生まれ出てくる偶然【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0055】


【短編小説】現実/星新一
夢を通して、様々な状況、時空を超えた現実に直面する青年。その現実を受け入れることで、逆に現実を変えてゆく。こんなことは、きっと起こらないことではあるが、不思議な説得力があり、最後にはこんな人生があるかもと思わされていた。時系列じゃないところが、効果的だったのかもしれない。

【詩・俳句・短歌・歌詞】あいたくて/工藤直子
生まれ出てきた偶然と運命に従おうとする気持ちを語っているのではないか。自分が、生きているのは所与のことであり、どう生きるかは意志の問題だから、どうしても迷いが生じてくる。その戸惑いを詩にしたように思う。柔らかい言葉使いも心地良い。

【論考】自然の美しさについて/森本哲郎
自然の何に美を感じるかは、国や風土によって異なるだろうし、もっと言えば人によってもまちまちだと思う。なので、筆者の言わんとする事には替同する。ただ、最後の自然と都会の対立は、書かれた当時は気にならず読めたかもしれないが、今だとちょっとつまづく感じがしてしまう。


ドフトエフスキー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#028】


【1月28日】ドフトエフスキー:1821.10.30~1881.1.28

神がほんとうに存在するといことが不思議なのじゃなくって、そんな考えが、――神が必要なりという考えが、人間みたいな野蛮で意地悪な動物の頭に浮かんだということが驚嘆に値するのだ。そのくらいこの考えは神聖で、殊勝で、賢明で、人間の誉れとなるべきものなんだ。

『カラマーゾフの兄弟』(二)、米田正夫訳、岩波文庫、1957年

【アタクシ的メモ】
神と人間は対極の存在であり、その一方で人間の頭や心の中にあるものと想定されている。神を想像し、求めることが、人間が神に近づく唯一の方法なのだろうか。


好きな人の名は言えない【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0054】


【短編小説】侵入者との会話/星新一
事態が二転三転するサスペンス。とは言え、出てくる犯罪者に、ちょっとしたコミカルさというか、抜けてる感じもあり、それほど切迫感はない。やはり星新一さんの世界観。なので、フィクションとして、箱庭を眺めているような読後感であった。

【詩・俳句・短歌・歌詞】練習問題/阪田寛夫
国語の練習問題のような語り口から、ポロッと「ぼく」の本音が垣間見える微笑ましい詩であった。いわゆる時的、文学的表現じゃない方が、伝わりやすいだろうなと改めて感じた。そうした意味では、読者フレンドリーな作品ではないか。

【論考】住まいについて/森本哲郎
日本人の住まい観は独特で、堅牢さはそこそこに、世の無常を前提とした住居だという。確かにそうだとは思うものの、筆者の論理展開がややくり返しに終始にしていて、スッと入ってこなかった。また、日本人の住まいの先にあるものを、提示してくれたら、論考としてもっとよかったように思う。


ルイス・キャロル【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#027】


【1月27日】ルイス・キャロル:1832.1.27~1898.1.14

「わしが言葉を使うときには」とハンプティ・ダンプティは、鼻であしらうように言いました。「その言葉は、わしがきめただけのことを意味するんじゃ――それ以上でも、以下でもなくな。」
「問題は」と、アリスは言いました。「一つの言葉に、そんなにいろんな意味を持たすことができるのか、ってことです。」
「問題は」と、ハンプティ・ダンプティが言いました。「どっちが主人か、ということ――それがすべてじゃ。」

『鏡の国のアリス』脇明子訳、岩波少年文庫、2000年

【アタクシ的メモ】
言葉とは、やはり相対的である。「愛しい」と言っても、十人十色の愛しさがあるし、発言するAさんと聞き手のBさんとの関係性によっても、意味や伝わることは変わってくる。


その瞬間、ここに存在すること【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0053】


【短編小説】ひとつの目標/星新一
何かに追われるように人を探す。人を探し出すことで、自らが救われるようだ。謎めいた人探しにつき合っていると、命をかけた大がかりな鬼ごっこだったことが明かされる。何だそりゃーというのが最初の感想。成功すれば特権階級になれるようだが、それでも一年かけて人を探したり、逃げたりするだろうか。

【詩・俳句・短歌・歌詞】ぼくが ここに/まど・みちお
その瞬間、ここに存在しているのは唯一であると、以前気づいて、ちょっと驚いたことがあった。この詩はその驚きを、「だいじにみもられているのだ」「なににもましてすばらしいこと」としている。存在するだけですばらしいかどうかは置いておいても、存在者からすると守られていると思うべきだろう。

【論考】母なる自然について/森本哲郎
『遠野物語』に興味は持てたが、自然と都会の対立構造や「母なる自然」のような定型的な母性の美化は、ちょっと違和感を持った。論考全体としても、物語やストーリーの紹介が多く、論理展間よりも情緒的な説明に終始していた印象である。


