ベケット【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#104】


【4月13日】ベケット:1906.4.13~1989.12.22

私はどこへ行こうか、もし行けるなら。
誰になろうか、もしなれるなら。
何を口にしようか、まだあるなら。
そう言っているのは誰だ、私だと言っているのは?(「反古草紙」)

ジョン・バクスター『ウディ・アレン・バイオグラフィー』田栗美奈子訳、作品社、2002年より

【アタクシ的メモ】
ベケットは戯曲『ゴトーを待ちながら』の著者。前衛的な作品を数多く残したそうだ。この引用文も、人間の一般的な論理性や行動原理と少しずれがある感じで、読み手の心を緩やかに揺れ動かしてくる。


ヘロドトス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#103】


【4月12日】ヘロドトス:前484頃~前425頃

陣立てを終わり犠牲の卦も吉兆を示したので、アテナイ軍は進撃の合図とともに駆け足でペルシア軍に向かって突撃した。両軍の間隔は八スタディオンを下らなかった。ペルシア軍はアテナイ軍が駆け足で迫ってくるのを見て迎え撃つ態勢を整えていたが、数も少なくそれに騎兵も弓兵もなしに駆け足で攻撃してくるのを眺めて、狂気の沙汰じゃ、全く自殺的な狂気の沙汰じゃと罵った。ペルシア方はアテナイ軍の行動をこのように受け取ったのであったが、一団となってペルシア陣内に突入してからのアテナイ軍は、まことに語り伝えるに足る目覚ましい戦いぶりを示したのである。

『歴史』(中)松平千秋訳、岩波文庫、1972年

【アタクシ的メモ】
アテナイ軍とペルシア軍の戦いの様子。2000年以上前の遠く離れた場所での出来事が、テキストで目の前に提示され、またそれを理解できるという、言葉のマジックとでも言うべき力に驚いている。


中谷宇吉郎【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#102】


【4月11日】中谷宇吉郎:1900.7.4~1962.4.11

住みついてみると、北海道の冬は、夏よりもずっと風情がある。風がなくて雪の降る夜は、深閑として、物音もない。外は、どこもみな水鳥のうぶ毛のような新雪に、おおいつくされている。比重でいえば、百分の一くらい、空気ばかりといってもいいくらいの軽い雪である。どんな物音も、こういう雪のしとねに一度ふれると、すっぽりと吸われてしまう。耳をすませば、わずかに聞こえるものは、大空にさらさらとふれ合う雪の音くらいである。(「貝鍋の歌」)

『中谷宇吉郎随筆集』樋口敬二編、岩波文庫、19年88

【アタクシ的メモ】
北海道で暮らした夜、貝鍋やほっけを楽しんだ様子を書き綴ったようだ。引用の箇所はその冒頭。降雪によって音が吸収され、辺りが物静かになることを表現している。


ヒューム【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#101】


【4月10日】ヒューム:1711.4.26~1776.8.25

冷淡で利害的関心から離れた理性は、行動の動機ではない。理性は、幸福を獲得し不幸を避ける手段を私たちに教えることによって、欲求もしくは傾向性から受けとる衝動を導くにすぎないのである。好みこそ、快と苦をもたらして、そこから幸福と不幸を産みだすがゆえに、行動の動機へと生成するものである。好みこそが、よく欲望と意志との第一のバネ、第一の衝動である。

『道徳原理の研究』編者訳出

【アタクシ的メモ】
行動の動機付けは、理性ではない。「好み」によって欲望や意志が生み出され、行動へとつながるのだ、とヒュームは語る。この「好み」と訳された原文は何だったのだろう。真実を言い当てている気がするので、それが知りたくなった。


田宮虎彦【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#100】


【4月9日】田宮虎彦:1911.8.5~1988.4.9

孟冬十月二十日(新暦十二月三日)、例年ならば黒菅の城下には霏々として白雪が舞っている頃である。だが、この年は何故か雪がおそかった。五日前の夜、亥の下刻に及んで初雪が僅かに降ったが、それも程なくやんで、夜明けとともに、冴えた藍いろの空が栗粒ほどのぞいたかと思うと、重たく淀んだ雪雲がみるみる黒菅盆地の刈りあとの田面を這って飛び散り、あくまで澄んだ初冬の空が、また柔らかい和毛のような日差しをなげつづけはじめていた。(「末期の水」)

