カント【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#043】


【2月12日】カント:1724.4.22~1804.2.12

それを考えることしばしばであり、かつ長きにおよぶにしたがい、つねに新たなるいやます感嘆と畏敬とをもって心を充たすものが二つある。わが上なる星しげき空とわが内なる道徳法則がそれである。二つながら、私はそれらを、暗黒あるいははるか境を絶したところに閉ざされたものとして、私の視覚の外にもとめたり、たんに推し測ったりするにはおよばない。それらのものは私の眼前に見え、私の存在の意識とじかにつながっている。

『実践理性批判 人倫の形而上学の基礎づけ』坂部恵・平田俊博・伊古田理訳(『カント全集』7、岩波書店、2000年)

【アタクシ的メモ】
まだきちんと解釈できているわけではないが、「わが上なる星しげき空とわが内なる道徳法則」は重要な一文だと思っている。翻訳でもヨイので、原典に当たらなければならないだろう。


デカルト【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#042】


【2月11日】デカルト:1596.3.31~1650.2.11

我々は幼年のとき、自分の理性を全面的に使用することもなく、むしろまず感覚的な事物について、さまざまな判断をしていたので、多くの先入見によって真の認識から妨げられている。これらの先入見から解放されるには、そのうちにほんの僅かでも不確かさの疑いがあるような、すべてのことについて、生涯に一度は疑う決意をする以外にないように思われる。(「人間認識の諸原理について」)

『哲学原理』桂寿一訳、岩波文庫、1964年

【アタクシ的メモ】
批判的精神というか、当たり前と思っていることも、まずは一度疑ってみることから始めようということか。デカルトの一文が、「我思うゆえに、我あり」でないことに驚き。


プーシキン【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#041】


【2月10日】プーシキン:1799.6.6~1837.2.10

おもいでが 音もなく
ながい巻物をくりひろげる。
わたしは嫌悪のこころをもって
おれの生涯を読みかえし
身をおののかせ のろいの声をあげ
なげきつつ にがいなみだを流す。
けれども悲しい記録のかずかずは
もはや消し去るよしもない。

『プーシキン詩集』金子幸彦訳、岩波文庫、1968年

【アタクシ的メモ】
どうやら「思い出」という詩の一部のようだ。それにしても、「けれども悲しい記録のかずかずは/もはや消し去るよしもない。」という一文は、とても哀しみを帯びている。


カンディンスキー【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#040】


【2月9日】カンディンスキー:1866.12.4~1944.12.13

バラ色、ライラック、黄色、白、青、浅緑の、真紅の家々や教会――それぞれが自分たちの歌を――風にざわめく緑の芝生、低いバスでつぶやく樹々、あるいは千々の声で歌う白雪、葉の落ちた樹々の枝のアレグレット、それに無骨で無口なクレムリンの赤い壁の環。……このときを色彩で描くことこそ、芸術家にとって至難の、だが至上の幸福である、とわたしは考えたものである。

『カディンスキーの回想』西田秀穂訳、美術出版社、1979年

【アタクシ的メモ】
ワシリー・カンディンスキーは、抽象絵画の創始者とのこと。様々な色を「自分たちの歌」にたとえるところが、とても画家らしく感じる。


シュンペーター【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#039】


【2月8日】シュンペーター:1883.2.8~1950.1.8

社会主義が正統派社会主義者達の夢見ている文明の出現を意味すると信ずべき理由は殆どない。ファシストの特徴が現れる可能性の方がむしろ大きい。それはマルクスの念仏を唱える人々にとっては予想外の解答であるに相違ない。けれども歴史は時々たちの悪い戯れに耽るものなのである。

『資本主義・社会主義・民主主義』下巻、中山伊知郎・東畑精一訳、東洋経済新報社、1951年

【アタクシ的メモ】
社会主義はそもそも、その理念を実現させるのではなく、全体主義や独裁者を生みやすいという。もしそれが本当なら、「歴史の悪い戯れ」というよりも、人間が持つ必然性なのではないか。


