「フジロック 中止しろ」と検索する人がいるみたい【フジロックGO #0134】


アタクシは、一応ウェブ解析士でもあるので、自分のサイトやら同様に運用しているnoteやら、それぞれアクセス状況を見ているのだが、最近はやはりコロナに関連した投稿が閲覧されることが多い。全国に発出された緊急事態宣言が、「延長か」「解除か」と盛んに言われている状況なので、それはある意味当たり前だと思う。

そこで、世の中の関心度をはかる意味でも、Googleで検索した際にフジロックと一緒に入力された言葉を確認してみた。いわゆる「Googleサジェスト」をチェックしたのである。結果は上の通りで、従来は出演アーティストを知ろうとするキーワードが多かったと記憶しているのだが、気づけば「コロナ」や「中止」がサジェストでも上がってきている。

ここからも分かるが、多くの人が「フジロックはコロナショックで中止されるのではないか」と気になっているようだ。検索画面に「フジロック 中止」と入力すると最初のサジェストワードは、「フジロック 中止しろ」になるくらいである。「中止しろ」って検索キーワードではなく、単なる意思表示に思ったりするのだが、「フジロック 中止しない」が下の方に出るのだから、もしかすると中止を願う人が多いのかもしれない。フジロッカーなら、中止しろと検索はしないと思うのだが。


天神山の同窓生に再会【フジロックGO #0133】


「あなたと本との出会いを手助けしたいと思っています」をコンセプトにした「好書好日」という朝日新聞社が運営するサイトがある。たまたま、その中の記事で「早見和真さんが“命がけ”で盛り上がった第1回フジロックのレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン 想定外の嵐が生んだ一体感」というコラムを見つけた。

詳細はリンク先を読んでもらったらヨイのだが、すごく簡単に内容を要約すると、作家の早見和真さんが、天神山で行われた第1回フジロックに参加していて、Rage Against the Machine(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)のライブの一体感がすごかった。みんなが命がけで、開き直っていた、というとても短い回顧録だ。

正直、早見和真さんを存じ上げなかったのだが、あのレイジを一緒に観ていた(近かったとか、遠かったとかは全くわからないけど)というだけで、妙に親近感が沸いてくる。しかも、20年以上経って、その話しをわざわざ寄稿するというのだから、何だか昔からの友人に会ったみたいな気持ちになってくるから不思議だ。たった一日、一つのライブだけど、同じ体験をしたというだけで、同窓生になれるのもフジロックならではの魅力かもしれない。


日経新聞に「信越の集客イベント、中止の決定・検討相次ぐ」という記事も【フジロックGO #0132】


先日、日経新聞に「5月の大型フェス、中止相次ぐ コロナでブームに逆風」との記事が【フジロックGO #0129】というエントリーを書いたこともあり、少し気になって日経新聞上で、「フジロック」と検索してみた。

すると、同じに日に「信越の集客イベント、中止の決定・検討相次ぐ」との記事が上がっていた。記事によると、信越地方で2020年の夏から秋にかけて開催する大型イベントで、開催の是非を検討したり、中止を決定する場合が相次いでいるという。開催は8月上旬でも、「先行きが不透明な中で開催準備や協賛金集めに動き出すのは難しい」との理由で、中止を決定している例もある。

もちろん、フジロックについても言及があった。やはり中止を懸念する声も、まだまだあるようだ。この辺りは、どうしても主催者側から具体的なコメントや基準などを示してほしいところである。

苗場スキー場(新潟県湯沢町)での国内最大級の野外音楽イベント「フジロックフェスティバル」。8月21日から3日間開催する予定だが、海外のミュージシャンを多く招くイベントだけに、中止を懸念する声も出ている。

2019年は前夜祭も含め4日間で13万人が来場し、「地元への経済効果は数億円以上」(湯沢町)で、中止になれば打撃は大きい。シャトルバス50~60台を毎年配車している越後交通(長岡市)は「感染拡大が終息していれば開催してほしい」としている。

それにしても、越後交通はバス50~60台配車しているのは初めて知った。確かにこの数が一気に消えると、売上(経営)に差し支えるよねと思う。


再録・天神山の記憶【フジロックGO #0131】


天神山の記憶(1)

フジロックは、せっかく第1回の天神山から参加しているので、その初回の体験談について書きたいと思う。

もう20年以上前のことである。チケットを取った経緯は、正直あまり記憶にない。その当時、アタクシは仕事に就いたばかりの社会人一年目で、恐らくロッキングオンか何かを見て、申し込んだのではなかったか。友人を含め、2名で参加することにした。その友人は仙台に住んでいたはずで、関東で合流して河口湖駅に向かった。

