いそがなくたっていいんだよ【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0058】


【短編小説】ある占い/星新一
オチが全く予想外で、とても面白かった。蛇が自分のシッポに噛みつくみたいな話だが、妙な爽快感があった感じ。占いが当たりすぎるのは、途中不自然な印象もあったが、ストーリー上欠かせない要件だったので、すぐに納得に変わった。今回読んでいる星新一さんの作品の中で、一番好きかもしれない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】南の絵本/岸田衿子
「いそがなくたっていいんだよ」から始まる。今の自分にとっては、こんなダイレクトなメッセージがとてもがグサりと刺さった。「あるいてゆけばいい」という最後の一行も、読み手を後押ししてくれる言葉に感じる。コロナ禍で、焦りばかり感じていたので、一瞬かもしれないがとても救われた。

【論考】ことわざについて/森本哲郎
小学6年生の時、自由研究でことわざを検証したことがある。発表したら同級生にはなぜか笑われたけど、ことわざは本当に正しかった。だから、先人たちから継承されてきたことわざを信じている。筆者は、ことわざを芸術作品とも評していたが、最後に述べた哲学の方が近しいと思う。


孟子【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#031】


【1月31日】孟子:前372~前289

人皆人に忍びざるの心有りと謂う所以の者は、今、人乍に孺子の将に井に入ちんとすれば見れば、皆怵惕惻隠の心有り、交を孺子の父母に内ばんとする所以にも非ず、誉を郷党朋友に要むる所以にも非ず、其の声を悪みて然るにも非ざるなり。(「公孫丑上」)

誰にでもこのあわれみの心はあるものだとどうして分かるのかといえば、その理由はこうだ。たとえば、ヨチヨチ歩く幼な子が今にも井戸に落ちこみそうなのを見かければ、誰しも思わず知らずハッとしてかけつけて助けようとする。これは可愛想だ、助けてやろうとの一念からとっさにすることで、もちろん助けたことを縁故にその子の親と近づきになろうとか、村人や友達からほめてもらおうとかのためではなく、また、見殺しにしたら非難されるからと恐れてのためでもない。

『孟子』(上)、小林勝人訳注、岩波文庫、1968年

【アタクシ的メモ】
自然の善意についての記述だろうか。ここでは「忍びざるの心(あわれみの心)」と表現されている。


おぼろの世界に安心する日本人【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0057】


【短編小説】わが子のために/星新一
ダブルのオレオレ詐欺といった所だろうか。とはいえ、唐突に訪れた弁護士の口だけの説明で、そんなに簡単に騙されるとは思えない。男は犯罪組織のボスなのだから。ストーリーのアイデアとしては、悪くないと思うものの、細部がもう少し整えられていたら、もう少し入り込めたかもしれない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】言葉のダシのとりかた/長田弘
例えば、メールを書くにしても、単純に思いついたまま言葉を使っているわけではないから「言葉のダンをとる」というのは、ある意味大切だと思う。でも、かつおぶしをモチーフにしているせいでかえってよく分からなくなってしまった。「言葉の一番ダシ」をとるために、結局、何をすべきなのだろうか?

【論考】魂の風景について/森本哲郎
おぼろの世界に対して、ヨーロッパの人たちは世界からる引き離されると感じ、日本人はつつみこまれると感じるという。あまり意識したことはなかったが、それは確かにそうだと思う。あからさまではなく、おぼろげな風景に対しても、それはそれで趣きを感じる。どうしてそうなのかを、仮説でもヨイから示してくれるとよかった。


ガーンディー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#030】


【1月30日】ガーンディー:1869.10.2~1948.1.30

サッティヤーグラハ、または魂の力は英語で「受動的抵抗(パッスィヴ・レジスタンス)」といわれています。この語は、人間たちが自分の権利を獲得するために自分で苦痛に耐える方法として使われています。その目的は戦争の力に反するものです。あることが気に入らず、それをしないときに、私はサッティヤーグラハ、または魂の力を使います。

『真の独立への道』田中敏雄訳、岩波文庫、2001年

【アタクシ的メモ】
「サッティヤーグラハ」は、マハトマ・ガンディーがつくった言葉のよう。ここでは受動的抵抗と表現されているが、非暴力不服従と言った方がわかりやすいのではないか。


ひとひらのさくらのはなびら【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0056】


【短編小説】親しげな悪魔/星新一
老人の姿をした柔和な悪魔が登場。3つの願いをかなえてもらう代わりに、誰かが不幸になっているという。願いをかなえてもらった青年はたまらず、命を差し出してしまう。悪魔は、そんなこと普通だと言うものの、自の考え方や感情は青年に近しい。それでは、世の中、生き抜いていけないのだろうか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】さくらの はなびら/まど・みちお
「さくらのはなびらが、じめんにたどりつく」。それだけとも言えることだが、作者は地球や宇宙にとって、ひとつのことと提えている。確かに、どんなささいな事柄でも、はじまりがあり、おわりがある。そうした小さな事柄が無数に起こることで、世界は少しずつ動いているのだ。

