「そういうフェス」でないと信じたい【フジロックGO #0014】


フジロックに関して、何となくネットサーフィン(死語?)していたら、思いがけない記事を見つけた。

大麻で逮捕のJESSE被告 正直過ぎて「コカインをなめた」と珍証言

あまり音楽シーンの情報をチェックできていないこともあり、JESSEが罪を犯していたことも知らなかったのだけど、以下の記載が気になった。

検察官は「被告人が初めて大麻を使ったのが17歳。(現在39歳)アメリカで知人に勧められて吸引した」と話しています。

日本での使用は違法だと知った上で使ったのは2008年。腰痛の痛みを緩和するためでした。六本木で入手したり、フジロックフェスティバルでもらったりしたそうです。個人的には、フジロックでよくDJをしていた人が被告人の大麻取締法違反の裁判を去年傍聴したため「そういうフェスなの?」と勘違いしてしまいそうですが、一部のアーティストだけでしょう。

記事を書いた阿曽山大噴火さんは、さらっと「『そういうフェスなの?』と勘違いしてしまいそうだが、一部のアーティストだけでしょう」と言ってるが、正直ショックだ。世界一クリーンなフェスと言われるフジロックだが、少数の人かもしれなくても、舞台裏でそんな事実があるとしたら、残念でならない。


駐車場のススメ【フジロックGO #0013】


前回、車中泊について語ったので、少し駐車場の位置の話しをしておきたい。アタクシ自身、場内1や場内2、浅貝、白樺などに停めてきた経験でいうと、とにかく駐車場は早い者勝ちだ。入場券の申し込み時期と会場までの距離は完全に連動している(あくまで実体験上の法則だけど)。なので、できるだけ会場近くに車を止めたいのなら、チケットの申し込みを早めるしかないのではないだろう。

一時期、フジロックには行くつもりだけど、どのように参加するのか不明確で、チケット申し込みがやや遅いときがあった。そのとき場内2になればラッキーで、浅貝や白樺など、かなり遠い場所になることも少なくなかった。

ただ、車中泊になると、会場から近い場内1がベストとは言いづらく、場内2はやや人が少なくトイレも近くにあったりなど、一晩過ごすのに快適な部分もあって、遠くてもコストパフォーマンスが高い場合も少なくない。

個人的に一番気を付けたいのは、駐車場のライトの位置。苗場に到着して車を止めるのは昼間なので、気づきづらいが、夜ライトが直接当たる場合だと、かなり車中が照らされて、眠りにつきづらかった。


車中泊のススメ【フジロックGO #0012】


ちょっと唐突な話しになるが、23年間フジロックに通ってきて、車中泊をしている時期があった。多分、5年間くらいだったと思う。自動車に乗って一人苗場に行き、ライブが終わると車に戻って、狭い車中で寝る。朝起きると体をコキコキいわせて、当日の準備をして、ライブに向かう。お風呂は基本的に入らず、シートで拭けば、結構さっぱりするのでそれで十分だった。

駐車券を申し込むには、入場チケットも2枚以上買わなければならないので、その当時は2枚買って、余った券はネットを利用して売っていた。大きな車に乗っていたわけもなかったので、居心地というか、寝心地は良好ではなかったけどれど、寝るまでの工程がとにかく短いのに重宝していた。

例えば湯沢町近辺に宿があると、毎晩車による移動だけでも30分くらいはかかってしまうが、車中泊だとそうした時間が短縮できる。駐車場の位置次第だけど、苗場プリンスよりも利便性が高いと感じていた。何しろ、車に到着してすぐに眠れるというか、自由な時間を過ごせるのは、本当に便利だった。