駅に近づけば近づくほど、ロックを聞きそうな人が多くなっていったのを覚えている。だから、駅にたどり着けば、ロックフェスが始まると考えていた。しかし、実際はそれからが長かった。駅から会場までシャトルバスが出ているということだったが、その本数も参加者の観点からは圧倒的に少なく、駅でとにかくバス待ちをしなければならなかった。

バスが数台来ても、数えるほどの人数しか乗り込めない。いつまでも経っても、自分がバスに乗れるような状況ではなかった。そこで、友人とアタクシは、シャトルバスを待つのを諦め、徒歩で会場に向かうことにした。

天神山の記憶(2)

友人とアタクシは、とぼとぼと会場に向かって歩き始めた。事前には徒歩を全く予定していなかったので、どれくらいの距離があるのか、どの程度の時間がかかるのかも見当もつかないままだ。当時、携帯電話は持っていたかもしれないが、Googleマップのような便利なサービスもなかったので、これから先のことはぼんやりしたままである。

途中で雨が降ってきた。今フジロックに参加するなら、カッパは最も大事な必需品であるが、その時は持っていなかった。コンビニに入って、大きめのビニール袋を買って、頭と腕の部分に穴を開けて、即席のカッパにして進んだ。ビールも購入して、友人と「何か楽しいなあ」などと笑い合っていた記憶がある。

もちろんシャトルバスに何度か抜かれたが、数えるほどだった。少し焦る気持ちにもなったが、河口湖駅で待っていても、乗れそうな感じはしなかったので、ノロノロとはいえ会場に少しずつ近づいている方がよかった。周りに、自分たちと同じように歩いている人が多かったのも、アタクシを安心させてくれた。

天神山の記憶(3)

第1回のフジロック、会場に向けて歩き続けたアタクシたち。何の計画も、どんな展望もなく、ただただ歩みを止めなかった。もし現在だったら、スマートフォンをあれこれいじって、何らか善後策らしきものをを探したかもしれない。しかし、その当時は目の前に見えるものがすべてで、インターネットのような拡張空間は、存在していないも同様だった。

実際に、ほかの人たちが進んでいる方向を追いかけているだけで、下手をすると間違った場所や目的地を目指していたのかもしれなかった。それでも、いつかきっと会場にたどり着けるはずと思い、淡々と歩いた。恐らく3時間以上は歩きつづけたと思うものの、終始ずっと悲壮感はなかった。

かなり記憶はあいまいだが、15時頃まで歩き続けて会場入り口に到達した。ある意味待ち焦がれ場所だったが、人気もまばらでやや拍子抜けした印象が残っている。苦労して歩いてきたのに、誰も歓待してくれないんだなと思ったのだ。当然、ライブは始まっていた。もう中盤から後半にかかっていた。その日残すアクトは数件という状況だった。

天神山の記憶(4)

やっとたどり着いたフジロックの会場。その時、聞こえてきたのはフー・ファイターズだったと思う(今回、改めて確認するまで、フジロック初体験バンドはサマーキャンプだと思っていたので、アタクシ的にはずっと忘れられない、甘酸っぱい思い出のあるバンドになっていたヨ)。

ニルヴァーナが何より好きなアタクシにとっては、まだデイブ・グロールの新しい活動は受け入れづらく、ファースト・アルバムこそ聞いていたものの、ちょっと冷めた感情があった。そんなこともあって、まずはテント設営から始めた。

今でこそ「フジロック=キャンプ」というイメージが定着しているが、その当時はテントなど持って来ている人は少数派で、やや大げさに言えばテントは数えるほどしか張られていなかった。しかし、このテントが、その後のアタクシたちの命運を分けることになった。スキー場だったので、かなり傾斜もきつく、もっと平らなところないかなーくらいにしか思っていなかったのだが。

天神山の記憶(5)

フー・ファイターズの次のアクトは、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンだった。雨もしたたか降っていたと思う。それでも、アタクシたちはテントを張ったスキー場の斜面を滑るように下って、ステージ前に走り込んだ。思っていた以上に地面はドロドロで、実際は走れていなかったかもしれない。そんな最前列ではないが、割と正面に陣取ったと記憶している。CDで何度も何度も聞いて、それだけで熱くなる音が、目の前で鳴っていた。

周りのキッズたちもひどく興奮していた。誰も彼もが飛び跳ねている。ザックの声に、トムのギターに突き動かされていた。気づけばあっという間に沸点に達している。カッパを着ている人は皆無。アタクシ含め、ほとんどの一年生フジロッカーはTシャツ姿でビショビショになっていた。そのTシャツから、身体から、もうもうと煙が立ち上っていた。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに煽られた熱気が、水蒸気となってステージ前を雲のように覆っていたのだ。こんな光景は、後にも先にもこれっきりである。