明恵【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#026】


【1月26日】明恵:1173.1.8~1232.1.19

秋田城之介道覚知、遁世して梅尾に栖みける比、自ら庭の薺を摘みて味噌水と云う物を結構して上人にまゐらせたりしに、一口含み給ひて、暫し左右を顧みて、傍なる遣戸の縁に積りたるほこりを取り入れて食し給ひけり。大蓮房座席に候ひけるが、不審げにつくづくと守り奉りければ、「余りに気味の能く候程に」とぞ仰せられける。

『明恵上人集』久保田敦・山口明穂校注、岩波文庫、1981年

【アタクシ的メモ】
秋田城之介道覚知が、明恵上人に雑炊をつくったところ、「あまりにも美味しくて」といって、ほこりを入れて食べた。物質的、身体的な欲望を「執着」として、否定したようだ。


質屋へ走り、酒屋をたたきおこす【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0052】


【短編小説】ひとつの目標/星新一
善意をもって世界征服をめざすグループに誘われるエフ博士。グループに参加して、人類のためにと、多くの知性やパワーを結集し、史上初めて世界征服が実現する。が、しかし、目標が達してしまうと、優れたメンバーも退屈してしまうのだ。イベント前までの方が、ワクワクするのに似ているかもしれない。ある意味、贅沢な悩みだろう。

【詩・俳句・短歌・歌詞】系図/三木卓
初めて自分の子どもが生まれたときのことを思い出した。誕生を喜びながらも、何だかフワフワした感じ。その時、自分の親はどうだったんだろうとは考えなかったが、誰しもきっと似たような感情を持つのだろう。歴史はくり返すというのか、家族の継承というのか。

【論考】「捨てる」ということについて/森本哲郎
一遍は、すべて捨てよと説いたという。確かに余計なものはもちろん、あらゆるものを捨て去れたら、それは超越者であろう。ただ、人間は容易にすべてを捨てられるわけでもなく、捨てるにしてもひとつひとつではないのか。そういう意味では、一遍の説を実践するならば、長い時間がきっと必要だ。


モーム【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#025】


【1月25日】モーム:1874.1.25~1965.12.16

およそ良心というものは、社会が自らを維持する目的でつくった規則が守られているかどうかを監視するために、個人の内部に置いている番人である。個人が法律を破らぬよう監視するために、個人の心の中に配置された警官だとも言えよう。自我なる要塞に潜むスパイなのだ。世間の人に支持されたいという人間の願望はとても強く、世間の非難を恐れる気持ちはとても激しいので、結局、自分の敵を自分の城内に引き入れてしまったのである。

『月と六ペンス』行方昭夫訳、岩波文庫、2005年

【アタクシ的メモ】
「良心」は、人が他者から認められたい、あるいは非難されたくないとつくり出したということか。自然と生まれたり、獲得できるのではなく、他者の目があるからこそ、自分の敵である良心を生み出すという。性悪説。


おのぞみの結末【ブラッドベリ1000日チャレンジ#0051】


【短編小説】一年間/星新一
冒頭の二人の女性を勘違いする件が、事実関係自体、よく理解できなかった。意図した表現だとは思うが、どっちがどっちなのか…?という感じである。ロボットとの生活の結末は、分からなくもないが、人への接し方にそれほど汎用性があるわけでもないのではと思ってしまったのが、正直なところである。

【詩・俳句・短歌・歌詞】I was born/吉野弘
人間の生は、自身の意志ではなく、受け身であるということについては、そう、その通りと思う。カゲロウの話は、初めて聞いたので、驚きとともに、納得感がとても大きかった。これもやはり、詩というよりも散文のように見えるが、だからこそ説得力があったと思う。

【論考】芸術の秘密について/森本哲郎
写生とは対象をうつしとること。なぜうつしとろうとするのか。「うつしてることによって、対象と合一し、対象を超えたいと思うから」というのに、とても共感する。私は小説をそのまま書き写しているが、その行為は、まさに合一と超越のためである。上や横から眺めたり、解釈せず、ありのままを見つめることが、対象と対峙できる唯一の方法ではないのか。


ホフマン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#024】


【1月24日】ホフマン:1776.1.24~1822.6.25

そのとき、けだかい美しさと気品を備えたゼルペンティーが寺院の奥からすがたを現す。彼女は黄金の壺をたずさえている。その壺から美しい百合の花が一輪咲き出ている。かぎりないあこがれが言い知れぬほどの歓喜となって、彼女のやさしいひとみにもえている。こうして彼女はアンゼルムスをじっと見つめて、口をひらいた――「ああ、いとしいかた! 百合が花を開きましたわ――最上の願いが達せられました。わたしたちのしあわせに比べられるようなしあわせがこの世にあるでしょうか」

『黄金の壺』神品芳夫訳、岩波文庫、1974年

【アタクシ的メモ】
百合の花が咲くことが、最上の願いであり、それがしあわせだという。ささやかな事柄でも大いに喜べるのか、それとも、これまでの何らかの経緯で、強い願いになっていたのだろうか。