うさぎはうれしくてはねるのか?【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0080】


【短編小説】わたしの騎手/ルシア・ベルリン ◎
わずか2ページの短編小説。正直、アレって思ってしまった。緊急救命室で働く「わたし」は、ケガをした騎手を担当する。彼の言葉が通じるからか、また女性だからか、あっという間に母と息子のような関係性になる。物語の短さもあって、不思議な読後感であった。なお、時間がかかる例えでミシマが出てきた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】うさぎ/まど・みちお △
前回の「われは草なり」に似ているが、こちらはピンとこなかったし、うさぎの愛らしさのようなものは感じられなかった。「うさぎにうまれてうれしい」と直接的に表現されるものの、どのようにうれしいのか、あるいは、なぜうれしいのかなどが、書かれていないから、伝わってこないのだろうか。

【論考】人間の感性について/森本哲郎 △
感性全般ではなく、何を美しいと感じるかを考察した論考。異論を説えたいわけではないものの、最後に「美というものにあまりに不感症になっているこんにちの私たち」と急に言われても、取って付けたような主張に思えた。美を意識しないというより、特に最近に日本人は、好き嫌いが前面化しているように感じている。


ロラン・バルト【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#053】


【2月22日】ロラン・バルト:1915.11.12~1980.3.26

構造主義は世界から歴史を抜きさるのではない。構造主義は歴史に、内容だけではなく(これは何度となくなされてきたことだ)、形式をもまた結びつけようとする。素材だけではなく、知的なものを、イデオロギー的なものだけではなく、審美的なものを、歴史に結びつけようとする。

『エッセ・クリティック』鈴村和成訳(『バルト/テキストの快楽』『現代思想の冒険者たち』21、講談社、1996年より)

【アタクシ的メモ】
構造主義は、人間の社会的、文化的現象の背後には目に見えない構造があるとした思想。歴史に、内容、形式、素材、知的なもの、イデオロギー的なもの、審美的なものを結びつけるとのこと。


草がしゃべるのを聞いてみたくなった【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0079】


【短編小説】掃除婦のための手引書/ルシア・ベルリン ◎
「わたし」が語るのは、掃除婦として訪れる方々の家庭のことと、亡くなってしまった夫のターについて。家やその住人によって、生活、生き方は様々だなと思って淡々と読んでいたが、この短編は、最後の一文「わたしはやっと泣く」のために書かれたのだと深く納得した。日々、色々な家庭に入ることで、悲しみを抑えられているのだろう。

【詩・俳句・短歌・歌詞】われは草なり/高見順 ◎
短く似たフレーズ続き、リズミカルだし、読みやすい詩である。草はもちろんしゃべらないけど、もし語り出せるなら、こんな風にしゃべるかもしれないと思ってしまった。われは草なりと宣言しながら、生きる日を美しく、楽しく感じているのも、とてもポジティブで、読むだけで前向きな気持ちになれる。

【論考】暗号の解読について/森本哲郎 △
いくらヤスパースが「われわれは暗号の世界のなかに生きている」と言ったとしても、暗号は基本的に人間が設定するものだから、あまり同意できない。人間は世界を構成するほんの一部でしかないからだ。一方で、「意味」は自らが創り出すものであるという主張には同意できる。


ゴーゴリ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#052】


【2月21日】ゴーゴリ:1809.3.20~1852.2.21

いま熱情に燃えさかっている青年が、もし自分の老いさらばえた後の姿を見せつけられたなら、恐れ戦いてとびすさることだろう。柔軟な青年時代を過ぎ、きびしく非情な壮年に達しても、心して人間的な行いを保持してゆくように努め給え。途中で取り落してはいけない。後で取り戻すことは決してできないから! 未来に横たわる老齢はつれなく怖ろしいもので、何一つもとへ戻してくれはしないのだ!

『死せる魂』(上)平井肇・横田瑞穂訳、岩波文庫、1977年

【アタクシ的メモ】
人は青年時代が絶頂で、年老いることは下り坂だと言いたいのだろうか。「途中で取り落してはいけない」は、何をが明示されておらず、警句としては不十分ではないか。何をが「人間的な行い」だとすると、「取り落とす」や「取り戻すことはできない」と合わないように思う。


言葉だけが持つ豊潤さ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0078】


【短編小説】星と聖人/ルシア・ベルリン ◎
前作「ドクターH.A.モイニハン」と、登場人物が同じようだ。「シスター・セシリアを殴って退学になった」とあったが、本作では退学になるまでが書かれている。「わたし」は、同級生から好かれておらず、シスターからも誤解されていた。周囲に馴染めていない、ちょっとイタイ少女ではるが、あっけらかんとして、変な湿っぽさがなく、コメディー的に読めるのがヨイところだろう。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ひとり林に……/立原道造 ○
どんどんと地域が都市化され、ネット空間が膨大になってきている現在に読むと、自然を謳う詩は、それだけで貴重に感じる。そして、たとえば動画のようなもので自然を見せられるよりも、臨場感が感じられるから不思議だ。言葉は、目には見えないものも表現できるからだろう。