天神山の記憶(6)

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの演奏が終わると、アタクシは我にかえった。ビニール袋で作ったお手製のカッパを、勢いで投げ捨てており、ずぶ濡れになっていたからだ。後先考えずに行動したことを反省しても、後悔先に立たず。仕方なくステージ前から移動しつつ、「フジロックすげーな」みたいな感慨を噛み締めていた。

やや呆然としながらはけていると、誰かに後ろから押され、その勢いで前にいた金髪の女性にぶつかってしまった。「あんた、痛いじゃないの」と英語で言われて、恐縮しながらも「何だよ、俺のせいじゃないのに」と言い返したかったが、英語がしゃべれないこともあって、実際には黙っていた。ロックフェスって、こんな風に殺伐とするものなのかと、小さな疑念も生まれた。

友人とアタクシは、テントに戻ることにした。このまま外にい続けるわけにもいかず、狭いながらも、雨風から逃れられる場所を選択したのだ。その後の報道で知るのだが、多くの参加者は着の身着のままで来場しており、とにかく行き場に困っていたそうだ。

天神山の記憶(7)

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの次のアーティストは、ザ・イエロー・モンキーだった。アタクシ的にザ・イエロー・モンキーというと「JAM」が印象に残っていた。ただ、アルバムを購入したこともなく、歌番組で披露された曲くらいしか聞いたことがない、少し距離感のあるバンドだ。

雨が降っていたこともあり、とにかくテントに避難した。履いていたジーンズは当然濡れていたし、泥もついていたので、「雨で洗濯しよう」とか言って、テントの外に出しっぱなしにしておいた。ずぶ濡れで身体も冷えてきて、テントの中で持ってきた寝袋に潜り込んで暖をとった。

ある意味、これは合理的、現実的な判断ではあるが、すぐそこでライブやっているのに、テントにこもって音だけ聞いているのは自分でも滑稽に思えた。会場まで歩いてきたので、到着するのが遅く、もう数バンドしか残っていなかったから、何だかもったいないことをしているなあとも感じていた。

それでも、寝袋でブルブルと震えて片耳でイエモンを聞いていると、段々と温まってきて、気づけばウツラウツラしていた。

天神山の記憶(8)

初日のトリは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズだった。ザ・イエロー・モンキーで体力温存しておいて、それが終わったら、アタクシたちも戦線復帰で、テントを出てレッチリを見に行くつもりでいた。だが、実際にライブが始まっても体がいうことを聞かず、そのままテントにこもってしまっていた。

何度か外に出て、斜面の上からステージを眺めたりしたが、雨も強く降っているのに、カッパなしでステージ前に行く勇気もなく、仮にも雨風がしのげるテントの中に戻るしかなかった。せっかく会場まで来て、すぐそこでレッチリが演奏しているのに、テントにこもってライブの音だけ聞くのは、残念だったし、何だか筋違いな気持ちもあったが、だからと言って外に出るのは直感的にもう無理だろうと感じていた。

ややモンモンとした気分のままテントの中で過ごすうち、ライブは終わってしまった。壮絶なステージだったことは、その後ロッキンオンなどの記事で知ることになるが、テントの中で音だけ聞いていたアタクシにとっては、あまりちゃんとした記憶に残っていないのが、正直なところである。

天神山の記憶(9)

レッド・ホット・チリ・ペッパーズの演奏が終わると、静かになった。もちろん、多くの聴衆が移動したりしていたのだと思うが、アタクシたちのテントは斜面のかなり上の方で、ステージからは距離があったからだ。ライブがなければ、もう何もすることはない。雨の中、出歩くわけにもいかず、アタクシたちは寝袋にくるまって寝るしかなかった。

しばらくして、ウトウトし始めたころだっただろうか、自分たちのテントを照らす明かりが近づいてきた。「誰だろう、こんな雨降りの中やってくるのは?」と思いつつ、明らかに自分たちのテントに用がある感じだったので、ジッパーを開けると、フジロックのスタッフのようで、「ここはテント張るところじゃないので、移動してください」と言われた。あまりに予想外な言葉に、「あ、はい」とだけ答えて、テントの中に戻った。そして、すぐにその光は遠ざかっていった。