ディケンズ【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#038】


【2月7日】ディケンズ:1812.2.7~1870.6.9

茫然とした幼児期を、はるか遠く振り返ってみると、まず目の前にはっきり浮かんでくるのは、綺麗な髪をして若々しい容姿の母さんと、容姿などあったもんじゃないし、目の玉が真っ黒けだったから、目のあたり一面が黒ずむんじゃないかと思えるほどだったし、頬っぺたも腕もぱんぱんに固くて真っ黒だったから、小鳥だって、リンゴよりこっちの方をつっ突くんじゃないかな、と思ったペゴディーの姿だった。

『デイヴィッド・コパフィールド』(1)、石塚裕子訳、岩波文庫、2002年

【アタクシ的メモ】
この『デイヴィッド・コパフィールド』は、ディケンズの長編小説。ペコディーは、コパフィールドの乳母のようだ。作者の自伝的な要素も強いとのこと。


クリムト【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#037】


【2月6日】クリムト:1862.7.14~1918.2.6

真の芸術と真の芸術家はどんな口実で攻撃されてもかまわない。保護されるのはいつもまやかしの弱い芸術なのだ。真面目な芸術家たちに対し、多くの干渉がなされた。私は今ここにそれをあげつらう気はないが、いつの日かそれについて語るかもしれない。私は彼らの主張に対抗し、その槍をへし折ってやりたい。

フランソワーズ・デュクロ『クリムト』新関公子訳(『岩波 世界の巨匠』第II期、岩波書店、1994年より)

【アタクシ的メモ】
自分自身が創り出す芸術作品への強い自信や信念が感じられる。クリムトは「生と死」「エロス」というテーマで作品を創っていたようだが、当時の美術界は保守的で、彼のようなテーマを持った画家には苦境の時代だったそうだ。


ホフマンスタール【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#036】


【2月5日】ホフマンスタール:1874.2.1~1929.7.15

絵から絵へと眼を移しながら、ぼくはある何かを感じることができた。形象と形象とが交互に入りまじり、並びあい、色のうちに形象の奥にひそむ命がほとばしり、色と色とが互いにいかしあい、あるときにはひとつの色がふしぎに力強くほかの色すべてを支えているのが感じられた。そして、あらゆるもののうちに、ひとつの心、ひとつの魂、絵を描いた人間の魂、絵を描くことによって、はげしい懐疑から生じる硬直性痙攣に対してこのヴィジョンをもって答えようとした男の魂を、見てとることができた。(「帰国者の手紙」)

『チャンドス卿の手紙 他十篇』檜山哲彦訳、岩波文庫、1991年

【アタクシ的メモ】
引用は、1901年、アムステルダムでまだ無名のゴッホの絵を見ての印象を述べた件だそう。ホフマンスタールは、既にゴッホを見い出していたということなのだろうか。


プレヴェール【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#035】


【2月4日】プレヴェール:1900.2.4~1977.4.11

三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜の中で
はじめはきみの顔を隈なく見るため
つぎはきみの目を見るため
最後のはきみのくちびるを見るため
残りのくらやみは今のすべてを思い出すため
きみを抱きしめながら。
(「夜のパリ」)

『プレヴェール詩集』小笠原豊樹訳、岩波文庫、2017年

【アタクシ的メモ】
夜の暗闇と炎の小さな明かり。段々とミクロな視点に移行していき、最終的には視覚ではなく、心の中に回帰する。温かな感触とともに。


福沢諭吉【『一日一文 英知のことば』から学ぶ#034】


【2月3日】福沢諭吉:1834.12.12~1901.2.3

私が江戸に来たその翌年、すなわち安政六年、五国条約というものが発布になったので、横浜は正しく開けたばかりのところ、ソコデ私は横浜に見物に行った。その時の横浜というものは、外国人がチラホラ来ているだけで、掘立小屋みたような家が諸方にチョイチョイ出来て、外国人が其処に住まって店を出している。其処へ行ってみたところが、一寸とも言葉が通じない。此方の言うこともわからなければ、彼方の言うことも勿論わからない。店の看板も読めなければ、ビンの貼紙もわからぬ。何を見ても私の知っている文字というものはない。英語だか仏語だか一向にわからない。

『新訂 福翁自伝』富田正文校訂、岩波文庫、1978年

【アタクシ的メモ】
至極当たり前の話しではあるが、言葉が通じなければ、理解は進まない。一方で、未知の環境に積極的に飛び込み、自身の無知を自覚することが重要なのだろう。