【論考】喜劇と悲劇について/森本哲郎 △
題名を見てかなり期待して読んだが、あてが外れてしまった。『ドン・キホーテ』の解説的な話がずっと続き、『白鯨』のときよりはわかりやすかったものの、結局、喜劇と悲劇という命題にはつなげられていないと思う。助走ばかり長く、一瞬で結論に行こうとしすぎではないか。


ホルクハイマー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#051】


【2月20日】ホルクハイマー:1895.2.14~1973.7.7

理性の危機は個人の危機のなかで表明される。個人の能力として理性は発展してきたのだからである。伝統的哲学が個人と理性について抱いていた幻想――その永遠性についての幻想は消え失せつつある。個人は、かつては、理性をもっぱら自己の道具として考えていた。今日、個人は、この自己物神化の正反対のものを体験しつつある。機械が運転手を振り落とし、虚空を盲滅法に突進している。完成の瞬間に、理性は非合理で無能力なものになった。

『理性の腐蝕』山口祐弘訳、せりか書房、1987年

【アタクシ的メモ】
人間が持つ理性が、機械や技術によって、損なわれ始めたということか。「個人の能力として理性は発展してきた」という指摘は、面白い。


私たちはオンラインに閉じこもりがち【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0077】


【短編小説】ドクターH.A.モイニハン/ルシア・ベルリン ○
腕のいい歯医者の祖父が、ある日、全部歯を抜いて、自分が作った最高傑作の入れ歯にする話。読んでいるだけで痛々しい。なぜ歯を抜いてしまうのか、動機は分からないままだ。途中、気を失ったりしてしまい、ハチャメチャな状況だが、登場人物に、生きているパワーを感じる不思議な読後感だった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】花/村野四郎 ○
この詩に書かれる通り、花の中にも小さな世界があるなと、改めて思い起こした。気づけば、小さな物にグッと近づき、じっと見ることがなくなっていた。スマートフォンやPCの画面ばかり見ていて、リアルな物から遠ざかっているせいもあるかもしれない。今読むと、オンラインばかりにいるなという警句にも感じられる。

【論考】挑戦について/森本哲郎 △
題こそ「挑戦について」となっているが、内容は小説『白鯨』についてのエッセーに近い。また、『白鯨』の中身を知らないと、やや何を言っているのか分からず、文章を読み進めるのがツラくなってしまった。なので、冒頭と最後に示される「すべてが、変更なくおこなわれる」の意味するところも理解できずに終わった。


ヘディン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#050】


【2月19日】ヘディン:1865.2.19~1952.11.26

クム・ダリヤ下流およびデルタの周辺では、水も植物も動物も、すべてが新しい。まさにだからこそ、今度私たちが計画した旅は、とらえて離さぬ大きい魅力があるのである。私たちは、アジアの一番奥の心臓部の、一見気まぐれではあるが広範な地表の変化をこの目で確かめるには、絶好の機会にやってきたのである。

『さまよえる湖』(上)、福田宏年訳、岩波文庫、1990年

【アタクシ的メモ】
ネット上にもほとんど情報らしい情報はないが、「クム・ダリヤ」とは新疆ウイグル自治区にかつて流れていた河のようだ。ヘディンは、その地域に調査に行ったみたいである。


時間のないころのゆめをみる【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0076】


【短編小説】エンジェル・コインランドリー店/ルシア・ベルリン ◎
ニューメキシコ州にあるコインランドリー店で、トニーとわたしは、偶然にも何度となく居合わせる。なぜかトニーは、わたしの手を見る。そして、ささやかなやり取りが始まる。もちろん大きな事件は起きない。いくつかのエピソードは語られるが、いつの間にか会うことがなくなり、二人の小さな物語は、終ってしまう。

【詩・俳句・短歌・歌詞】雲の信号/宮沢賢治 ◎
「みんな時間のないころのゆめをみているのだ」という一節が印象に残る。文明がなく、人もいない、いにしえの時を想起しているのだろうか。「ああいいな」から始まり、読み手も同じような穏やかな気分になるが、タイトルである「雲の信号」の意味は理解しきれないままだった。

【論考】バベルの塔について/森本哲郎 △
塔は人間にとって、コミュニケーションセンターの機能を引き受ける受ける重要なメディアであるという指摘は重要だろう。ただ、「バベルの塔」について語ってしまうと、神の意図や聖書の解釈などもあり、ややとっ散らかった論考になってしまったと思う。現代の高層ビル群とバベルの塔を比べるのも、ややありきたりだと感じた。


セネカ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#049】


【2月18日】セネカ:前4頃~後65

われわれの享ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのであり、われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽するそれが真相なのだ。莫大な王家の財といえども、悪しき主人の手に渡れば、たちまち雲散霧消してしまい、どれほど約しい財といえども、善き管財人の手に託されれば、使い方次第で増えるように、われわれの生も、それを整然と斉える者には大きく広がるものなのである。(『生の短さについて』)

『生の短さについて 他二篇』大西英文訳、岩波文庫、2010年

【アタクシ的メモ】
われわれの生が短いのは、自身に原因があり、整然とととのえると広がるとのことだが、何が蕩尽であり、どうととのえたらよいのだろうか。