「自分」という存在が、自ずと個性を生む【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0090】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】バラ色の人生/ルシア・ベルリン ○
二人の少女の若さゆえの破天荒さ、甘さを描いたストーリー。大人から厳しく接しられていても、それをかいくぐる様子も書かれているから、少女たちの道徳的ではない青春時代を肯定しているのだろうか。ただ、スノッブな感じもあって、私自身は共感しづらかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】葉月/阪田寛夫 △
タイトルは葉月(8月)だが、季節感の描写がないので、タイトルの意図は分からないまま。詩の内容は(恐らく)恋人が来なくて、死んでしまいたいと嘆いている。なぜか舞台は関西で、言葉も関西弁である。これも、作者の意図は理解できなかった。

【論考】個性/池田晶子 ◎
自分が存在し、自ずからそういうふうになることを、個性だと筆者は説明する。自分探しとして、自分らしさを求めることで、かえって個性を失っていくという。これは、「本当の自分」というワナのように思う。あるがままを、自分がまず受け入れることが大切なのだろう。


孔子【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#064】


【3月4日】孔子:前551~前479

暮春には、春服既に成る。冠する者五、六人、童子六、七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん。夫子、喟然として歎じて曰く、吾れは点に与せん。(『論語』先進)

春四月ともなれば、春の装いに着かえ、若者五、六人、子供六、七人をひきつれて遊山に出、沂水の川で浴し、舞雩の広場で風に吹かれ、歌を口ずさみながら帰ってきましょう。それを聞いた孔子が深い歎息をもらして、曰く、私は点に賛成だ。

『現代語訳 論語』宮崎市定、岩波現代文庫、2000年

【アタクシ的メモ】
「春になれば、その時の装いを着て、周りの若者や子供たちと山へ出かけ、歌をうたいながら家路につく、そうした平凡な日常を送るりたい」と語った弟子に対して、孔子もそれに同調したいと語ったようだ。


言われてみるとその通りだと思う【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0089】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ステップ/ルシア・ベルリン ◎
最後の一文、「お願い神さま、どうかあたしを助けて」をいうための短編小説に感じた。舞台は、またもやアルコール依存症のための施設のようだ。皆で、ボクシングのタイトルマッチを観覧しているのだが、誰かを応援しているようで、結局、最終的には自分へ戻ってくる。あたしを助けてという願いが切ない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】僕はまるでちがって/黒田三郎 ○
「僕はまるでちがってしまったのだ」という。昨日と同じようだけれど、違ってしまったのだという。この詩だけを読んでも、どう違ってしまったのか、なぜ違ってしまったのかはわからない。僕が変化していることだけが示されている。白い美しい蝶がいるということは、きって良い変化となのではないだるうか。

【論考】友愛/池田晶子 ◎
友情と愛情は異なること、愛は好き嫌いを超えていて、それがそこに存在することを認めることだと、あっという間に理解してしった。存在を受け入れることで、嫌いという感情を持ちながら、愛することができるのだ。言われてみるとその通りだと思うことも、実際に言ってもらわないといけないのは、どういうことなのだろう。


欠如を抱き他者から満たしてもらう【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0088】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ティーンエイジ・パンク/ルシア・ベルリン ○
一枚のスナップ写真を撮ったような短編小説に感じた。ある意味、飛び石のような描写で、緻密さとは対極にあるが、それが読んだ時の心地良さを生んでいる。ただ、状況を理解するのが難しいという欠点もあり、今回も2回読んだが、事実関係を把握しづらかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】生命は/吉野弘 ◎
表現しづらい世界の真実を、丁寧な筆致で描いた詩だと感じた。「生命は/その中に欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ」が、個人的なハイライト。私たちが「欠如」を自覚し、他者から頂戴することに感謝することの大切さ。これは、生命の再発見と言えるのではないか。

【論考】ことばの果てについて/森本哲郎 ○
ことばの果てについては、とても興味がある。この論考では、言いおおすか言いおおせていないかの違いを細かく検証した感じであろうか。言いおおすことで、ことばを越えた世界を表現すると筆者は語るが、人間はことばを越えられるのかという点も検討してもらいたいと思った。


D.H.ロレンス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#062】


【3月2日】D.H.ロレンス:1885.9.11~1930.3.2

翌日彼女は森へ出かけた。曇った、静かな午後で、暗緑色の山藍が榛の矮林の下に拡がっていた。すべての樹木は音も立てずに芽を開こうとつとめていた。巨大な槲の木の樹液の、ものすごい昂まり。上へ上へと騰がって芽の先まで届き、そこで血のような赤銅色の、小さな焔かとも思われる若葉となって開こうとする力を、彼女は今日は自分のからだの中に感じた。それは上へ上へと脹れあがり、空に拡がる潮のようなものだった。