フジロック、変わります。の続報というわけではないが【フジロックGO #0011】


昨日の続報というわけでもないのだが、本日も「フジロック、変わります。」の真意を少しだけ掘り下げてみたい。ほんの少しだけ。

先述したアタクシが所属するFacebookグループの反応で見ると、「椅子対策かな」というコメントが比較的多いような気がする。自分の感覚的に言っても、放置された椅子をはじめ、無駄に場所取りする例は気になっていた(ある意味、最初からの問題だと思うが、フジロックがレジャー化されている最近は顕著な気がする)。ただ、そうした環境への対策は、今回の「変わります。」とは縁遠いように思える。

実は、ロゴの色遣いも変化している。これまでは2色だったのが(アタクシも、調べて明確になった)、4色に変化している。ここから単純に考えてしまうのは、多様性の拡大ではないのか。相当抽象的だし、ザックリとした予想にすぎないが、オリンピックイヤーということもあって、誰でも参加しやすいフジロックに変わってくれるとうれしい。この4年は、子どもたちを連れて行き、誰でも楽しめるフジロックを体験している身でも、さらにアクセスしやすく、過ごしやすくなるのならとってもうれしいのだが。

結論、関係者でもなんでもないので、どう変わるのかは全くあずかり知らな状況だが、2020年のフジロックに大いに期待したい。永遠のフジロッカーだからね。


フジロック、変わります。【フジロックGO #0010】


「フジロックに行こう! ~We love FUJIROCK」というFacebookグループに参加している。そんなに頻繁に投稿があるわけではないけど、投稿があるとやっぱり気になってエントリーを見に行く。今日は、「どういうことでしょう?」というコメントとともに、フジロックのURLが投稿されていた。

実際にサイトを見に行ってみると、「フジロック、変わります。」というコピーとともに、ティザーサイトのようになっている。画面をキャプチャーしたので、魚拓としても見てほしい。

開催時期がいつもの7月最終週から8月に変わるのは、既に’19の最終日のゲートに記載されていたので知っている。もっと大きな変化が起こるのだろうか。Facebookページのコメントでも「どう変わるんだろう」と、頭をひねっている様子が見られる。そろそろチケット販売の時期も近づいてきたと思うので、何だかビックリするような「変わります」があるとうれしいのだが。

いずれにせよ、果報は寝てまではでないけど、毎年行くから急ぐ旅ではなし、のんびりお待ちしております。


天神山の記憶(7)【フジロックGO #0009】


「天神山の記憶(6)【フジロックGO #0008】」はこちら

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの次のアーティストは、ザ・イエロー・モンキーだった。アタクシ的にザ・イエロー・モンキーというと「JAM」が印象に残っていた。ただ、アルバムを購入したこともなく、歌番組で披露された曲くらいしか聞いたことがなく、少し距離感のあるバンドだ。

雨が降っていたこともあり、とにかくテントに避難した。履いていたジーンズは当然濡れていたし、泥もついていたので、「雨で洗濯しよう」とか言って、テントの外に出しっぱなしにしておいた。ずぶ濡れで身体も冷えてきて、テントの中で持ってきた寝袋に潜り込んで暖をとった。

ある意味、これは合理的、現実的な判断ではあるが、すぐそこでライブやっているのに、テントにこもって音だけ聞いているのは自分でも滑稽に思えた。会場まで歩いてきたので、到着するのが遅く、もう数バンドしか残っていなかったから、何だかもったいないことをしているなあとも感じていた。

それでも、寝袋でブルブルと震えて片耳でイエモンを聞いていると、段々と温まってきて、気づけばウツラウツラしていた。


天神山の記憶(6)【フジロックGO #0008】


「天神山の記憶(5)【フジロックGO #0007】」はこちら

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの演奏が終わると、アタクシは我にかえった。ビニール袋で作ったお手製のカッパを、勢いで投げ捨てており、ずぶ濡れになっていたからだ。後先考えずに行動したことを反省しても、後悔先に立たず。仕方なくステージ前から移動しつつ、「フジロックすげーな」みたいな感慨を噛み締めていた。

