世界はいつも歌に満ちている【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0150】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】四半世紀ノスタルジー/町屋良平 △
今回も読むのが苦痛だった。一読して分かりづらいという点だけでも、作品として微妙だと感じる。登場人物の描き方も、結構乱暴に思えた。なので、誰がどんな人かといったことも、ほとんど頭に入ってこず、そのまま話が進むので、理解できないという悪循環にしかならなかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】歌/谷川後太郎 ○
「だからぼく いつか死ぬときもきっと/歌っている/誰に聞こえなくても」と終わるのだが、タイトルにもなっている「歌」とは、文字通りソングのことなのだろうか。何かの比喩ではないのか。「いつも歌に満ちている」とも書かれているので、喜びの感情ではないかと思う。

【論考】三つの表現体/ロラン・バルト △
文楽について。何度か読んだが、今回もよく分からぬままだった。例えば、文楽は行為と身ぶりを分離すると書かれているが、行為とは何か、身ぶりとは何かについて、言及がない感じで、何とも煙に巻かれているような気分である。タイトルである三つの表現体も、何を指しているのか定かではなかった。


柳宗悦【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#124】


【5月3日】柳宗悦:1889.3.21~1961.5.3

偉大な古作品は一つとして鑑賞品ではなく、実用品であったということを胸に明記する必要がある。いたずらに器を美のために作るなら、用にも堪えず美にも堪えぬ。用に即さずば工藝の美はあり得ない。これが工藝に潜む不動の法則である。

『民芸四十年』岩波文庫、1984年

【アタクシ的メモ】
美しさ、それだけで存在するのではないと思う。そうした意味でも、「用に即さずば工藝の美はあり得ない」という言葉に、深く納得する。


生まれることは意志と無関係【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0149】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】ディア・プルーデンス/星野智幸 △
読むのが苦痛だった。元々人間がだったが、自分で青虫になったという。その青虫はもちろん、動物たちにも言葉があるという。よくわからない。完全なるフィクションであるため、どんなことが起きても、読み手は受け入れなければならない。理(ことわり)やロゴスのない世界で、ストーリーは成立しないのではないか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】生まれたよ ぼく/谷川俊太郎 ○
最近は、人が生まれることの暴力性(?)について、考えることが多い。生まれることは、まったくその人の意志とは無関存なのだ。そうしたことを考慮すると、この詩で示される、生まれてくるぼくのポジティブさや、前向きな点はとても素晴しいと思う。表現としては、「遺言する」や「忘れずに」がポイントになっているだろう。

【論考】包み/ロラン・バルト ○
「包みこんでいる内容はおおむね無意味なしろものである。つまり、内容の不毛が包みの豊饒と均衛がとれていない」ことが、日本の特殊性だという。包装が華美だと言いたいのだろうが、内容が不毛というのは、やや極言にも感じる。筆者の私見にすぎないのではないか。


丘浅次郎【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#123】


【5月2日】丘浅次郎:1868.11.18~1944.5.2

初等教育においては、宜しく、信ずる働きと疑う働きとを何れも適当に養うことが必要である。疑うべき理由の有ることは何所までも疑い、信ずべき理由を見出したことは確かにこれを信じ、決して疑うべきことを疑わずに平気で居たり、また信ずべき理由の無いことを軽々しく信じたりすることの無い様に、脳力の発達を導くのが、真の教育であろう。(「疑いの教育」)

『近代日本思想体系9 丘浅次郎集』筑摩書房、1974年

【アタクシ的メモ】
知性は問いや疑問から生まれるので、上でいう「疑う働き」というのはとても重要であると思う。一方、「信ずる働き」というのは、理性だと考えられるから、理由なく信じてしまってはいけないのである。


時間は過ぎるものではなく、人々のリレー【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0148】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】なにも持っていない右腕/藤野可織 ○
舞台はコロナ禍を想定しているから、そもそも他者の意識が交錯することもなく、主人公の自意識のみが描かれている。それは「現在」を上手くすくい上げているのかもしれないが、読書としては、物語の声を聞くという点からは、物足りないというのが正直な印象だ。また、ただ一人の認識のみが示されているため、単純に単調でもある。

【詩・俳句・短歌・歌詞】朝のリレー/谷川俊太郎 ◎
少し前、夕陽を眺めていて、この詩を思い出したことがあった。言葉や文章というよりは、コンセプトを想起したのだ。ということは、私は文字よりも、概念として記憶していたことになるのだろうか。いずれにせよ、時間を地球上の人々がつないでゆくという考え、俯瞰力は驚嘆に値する。

【論考】駅/ロラン・バルト △
今回も、わかりづらい文章だった。前半は日本の駅は街の中心としてあるのではなく、マーケットなどすべてが詰め込まれていると述べる。いわやる駅ビルのようなもので、買い物の場所でもあるのは、確かに日本独自の駅のあり方かもしれない。ただ、後半については、何度も読んで解読不能だった。