【論考】人生の智恵について/森本哲郎
世阿弥の「秘すれば花なり」を読み解いているのだが、ちょっとよく分からなかったというのが正面な感想。秘すること自体に効果があるとのことだが、どんな効果、効用なのかは、明確に示されていないと思う。言葉の意味をきちんと探求する点ではヨイが、結論が不明瞭なままで終った感じ。


チェーホフ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#029】


【1月29日】チェーホフ:1860.1.29~1904.7.15

人間は物を考える理性と、物を創り出す力とを、天から授かっています。それでもって、自分に与えられているものを、ますます殖やして行けという神様の思し召しなんです。ところが、今日まで人間は、創り出すどころか、ぶち毀してばかりいました。森はだんだんと少なくなる、河は涸れてゆく、鳥はいなくなる、気候はだんだん荒くなる、そして土地は日ましに、愈々ますます痩せて醜くなってゆく。

『ワーニャ伯父さん』神西清訳(『チェーホフ全集』12、中央公論社、1968年)

【アタクシ的メモ】
この当時から、自然などの環境破壊は問題になっていたということか。現在と比べると、きっとそれほどではないように思うのだが。


生まれ出てくる偶然【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0055】


【短編小説】現実/星新一
夢を通して、様々な状況、時空を超えた現実に直面する青年。その現実を受け入れることで、逆に現実を変えてゆく。こんなことは、きっと起こらないことではあるが、不思議な説得力があり、最後にはこんな人生があるかもと思わされていた。時系列じゃないところが、効果的だったのかもしれない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】あいたくて/工藤直子
生まれ出てきた偶然と運命に従おうとする気持ちを語っているのではないか。自分が、生きているのは所与のことであり、どう生きるかは意志の問題だから、どうしても迷いが生じてくる。その戸惑いを詩にしたように思う。柔らかい言葉使いも心地良い。

【論考】自然の美しさについて/森本哲郎
自然の何に美を感じるかは、国や風土によって異なるだろうし、もっと言えば人によってもまちまちだと思う。なので、筆者の言わんとする事には替同する。ただ、最後の自然と都会の対立は、書かれた当時は気にならず読めたかもしれないが、今だとちょっとつまづく感じがしてしまう。


ドフトエフスキー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#028】


【1月28日】ドフトエフスキー:1821.10.30~1881.1.28

神がほんとうに存在するといことが不思議なのじゃなくって、そんな考えが、――神が必要なりという考えが、人間みたいな野蛮で意地悪な動物の頭に浮かんだということが驚嘆に値するのだ。そのくらいこの考えは神聖で、殊勝で、賢明で、人間の誉れとなるべきものなんだ。

『カラマーゾフの兄弟』(二)、米田正夫訳、岩波文庫、1957年

【アタクシ的メモ】
神と人間は対極の存在であり、その一方で人間の頭や心の中にあるものと想定されている。神を想像し、求めることが、人間が神に近づく唯一の方法なのだろうか。


好きな人の名は言えない【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0054】


【短編小説】侵入者との会話/星新一
事態が二転三転するサスペンス。とは言え、出てくる犯罪者に、ちょっとしたコミカルさというか、抜けてる感じもあり、それほど切迫感はない。やはり星新一さんの世界観。なので、フィクションとして、箱庭を眺めているような読後感であった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】練習問題/阪田寛夫
国語の練習問題のような語り口から、ポロッと「ぼく」の本音が垣間見える微笑ましい詩であった。いわゆる時的、文学的表現じゃない方が、伝わりやすいだろうなと改めて感じた。そうした意味では、読者フレンドリーな作品ではないか。

【論考】住まいについて/森本哲郎
日本人の住まい観は独特で、堅牢さはそこそこに、世の無常を前提とした住居だという。確かにそうだとは思うものの、筆者の論理展開がややくり返しに終始にしていて、スッと入ってこなかった。また、日本人の住まいの先にあるものを、提示してくれたら、論考としてもっとよかったように思う。


ルイス・キャロル【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#027】


【1月27日】ルイス・キャロル:1832.1.27~1898.1.14

「わしが言葉を使うときには」とハンプティ・ダンプティは、鼻であしらうように言いました。「その言葉は、わしがきめただけのことを意味するんじゃ――それ以上でも、以下でもなくな。」
「問題は」と、アリスは言いました。「一つの言葉に、そんなにいろんな意味を持たすことができるのか、ってことです。」
「問題は」と、ハンプティ・ダンプティが言いました。「どっちが主人か、ということ――それがすべてじゃ。」

『鏡の国のアリス』脇明子訳、岩波少年文庫、2000年

【アタクシ的メモ】
言葉とは、やはり相対的である。「愛しい」と言っても、十人十色の愛しさがあるし、発言するAさんと聞き手のBさんとの関係性によっても、意味や伝わることは変わってくる。