やや呆然としながらはけていると、誰かに後ろから押され、その勢いで前にいた金髪の女性にぶつかってしまった。「あんた、痛いじゃないの」と英語で言われて、恐縮しながらも「何だよ、俺のせいじゃないのに」と言い返したかったが、英語がしゃべれないこともあって、実際には黙っていた。ロックフェスって、こんな風に殺伐とするものなのかと、小さな疑念も生まれた。

友人とアタクシは、テントに戻ることにした。このまま外にい続けるわけにもいかず、狭いながらも、雨風から逃れられる場所を選択したのだ。その後の報道で知るのだが、多くの参加者は着の身着のままで来場しており、とにかく行き場に困っていたそうだ。


天神山の記憶(5)【フジロックGO #0007】


「天神山の記憶(4)【フジロックGO #0006】」はこちら

フー・ファイターズの次のアクトは、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンだった。雨もしたたか降っていたと思う。それでも、アタクシたちはテントを張ったスキー場の斜面を滑るように下って、ステージ前に走り込んだ。思っていた以上に地面はドロドロで、実際は走れていなかったかもしれない。そんな最前列ではないが、割と正面に陣取ったと記憶している。CDで何度も何度も聞いて、それだけで熱くなる音が、目の前で鳴っていた。

周りのキッズたちもひどく興奮していた。誰も彼もが飛び跳ねている。ザックの声に、トムのギターに突き動かされていた。気づけばあっという間に沸点に達している。カッパを着ている人は皆無。アタクシ含め、ほとんどの一年生フジロッカーはTシャツ姿でビショビショになっていた。そのTシャツから、身体から、もうもうと煙が立ち上っていた。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに煽られた熱気が、水蒸気となってステージ前を雲のように覆っていたのだ。こんな光景は、後にも先にもこれっきりである。


天神山の記憶(4)【フジロックGO #0006】


「天神山の記憶(3)【フジロックGO #0005】」はこちら

やっとたどり着いたフジロックの会場。その時、聞こえてきたのはフー・ファイターズだったと思う(今回、改めて確認するまで、フジロック初体験バンドはサマーキャンプだと思っていたので、アタクシ的にはずっと忘れられない、甘酸っぱい思い出のあるバンドになっていたヨ)。

ニルヴァーナが何より好きなアタクシにとっては、まだデイブ・グロールの新しい活動は受け入れづらく、ファースト・アルバムこそ聞いていたものの、ちょっと冷めた感情があった。そんなこともあって、まずはテント設営から始めた。

今でこそ「フジロック=キャンプ」というイメージが定着しているが、その当時はテントなど持って来ている人は少数派で、やや大げさに言えばテントは数えるほどしか張られていなかった。しかし、このテントが、その後のアタクシたちの命運を分けることになった。スキー場だったので、かなり傾斜もきつく、もっと平らなところないかなーくらいにしか思っていなかったのだが。


天神山の記憶(3)【フジロックGO #0005】


「天神山の記憶(2)【フジロックGO #0004】」はこちら

第1回のフジロック、会場に向けて歩き続けたアタクシたち。何の計画も、どんな展望もなく、ただただ歩みを止めなかった。もし現在だったら、スマートフォンをあれこれいじって、何らか善後策らしきものをを探したかもしれない。しかし、その当時は目の前に見えるものがすべてで、インターネットのような拡張空間は、存在していないも同様だった。

実際に、ほかの人たちが進んでいる方向を追いかけているだけで、下手をすると間違った場所や目的地を目指していたのかもしれなかった。それでも、いつかきっと会場にたどり着けるはずと思い、淡々と歩いた。恐らく3時間以上は歩きつづけたと思うものの、終始ずっと悲壮感はなかった。

かなり記憶はあいまいだが、15時頃まで歩き続けて会場入り口に到達した。ある意味待ち焦がれ場所だったが、人気もまばらでやや拍子抜けした印象が残っている。苦労して歩いてきたのに、誰も歓待してくれないんだなと思ったのだ。当然、ライブは始まっていた。もう中盤から後半にかかっていた。その日残すアクトは数件という状況だった。