『落城・霧の中 他四篇』訳、岩波文庫、1957年

【アタクシ的メモ】
知らない言葉も多いが、流麗な文章だと思う。引用は歴史小説の一節のようだ。著者自身は、脳梗塞が原因で右半身不随となり、それを悔やんで投身自殺を図ったとのこと。遺書には、「脳梗塞が再発し手がしびれ思い通りに執筆ができなくなったため命を絶つ」と記されていたそうである。


ブッダ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#099】


【4月8日】ブッダ:前463.4.8~前383.2.15

いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

『ブッダのことば(スッタニパータ)』中村元訳、岩波文庫、1984年

【アタクシ的メモ】
最後の「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」という通り、人間だけを特別視することなく、命あるものすべてに平等な視線を投げかけるのが素晴らしいと思う。


法然【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#098】


【4月7日】法然:1133.4.7~1212.1.25

念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法を能々学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同して、智者のふるまいをせずして、只一かうに念仏すべし。(「一枚起請文」)

『法然 一遍』大橋俊雄校注(『日本思想体系』10、岩波書店、1971年

【アタクシ的メモ】
かなり乱暴に要約すると、「経典で仏法を学んだとしても、自身の愚かさを自覚し、一心に念仏を唱えなさい」ということか。少しソクラテスの「無知の知」に似ている気もする。


ジェームズ・ワトソン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#097】


【4月6日】ジェームズ・ワトソン:1928.4.6~

冷え切った、ほとんど暖房のきいていない汽車の客室で、私はB型の模様について覚えていることを新聞のすみの余白に書きとめた。それからケンブリッジへ向かってガタガタと走る汽車の振動に身をまかせながら、二本鎖と三本鎖のどちらが正しいか考えてみた。……自転車でカレッジへ帰り、裏門をのり越えるころには、私の腹は決まっていた。二本鎖で模型を組み立ててみよう。フランシスも賛成してくれるにちがいない。

『二重らせん』江上不二夫・中村桂子訳、講談社文庫、1986年

【アタクシ的メモ】
DNAの二重らせんモデルが、まさに誕生するシーンを引用しているので、生物学や医学の歴史としては貴重ではあろうが、なぜ三本鎖ではなく、二本鎖になったのか、理論的、科学的な考察が書かれていなので、そこは残念である。


ホッブス【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#096】


【4月5日】ホッブス:1588.4.5~1679.12.4

第一に、私は、全人類の一般的性向として、つぎからつぎへと力をもとめ、死においてのみ消滅する、永久の、やすむことのない意欲を挙げる。そして、このことの原因は、かならずしもつねに、人が、すでに取得したよりも強度のよろこびを希望するとか、ほどよい力に満足できないとかいうことではなくて、かれが現在もっている、よく生きるための力と手段を確保しうるためには、それ以上を獲得しなければならないからなのである。

『リヴァイアサン』(1)、水田洋訳、岩波文庫、1992年

【アタクシ的メモ】
人間の成長欲求というか、場合によっては、人間における資本主義的な意欲の際限のなさを表現しているのだろうか。


モーツァルト【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#095】


【4月4日】モーツァルト:1756.1.27~1791.12.5

死は(厳密に考えて)われわれの一生の真の最終目的なのですから、私は数年この方、人間のこの真の最善の友としてとても親しくなって、その姿が私にとってもう何の恐ろしいものでもなくなり、むしろ多くの安らぎと慰めを与えるものとなっています! そして、神さまが私に、死がわれわれの真の幸福の鍵だと知る機会を(私の申すことがお分かりになりますね)幸いにも恵んで下さったことを、ありがたいと思っています。私は、(まだこんなに若いのですが)もしかしたら明日はもうこの世にいないのではないかと、考えずに床につくことは一度もありません。(1787年4月4日付、父宛書簡)

『モーツァルトの手紙』(下)、柴田治三郎編訳、岩波文庫、1980年

【アタクシ的メモ】
人が生きて死ぬことは必然である。とは言え、モーツァルトが若いころから、それを強く意識していたことに少し驚いた。死を身近に考えていたことが、音楽の創作活動にどのような影響があったのが、気になるところである。