メルロ=ポンティ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#122】


【5月1日】メルロ=ポンティ:1908.3.14~1961.5.3

現象学はバルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品と同じように、不断の辛苦である——おなじ種類の注意と驚異とをもって、おなじような意識の厳密さをもって、世界や歴史の意味をその生まれ出づる状態において捉えようとするおなじ意志によって。

『知覚の現象学』1、竹内芳郎・小木貞孝訳、みすず書房、1967年

【アタクシ的メモ】
現象学では、「現象を作り出すのは人間の認識である」というような考え方するようだ。「世界や歴史の意味をその生まれ出づる状態において捉えようとする」ということに集約できるのかもしれない。


「サヨナラ」ダケガ人生ダ、再び【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0147】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】イッツ・プリティ・ニューヨーク/東山彰良 ◎
ハチャメチャな登場人物が現れ、人間の本心に基づいて行動し、結果、物語が立ち上がっていく。ストーリーテリングの巧みさというよりも、人間が生きているドライブ感のようなものを強く感じた。自分に近しい人物像でもないし、強く共感したわけでもないが、読み終わると、生きるのも悪くないよねと思わされた。

【詩・俳句・短歌・歌詞】幸福が遠すぎたら/寺山修司 ○
干武陵の「勧酒」で、井伏鱒二が訳した「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」の返歌になるのだろうか。この詩の最後、「さよならだけが/人生ならば/人生なんかいりません」という気持ちも分かるが、やはり勧酒とは、シチュエーションが違いすぎるように思う、誰かとの別れと、巡り来る季節や日々の暮らしは同一視できないだろう。

【論考】所番地なし/ロラン・バルト ○
筆者は、日本には○○通りのような名称はなく、郵便用の住所区分しかないと指摘する。例えば、ある家に訪問する際には、地図などを書いてもらわなければならない。そのため、その場所を理解するには、手製の地図を覚えたり、実際に歩いてみることが欠かせないという。これに従えば、地図アプリなどスマートフォンを見ながら移動している現代人は、場所や空間を知らぬままなのかもしれない。


鏑木清方【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#121】


【4月30日】鏑木清方:1878.8.31~1972.3.2

鶸色に萌えた楓の若葉に、ゆく春をおくる雨が注ぐ。あげ潮どきの川水に、その水滴は数かぎりない渦を描いて、消えては結び、結んでは消ゆるうたかたの、久しい昔の思い出が、色の褪せた版画のように、築地川の流れをめぐってあれこれと偲ばれる。(「築地川」)

『随筆集 明治の東京』山田肇編、岩波文庫、1989年

【アタクシ的メモ】
鶸色(ひわいろ)とは、明るい黄がちの黄緑色のことだそうだ。日本画家だったが、随筆もよく書いたようで、色味も繊細だし、流麗な文章だと思う。


東京の中心は空虚である【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0146】


レイ・ブラッドベリさんが、「クリエイティブになるには、三種の読書を1000日続けよ」と仰っていたということで、短い物語(短編小説)、詩・俳句・短歌・歌詞、論考と三種類のテキストを毎日読みます。そして、何を読んで何を感じたかを、備忘録的に記録しています。

【短編小説】それからの家族/早見和真 ○
母親が病気で亡くなってしまう、家族4人の物語。男3人はバラバラで、母親だけが太陽のようという設定が、ご都合主義に感じた。兄弟による見解の相違も、違うことが示されるのみで、理由や根拠が分からず、やや深みが足りないように思う。最後のハッピーエンド的な終わり方も、上手く理解できなかった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】美しい国/永瀬清子 ○
戦中から戦後への変化を詠んだ詩だと思う。戦争については何も書いていないし、「敵」というワードがちらっと出るくらいだが。やはり、感じたことを感じたままに語れることは、人間が生きていくためには重要である。本音、本心が表現できないのは、苦痛でしかないだろう。しかし、本音を語ることと、美しさは別だとも思う。

【論考】中心一都市 空虚の中心/ロラン・バルト ○
筆者は「中心へゆくこと、それは社会の《真理》に出会うことである」と言う。ただ東京の中心には皇居があり、「その中心は空虚である」と指摘する。長く私は、東京の中心は空虚であると考えていたが、社会的中心ではないだけで、精神的な寄り所にはなっているのではないかと、改めて思い始めた。


ウィトゲンシュタイン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#120】


【4月29日】ウィトゲンシュタイン:1889.4.26~1951.4.29

本書は哲学の諸問題を扱っており、そして——私の信ずるところでは——それらの問題がわれわれの言語の論理に対する誤解から生じていることを示している。本書が全体としてもつ意義は、おおむね次のように要約されよう。およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない。

『論理哲学論考』野矢茂樹訳、岩波文庫、2003年

【アタクシ的メモ】
「論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない」は、とても好きな言葉。翻訳でも、ちゃんと『論理哲学論考』を読んでいないから、なんちゃってなんだろうけど。