フジロック、変わります。の続報というわけではないが【フジロックGO #0011】


昨日の続報というわけでもないのだが、本日も「フジロック、変わります。」の真意を少しだけ掘り下げてみたい。ほんの少しだけ。

先述したアタクシが所属するFacebookグループの反応で見ると、「椅子対策かな」というコメントが比較的多いような気がする。自分の感覚的に言っても、放置された椅子をはじめ、無駄に場所取りする例は気になっていた(ある意味、最初からの問題だと思うが、フジロックがレジャー化されている最近は顕著な気がする)。ただ、そうした環境への対策は、今回の「変わります。」とは縁遠いように思える。

実は、ロゴの色遣いも変化している。これまでは2色だったのが(アタクシも、調べて明確になった)、4色に変化している。ここから単純に考えてしまうのは、多様性の拡大ではないのか。相当抽象的だし、ザックリとした予想にすぎないが、オリンピックイヤーということもあって、誰でも参加しやすいフジロックに変わってくれるとうれしい。この4年は、子どもたちを連れて行き、誰でも楽しめるフジロックを体験している身でも、さらにアクセスしやすく、過ごしやすくなるのならとってもうれしいのだが。

結論、関係者でもなんでもないので、どう変わるのかは全くあずかり知らな状況だが、2020年のフジロックに大いに期待したい。永遠のフジロッカーだからね。


フジロック、変わります。【フジロックGO #0010】


「フジロックに行こう! ~We love FUJIROCK」というFacebookグループに参加している。そんなに頻繁に投稿があるわけではないけど、投稿があるとやっぱり気になってエントリーを見に行く。今日は、「どういうことでしょう?」というコメントとともに、フジロックのURLが投稿されていた。

実際にサイトを見に行ってみると、「フジロック、変わります。」というコピーとともに、ティザーサイトのようになっている。画面をキャプチャーしたので、魚拓としても見てほしい。

開催時期がいつもの7月最終週から8月に変わるのは、既に’19の最終日のゲートに記載されていたので知っている。もっと大きな変化が起こるのだろうか。Facebookページのコメントでも「どう変わるんだろう」と、頭をひねっている様子が見られる。そろそろチケット販売の時期も近づいてきたと思うので、何だかビックリするような「変わります」があるとうれしいのだが。

いずれにせよ、果報は寝てまではでないけど、毎年行くから急ぐ旅ではなし、のんびりお待ちしております。


天神山の記憶(7)【フジロックGO #0009】


「天神山の記憶(6)【フジロックGO #0008】」はこちら

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの次のアーティストは、ザ・イエロー・モンキーだった。アタクシ的にザ・イエロー・モンキーというと「JAM」が印象に残っていた。ただ、アルバムを購入したこともなく、歌番組で披露された曲くらいしか聞いたことがなく、少し距離感のあるバンドだ。

雨が降っていたこともあり、とにかくテントに避難した。履いていたジーンズは当然濡れていたし、泥もついていたので、「雨で洗濯しよう」とか言って、テントの外に出しっぱなしにしておいた。ずぶ濡れで身体も冷えてきて、テントの中で持ってきた寝袋に潜り込んで暖をとった。

ある意味、これは合理的、現実的な判断ではあるが、すぐそこでライブやっているのに、テントにこもって音だけ聞いているのは自分でも滑稽に思えた。会場まで歩いてきたので、到着するのが遅く、もう数バンドしか残っていなかったから、何だかもったいないことをしているなあとも感じていた。

それでも、寝袋でブルブルと震えて片耳でイエモンを聞いていると、段々と温まってきて、気づけばウツラウツラしていた。


天神山の記憶(6)【フジロックGO #0008】


「天神山の記憶(5)【フジロックGO #0007】」はこちら

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの演奏が終わると、アタクシは我にかえった。ビニール袋で作ったお手製のカッパを、勢いで投げ捨てており、ずぶ濡れになっていたからだ。後先考えずに行動したことを反省しても、後悔先に立たず。仕方なくステージ前から移動しつつ、「フジロックすげーな」みたいな感慨を噛み締めていた。

