マルクス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#074】


【3月14日】マルクス:1818.5.5~1883.3.14

自然の人間的本質は、社会的人間にとってはじめて現存する。……ここにはじめて人間の自然的なあり方が、彼の人間的なあり方となっており、自然が彼にとって人間となっているのである。それゆえ、社会は、人間と自然との完成された本質統一であり、自然の真の復活であり、人間の貫徹された自然主義であり、また自然の貫徹された人間主義である。

『経済学・哲学草稿』城塚登・田中吉六訳、岩波文庫、1964年

【アタクシ的メモ】
この草稿における「人間的」「社会的」「自然的」の意味、「社会」「人間」「自然」の関係性がはっきりしないので、この引用だけでは、何を主張しているのかよくわからない。ただ、「人間」と「自然」とを分断し、対立として考えていそうな点は、あまり賛同できない。


ブーバー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#073】


【3月13日】ブーバー:1878.2.8~1965.6.13

メロディーは音から成り立っているのではなく、詩は単語から成り立っているのではなく、彫刻は線から成り立っているのではない。これらを引きちぎり、ばらばらに裂くならば、統一は多様性に分解されてしまうにちがいない。このことは、わたしが〈なんじ〉と呼ぶひとの場合にもあてはまる。わたしはそのひとの髪の色とか、話し方、人柄などをとり出すことができるし、つねにそうせざるを得ない。しかし、そのひとはもはや〈なんじ〉ではなくなってしまう。(『我と汝』)

『我と汝・対話』植田重雄訳、岩波文庫、1979年

【アタクシ的メモ】
同一性について語っているのだろうか。なんじ(あなた)を構成する要素を分解してしまうと、自己同一性は保てなくなる。ただ、それが単なる数多ある組み合わせのうちの一つであるという確率論ではないと、私は考える。


伊東静雄【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#072】


【3月12日】伊東静雄:1906.12.10~1953.3.12

この碧空のための日は
静かな平野へ私を迎える
寛やかな日は
またと来ないだらう
そして碧空は
明日も明けるだらう(「詠唱」)

『伊東静雄詩集』杉本秀太郎編、岩波文庫、1989年

【アタクシ的メモ】
「寛(おだ)やかな日は/またと来ないだらう」という一文が、個人的なはとても刺さった。また来ないのに、明日も明けてしまうのである。


マルコ・ポーロ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#071】


【3月11日】マルコ・ポーロ:1254~1324

サパング(日本国)は東方の島で、大洋の中にある。大陸から一五〇〇マイル離れた大きな島で、住民は肌の色が白く礼儀正しい。また、偶像崇拝者である。島では金が見つかるので、彼らは限りなく金を所有している。しかし大陸からあまりに離れているので、この島に向かう商人はほとんどおらず、そのため法外の量の金で溢れている。
この島の君主の宮殿について、一つ驚くべきことを語っておこう。その宮殿は、ちょうど私たちキリスト教国の教会が鉛で屋根をふくように、屋根がすべて純金で覆われているので、その価値はほとんど計り知れないほどである。

『全訳 マルコ・ポーロ 東方見聞録』月村辰雄・久保田勝一訳、岩波書店、2002年

【アタクシ的メモ】
「屋根がすべて純金で覆われている」と書かれているが、それは特定の建物のことなのだろうか。これは、英知のことばというよりも、当時の状況を伝える重要な記録なのだと思う。


李白【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#070】


【3月10日】李白:701~762

両人対酌して山花開く
一杯 一杯 復た一杯
我は酔いて眠らんと欲す 卿且く去れ
明朝 意有らば琴を抱いて来れ
(「山中にて幽人と対酌す」)

二人酌み交わすところに山の花が開く。一杯、一杯、また一杯。
おれは酔っぱらって眠くなった、君はひとまず帰れ。明日になってその気があれば、琴をかかえてやってこい。

『新編 中国名詩選』(中)、川合康三編訳、岩波文庫、2015年

【アタクシ的メモ】
李白は、詩聖杜甫に対して詩仙とも称される詩人。お酒を好み、酔って水中の月を捕まえようとして溺死したと伝えられるようだ。引用された詩を読んでも、詩仙らしさは感じなかった。


永井荷風【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#069】


【3月9日】永井荷風:1879.12.3~1959.4.30

余は五、六歩横町に進入りしが洋人の家の樫の木と余が庭の椎の大木炎〻として燃上り黒烟風に渦巻き吹きつけ来るに辟易し、近づきて家屋の焼け倒るるを見定ること能はず。唯火焔の更に一段烈しく空に上るを見たるのみ。これ偏奇館楼上少からぬ蔵書の一時に燃るがためと知られたり。(1945年3月9日)

『摘録 断腸亭日乗』(下)、磯田光一編、岩波文庫、1987年

【アタクシ的メモ】
断腸亭とは荷風の別号で、日乗とは日記のこと。これは戦時中で、どうやら空襲にあったようだ。


詩経【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#068】


【3月8日】詩経

桃の夭夭たる
灼灼たり 其の華
之の子 干き帰がば
其の室家に宜しからん

桃は若やぐ。
輝くその花。
この子がお嫁に行ったなら、
そのお家にもふさわしい。

『新編 中国名詩選』(上)、川合康三編訳、岩波文庫、2015年

【アタクシ的メモ】
『詩経』とは、全305篇からなる中国最古の詩篇とのこと。ここに引用されたものも、とてもシンプルな詩だと感じた。


バフーチン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#067】


【3月7日】バフーチン:1895.11.17~1975.3.7

笑いは深い世界観的な意味を持つ。笑いは統一体としての世界、歴史、人間に関する真理の本質的形式である。それは世界に対する特殊な普遍的観点である。この観点は世界を別な面から見るが、厳粛な観点よりも本質をつく度が少ないわけではない(多くはないとしても)。

『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』川端香男里訳、せりか書房、1973年

【アタクシ的メモ】
「深い世界観的な意味」があまりイメージできず、「誤訳?」と思ってしまった。「特殊な普遍的な観点」も、やや謎な表現ではないか。ここで言いたいことは、笑いが人間の真理、本質をつくことがあるということか。


菊池寛【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#066】


【3月6日】菊池寛:1888.12.26~1948.3.6

芸術のみにかくれて、人生に呼びかけない作家は、象牙の塔にかくれて、銀の笛を吹いているようなものだ。それは十九世紀ころの芸術家の風俗だが、まだそんな風なポーズを欣んでいる人が多い。
文芸は経国の大事、私はそんな風に考えたい。生活第一、芸術第二。(「文芸作品の内容的価値」)

『新潮』大正11年(1922)7月

【アタクシ的メモ】
人が生きて死んでいく中で、経済活動も重要だが、文芸など文化的な活動も不可欠だと思う。また、生活第一、芸術第二にも同意である。作家は、人生に呼びかけることが大事だという考えにも共感する。


杜甫【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#065】


【3月5日】杜甫:712~770

国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす(「春望」)

都は打ち壊されても山河は存する。城内は春になって草木が生い茂る。
時節に心は痛み、花を見ても涙がこぼれ、別離を悲しみ、鳥の囀りにも心はおののく

『新編 中国名詩選』(中)、川合康三編訳、岩波文庫、2015年

【アタクシ的メモ】
「国破れて山河在り」というフレーズは、不思議なほど、自分の中にずっと残っていて忘れない。杜甫がこの詩を詠んだときの気持ちと、全くシンクロするのかどうかは定かではないが、自分なりに新たな気持ちを呼び起こすのではないか。