然な驚きに収斂するのではないか。


ライト・ミルズ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#080】


【3月20日】ライト・ミルズ:1916.8.28~1962.3.20

いかなる保守主義的イデオロギーをも持たぬ保守的な国家であるアメリカは、今や、むき出しの、恣意的な権力として、全世界の前に立ち現れている。その政策決定者たちは、現実主義の名において、世界の現実について気狂いじみた定義を下し、それを押しつけている。精神的能力においては第二級の人物が支配的地位を占め、凡庸なことを重々しくしゃべっている。そこでは自由主義的言辞と保守的ムードが蔓延し、前者では曖昧さが、後者では非合理性が原則となっている。

『パワー・エリート』(下)、鵜飼信成・綿貫譲治訳、東京大学出版会、1958年

【アタクシ的メモ】
書かれた当時の世界状況は、あまり定かではないが、アメリカが「世界の警察官」として、ある種覇権を握り始めたころの指摘であろうか。前者と後者と表現を分けているが、曖昧さと非合理性って結構似通っているようにも思うのだった。


ボンヘッファー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#079】


【3月19日】ボンヘッファー:1906.2.4~1945.4.9

愚かさは悪よりもはるかに危険な善の敵である。悪に対しては抗議することができる。それを暴露し、万一の場合には、これを力ずくで妨害することもできる。悪は、少なくとも人間の中に不快さを残していくことによって、いつも自己解体の萌芽をひそませている。愚かさにはどうしようもない。(『十年後』)

E・ベートゲ編『ボンヘッファー獄中書簡集』村上伸訳、新教出版社、1988年

【アタクシ的メモ】
「悪は、少なくとも人間の中に不快さを残していくことによって、いつも自己解体の萌芽をひそませている」という認識は、非常に鋭いと思う。私は全く気づいていなかったし、少なくとも言語化したことはなかった。


学校はグライダー人間の訓練所【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0105】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】引き出しの奥/角田光代 ◎
誰とでも寝てしまう女性が主人公で、どんな話になるのかと思っていたら、伝説の古本を探していくうちに、自分自身や周りの変化から、世界に美しい瞬間を見い出して終わるささやかなハッピーエンドに。そう、きっと美しい一瞬とは、唐突に訪ずれるのだろうし、日常のありふれた光景に隠れているのではないか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】歌/中野重治 △
何度も読んだが、この詩自体の真意はわからなかった。少し調べてみると、この詩はプロレタリア詩であるそうだ。そうやって読むと、いくらか目の前の霧が晴れてきた。とは言え、見えてきたものが絶景かと問われたらそうではない。私にはルサンチマン的な印象しか感じられなかった。

【論考】グライダー/外山滋比古 ○
「学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない」と筆者は指適する。もちろん、これからは自分だけで飛行できるよう、グライダーにエンジンを搭載することが求められるという。ここ最近で言うと、検索で答えらしいモノを見つける人より、自らプランニングできる人が重要ということだろうか。


いつかは分からないが人は必ず死ぬ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0104】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】不幸の種/角田光代 ◎
不幸の種に思える本をめぐる十年にわたる物語。ただ、出来事に対する解釈も人それぞれである。幸福も不幸も、やはり本人の心のありようでしかなく、例えば、離婚も不幸と一方的に決めつける必要はなく、本人にとっては幸福を感じるための決断かもしれないと改めて認識した。

【詩・俳句・短歌・歌詞】鄙ぶりの唄/茨木のり子 △
鄙ぶりとは、田舎めいていること。調べて初めて知ったこともあり、最初に読んだときは、詩の意味が全くわからなかった。ただ、改めて読んでも国有名詞も多く、ぼんやりとしかイメージできない。この詩で伝えようとしていることも、はっきりしないのが正直な感想である。

【論考】人生/池田晶子 ◎
人は必ず死ぬ。しかも、いつ死ぬかは分からない。その事実を直視したうえで、私はどう生きるのか。人生の不思議に向き合うのか、そうではないのか。自分自身は向き合ってと思っているが、日々の暮らしに埋没してしまうと、それもままならない。定期的にこうした言葉に触れ、思い出すしかないのだろうか。


エーリッヒ・フロム【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#078】


【3月18日】エーリッヒ・フロム:1900.3.23~1980.3.18

十九世紀においては神が死んだことが問題だったが、二十世紀では人間が死んだことが問題なのだ。十九世紀において、非人間性とは残忍という意味だったが、二十世紀では、非人間性は精神分裂病的な自己疎外を意味する。人間が奴隷になることが、過去の危険だった。未来の危険は、人間がロボットとなるかもしれないことである。たしかにロボットは反逆しない。しかし人間の本性を与えられていると、ロボットは生きられず、正気でいられない。

『正気の社会』加藤正明・佐瀬隆夫訳(『世界の名著』続14、中央公論社、1974年)

【アタクシ的メモ】
十九世紀の問題は、人間の外部にあり、二十世紀になって問題は人間に内在化されたということだろうか。エーリッヒ・フロムなら、『自由からの逃走』や『愛するということ』などがよく知られているので、この引用にはやや驚いた。


幸福とは自分の心のありようそのもの【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0103】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】彼と私の本棚/角田光代 ◎
私とハナケンは、互いの本棚を通じて、恋人としてのつき合いを深めていた。読書好きの人からすると、とてもよく分かる状況。でもそれは、恋愛における必要条件ではないから、ハナケンに別な好きな人が現れ、分かれることになる。「私」は、なかなか割り切ることができずにいたが、過去の豊かなつき合いが無駄になるわけではないから、新たな生活に力強く進んでもらいたいと思った。

【詩・俳句・短歌・歌詞】虹/まど・みちお △
人間は空を汚してしまった。でも、他の生き物たちのために、「虹は出て下さっている」のだという。私は、こうした人間対自然、人間対他の生き物という対立構造は、あまり好きではないし、事実でもないと思う。人間は他の生手物たちとは違っているが、人が生きていること自体は自然の一部であるだろう。

【論考】幸福/池田晶子 ◎
私自身、感謝の気持ちは持っているものの、幸福感に乏しく、不幸気質だと思っている。「すべての人が幸福を求めている」「幸福とは自分の心のありようそのもの」と改めて明言されると、自分は幸福が取到来するものだと思いすぎていたことに気づく。私の心が今ここにあるからこそ、すぐにでも幸福になれるのだ。


マルクス・アウレリウス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#077】


【3月17日】マルクス・アウレリウス:121.4.26~180.3.17

人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。というのは、君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることが出来るのである。実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠家を見出すことはできないであろう。

『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫、1956年

【アタクシ的メモ】
ここで言う「自分自身の内」とは何か。次の文で言い換えている「自分自身の魂」ということであろうか。マルクス・アウレリウスにおける魂の定義はわからないが、一般的には心の働きを司るものと理解すれば、自身の精神に立ち戻ることが重要ということなのか。