やや呆然としながらはけていると、誰かに後ろから押され、その勢いで前にいた金髪の女性にぶつかってしまった。「あんた、痛いじゃないの」と英語で言われて、恐縮しながらも「何だよ、俺のせいじゃないのに」と言い返したかったが、英語がしゃべれないこともあって、実際には黙っていた。ロックフェスって、こんな風に殺伐とするものなのかと、小さな疑念も生まれた。

友人とアタクシは、テントに戻ることにした。このまま外にい続けるわけにもいかず、狭いながらも、雨風から逃れられる場所を選択したのだ。その後の報道で知るのだが、多くの参加者は着の身着のままで来場しており、とにかく行き場に困っていたそうだ。


天神山の記憶(5)【フジロックGO #0007】


「天神山の記憶(4)【フジロックGO #0006】」はこちら

フー・ファイターズの次のアクトは、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンだった。雨もしたたか降っていたと思う。それでも、アタクシたちはテントを張ったスキー場の斜面を滑るように下って、ステージ前に走り込んだ。思っていた以上に地面はドロドロで、実際は走れていなかったかもしれない。そんな最前列ではないが、割と正面に陣取ったと記憶している。CDで何度も何度も聞いて、それだけで熱くなる音が、目の前で鳴っていた。

周りのキッズたちもひどく興奮していた。誰も彼もが飛び跳ねている。ザックの声に、トムのギターに突き動かされていた。気づけばあっという間に沸点に達している。カッパを着ている人は皆無。アタクシ含め、ほとんどの一年生フジロッカーはTシャツ姿でビショビショになっていた。そのTシャツから、身体から、もうもうと煙が立ち上っていた。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに煽られた熱気が、水蒸気となってステージ前を雲のように覆っていたのだ。こんな光景は、後にも先にもこれっきりである。


天神山の記憶(4)【フジロックGO #0006】


「天神山の記憶(3)【フジロックGO #0005】」はこちら

やっとたどり着いたフジロックの会場。その時、聞こえてきたのはフー・ファイターズだったと思う(今回、改めて確認するまで、フジロック初体験バンドはサマーキャンプだと思っていたので、アタクシ的にはずっと忘れられない、甘酸っぱい思い出のあるバンドになっていたヨ)。

ニルヴァーナが何より好きなアタクシにとっては、まだデイブ・グロールの新しい活動は受け入れづらく、ファースト・アルバムこそ聞いていたものの、ちょっと冷めた感情があった。そんなこともあって、まずはテント設営から始めた。

今でこそ「フジロック=キャンプ」というイメージが定着しているが、その当時はテントなど持って来ている人は少数派で、やや大げさに言えばテントは数えるほどしか張られていなかった。しかし、このテントが、その後のアタクシたちの命運を分けることになった。スキー場だったので、かなり傾斜もきつく、もっと平らなところないかなーくらいにしか思っていなかったのだが。


天神山の記憶(3)【フジロックGO #0005】


「天神山の記憶(2)【フジロックGO #0004】」はこちら

第1回のフジロック、会場に向けて歩き続けたアタクシたち。何の計画も、どんな展望もなく、ただただ歩みを止めなかった。もし現在だったら、スマートフォンをあれこれいじって、何らか善後策らしきものをを探したかもしれない。しかし、その当時は目の前に見えるものがすべてで、インターネットのような拡張空間は、存在していないも同様だった。

実際に、ほかの人たちが進んでいる方向を追いかけているだけで、下手をすると間違った場所や目的地を目指していたのかもしれなかった。それでも、いつかきっと会場にたどり着けるはずと思い、淡々と歩いた。恐らく3時間以上は歩きつづけたと思うものの、終始ずっと悲壮感はなかった。