『完訳 チャタレイ夫人の恋人』伊藤整・伊藤礼訳、新潮文庫、1996年

【アタクシ的メモ】
森の情景描写かと思わせていたら、昂まりを「彼女のからだの中」に移行(スライド)させ、空に拡がる潮に例えるのだった。巧みな展開に感じる。


骨の手応えや血のぬめり【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0087】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】セックス・アピール/ルシア・ベルリン ○
「わたし」の従姉は、西テキサス一番の美人。ベラ・リンは、ただただきれいで、周囲の男性の視線を一身に集めてしまう。また、有名人と付き合おうと、まだ少女である「わたし」を、なぜか巻き込んでしまうのだ。そして、そのために性的な扱いをされるのだが、そこがドライに書かれていて不思議な印象が残った。

【詩・俳句・短歌・歌詞】儀式/石垣りん ○
母親は成長した娘に、魚を捌くときの骨の手応えや血のぬめりを伝えなければならないと説く。それはそうだろうと思うと同時に、それが母親と成長した娘でなくてはならないのはなぜなのかとも思う。全く男子が登場しないことに、違和感も感じる。

【論考】常識について/森本哲郎 ○
日本の社会が、常識の名において、問題を解決変できる状態になく、イギリスのコモン・センス(常識)やフランスのボン・サンス(良識)とは異質だという指摘は重要だと思った。日本における常識とは、同調圧力に近いように感じる。また最近では、人々に共通認識と言えることが乏しく、社会全体が断絶しているのではないか。


紫式部【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#061】


【3月1日】紫式部:978頃~1014頃

午の時に、空晴れて朝日さしいでたる心地す。たひらかにおはしますうれしさのたぐひもなきに、をとこにさへおはしましけるよろこび、いかがはなのめならむ。昨日しをれくらし、今朝のほど朝霧におぼほれつる女房など、みなたちあかれつつやすむ。御前には、うちねびたる人々の、かかるをりふしつきづきしきさぶらむ。

『紫式部日記』池田亀鑑・秋山虔、岩波文庫、1964年

【アタクシ的メモ】
紫式部が仕えていた中宮彰子の出産についての記述のようだ。ただ、正直言って、英知のことばとは感じられなかった。古文が苦手なせいもあるけれど。


何故生まれねばならなかったのか【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0086】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】エルパンの電気自動車/ルシア・ベルリン ○
短い小説だったが、あまり文章が頭に入ってこなかった。2回ほど読んだが、自分の間題だろうか。聖書の引用があるが、それを知らないためということもあるだろう。ただ、一番の原因は、自分の頭の中が、私生活のモヤモヤや悩みで満たされ、外からの情報を拒否しているのかもしれない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】父/吉野弘 ○
誰も答えられない問いである「何故生まれねばならなかったのか」が冒頭で示されるも、その後は、子と父の関係が詠まれている。正直言って、この詩をきちんと理解できなかった。子の生と父は距離を取らざるをえないと言れれるが、それがどんな状態なのかが分からないのである。

【論考】日本語について/森本哲郎 ○
日本語の抽象語は輸入が多く、自分たちのモノにできていないという指摘は正しいと思う。だが、それを乗り越えたるめに、日本語の反省が必要だというのは、対策としてちょっと弱く感じるし、誰もしなさそうではないか。


菅茶山【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#060】


【2月29日】菅茶山:1748.2.2~1827.8.13

  冬夜の読書
雪は山堂を擁して樹影深し
檐鈴 動かず 夜沈沈
閑かに乱帙を収めて疑義を思う
一穂の青灯 万古の心

『菅茶山・六如』黒川洋一注(『江戸詩人選集』4、岩波書店、1990年

【アタクシ的メモ】
その時の状況を詠んだシンプルな内容だけでなく、疑問の箇所を考え続けていることで、遠い昔の人の心が見えてくるという点が、私は素晴らしいと思った。


メダウォー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#059】


【2月28日】メダウォー:1915.2.28~1987.10.2

根源的なことがらについての疑問、たとえば人間の起源や目的、運命などに関する問いに対しては、われわれは決して答えられないかもしれない。しかし、個人としてであれ、政治的な人間としてであれ、われわれは将来起こることがらに対して多少の発言権があるはずだ。われわれの運命は、われわれ自身が作るもの以外のどのようなものでありうるだろうか?

『科学の限界』加藤珪訳、地人書館、1987年

【アタクシ的メモ】
ノーベル賞を受賞した動物学者、免疫学者のようなので、人間が意志するかどうかということだけではなく、生物として自然と運命を切り開けるということなのだろうか。