かなり記憶はあいまいだが、15時頃まで歩き続けて会場入り口に到達した。ある意味待ち焦がれ場所だったが、人気もまばらでやや拍子抜けした印象が残っている。苦労して歩いてきたのに、誰も歓待してくれないんだなと思ったのだ。当然、ライブは始まっていた。もう中盤から後半にかかっていた。その日残すアクトは数件という状況だった。


天神山の記憶(2)【フジロックGO #0004】


「天神山の記憶(1)【フジロックGO #0003】」はこちら

友人とアタクシは、とぼとぼと会場に向かって歩き始めた。事前には徒歩を全く予定していなかったので、どれくらいの距離があるのか、どの程度の時間がかかるのかも見当もつかないままだ。当時、携帯電話は持っていたかもしれないが、Googleマップのような便利なサービスもなかったので、これから先のことはぼんやりしたままである。

途中で雨が降ってきた。今フジロックに参加するなら、カッパは最も大事な必需品であるが、その時は持っていなかった。コンビニに入って、大きめのビニール袋を買って、頭と腕の部分に穴を開けて、即席のカッパにして進んだ。ビールも購入して、友人と「何か楽しいなあ」などと笑い合っていた記憶がある。

もちろんシャトルバスに何度か抜かれたが、数えるほどだった。少し焦る気持ちにもなったが、河口湖駅で待っていても、乗れそうな感じはしなかったので、ノロノロとはいえ会場に少しずつ近づいている方がよかった。周りに、自分たちと同じように歩いている人が多かったのも、アタクシを安心させてくれた。


天神山の記憶(1)【フジロックGO #0003】


フジロックは、せっかく第1回の天神山から参加しているので、その初回の体験談について書きたいと思う。

もう20年以上前のことである。チケットを取った経緯は、正直あまり記憶にない。その当時、アタクシは仕事に就いたばかりの社会人一年目で、恐らくロッキングオンか何かを見て、申し込んだのではなかったか。友人を含め、2名で参加することにした。その友人は仙台に住んでいたはずで、関東で合流して河口湖駅に向かった。

駅に近づけば近づくほど、ロックを聞きそうな人が多くなっていったのを覚えている。だから、駅にたどり着けば、ロックフェスが始まると考えていた。しかし、実際はそれからが長かった。駅から会場までシャトルバスが出ているということだったが、その本数も参加者の観点からは圧倒的に少なく、駅でとにかくバス待ちをしなければならなかった。

バスが数台来ても、数えるほどの人数しか乗り込めない。いつまでも経っても、自分がバスに乗れるような状況ではなかった。そこで、友人とアタクシは、シャトルバスを待つのを諦め、徒歩で会場に向かうことにした。


正月とお盆が一緒に来るイベント【フジロックGO #0002】


気づいた頃には、アタクシにとってフジロックは、「正月とお盆が一緒に来たようなもの」と表現するイベントになっていた。7月最終週の金土日と毎年恒例の3日間ということや、会場が苗場になってからは、フジロックに行くというよりも、また戻ってきたという感覚が強くなってきたからだろうか。

毎年参加しようと思うと、一年間のタイムスケジュールはおのずとフジロックを意識するようになる。転職活動するときも、教育ビジネスのように夏期講習があって夏は必ず忙しい職業は、どうしても選択肢から外れてしまう(現実の仕事選びで困ったことはないのだけど…)。

転職の面接でも、フジロックについて話すことがある。「7月の最終週はフジロックに行きたいので、お休み取れますか」と、ダイレクトに質問したことも少なくない。一般論で考えると、面接時にそんな自分の都合や条件ばかり言うのはどうなんだろうと思わなくもないのだが、面接の通過率などと合わせて振り返ると、直接的に聞けた方が内定をもらうことも多いし、実際にヨイ転職先のような気がする。

意識して発言したわけではないのだが、自分にフィットしていて、雰囲気もヨイからこそ、自然と質問できてしまうのかもしれない。こうした実体験も含めて、転職時にはフジロックに参加したい旨をしっかり伝えるのが吉なのだと思っている。皆さんの幸運を祈る。