「この雨の中、わざわざテントを移動させる?」「移動って、どこに?」――。疑問符ばかりが頭に浮かんだが、友人と少し話し合って、スタッフの発言はやり過ごすことにした。もし言われた通り、ここから移動したら、さらに持ち物がずぶ濡れになってしまうし、実際移動する体力も残っていなかった。

結局、スタッフの人たちも形式的な巡回だったのか、移動してくださいと言われたのは一度だけ。その後は誰も来ないまま夜は過ぎていった。後々、会場のある天神山は台風が直撃したと聞いたが、夜を通してそれほど強い風が吹いていたという記憶はない。たまたま場所に恵まれただけなのかもしれないが。

天神山の記憶(10)

テントで一晩明かし目が覚めると、早速、寝床から抜け出した。するとそこには、昨日の夜からは考えられないような、穏やかな好天が広がっていた。台風一過といえばそれまでだが、かなりの落差に愕然とした。昨晩、苦労して登ったスキー場の斜面も、今は水に洗い流されて、青い芝が輝いている。空気も澄んでいて、本当に心地よい雰囲気だった。

天候に反して一つ懸念を挙げると、洗濯代わりになるからと出しっぱなしにしていたジーパンだろうか。雨の中、出したままになっていたのだから、手に取ってみても、もちろんビチョビチョで、これ以上水を吸わない状態だった。しかし、ズボンはこれしかなかったので、履くのを諦めたらパンツ一丁になるしかない。そんなこともあり、できるだけ手で絞って、ギャーと叫びながらジーンズを履いた。

こんなジーパンを履いた経験のある人ならわかるだろうが、とっても気持ちが悪い。至極、気持ちが悪い。どんなに天候が晴れて爽やかだったとしても、アタクシの下半身はずっとプールにでも入っているような感じがした。このジメジメ地獄の終わりは、遠い未来のように思えた。

天神山の記憶(11)

2日目の朝を迎えて、どんな形だったかは忘れたが、公演中止であることを知った。当時はスマートフォンもなかったので、場内放送が流れていたのかもしれない。ただ、2日目中止の知らせを聞いて、正直ホッとした。天候も回復していたし、もちろんライブは見たかったのだが、何というか初日の体験が凄すぎて、心のキャパシティーがオーバーしていたのだろうか。

おずおずとテントをたたみ、荷物をまとめ、帰り支度をしてから、メインステージ前に行ってみた。地面は泥だらけ、ぐちゃぐちゃの状態。何だか色々なものが落ちていた。人もまばらで、行くところ、どこもかしこも散らかっていて、打ち捨てられた廃墟に迷い込んだような気持になった。ゲートや駐車場の辺りも、昨日見たとは別のもの、場所のように感じた。

そこから、前日は待てど暮らせど乗れなかったシャトルバスに乗って、河口湖駅まで向い、電車に乗り換えて帰宅の途についた。当然ジーンズは濡れている状態だったので、仮に席が空いていても座らず、ずっと最後まで立ちっぱなしを通すしかなかった。

天神山の記憶(12)

1997年、初めてのフジロックに、アタクシは身をもって参加したわけだが、帰ってきたばかりの時は、天神山で何が起きていたのかよくわかっていなかった。ライブはほとんど楽しめなかったが、運よくテントに潜り込み、雨風からは逃れたので、一晩過ごすにはそれほど困らなかった。びしょ濡れのジーンズを履くはめになったものの、それはもう天気が回復してからで、気持ち悪さを我慢すれば、何とかやり過ごせたのだ。

フジロックから戻ってきて、しばらくしても、まだ何があったのか知らずにいた。インターネットはあったが、それほど天神山の情報に触れる機会がなかったと記憶している。しかし、その後、音楽雑誌などを読んで、やっとあの時、自分が見えないところで何が起きていたのか一端を知ることになった。

一日目の夜、着の身着のままできた方など、台風の中、寝る場所がない人があふれていたこと。会場周辺や途中にある民家の方々に、迷惑をかける人が少なからずいたこと。そうした事態に、主催者であるスマッシュも窮地に立たされていること、などだ。

そうした記事を読んで、こんなことが起きていたのかと心を痛めると同時に、ああこれだと、多分来年はもう行われないなと思った。手痛い失敗をしたフェスとして、たった一度のイベントになるのだろうと、一人の参加者として覚悟したのだ。


電気グルーヴの「虹」が、ふと聴きたくなったら【フジロックGO #0130】


この動画を見たからではないけれど、ふと電気グルーヴの「虹」を聴きたくなった。生憎アタクシは、電気グルーヴの音源をほとんど持ち合わせていない。

契約しているストリーミングサービスのApple Musicで、「電気グルーヴ」と検索すると、相変わらず「検索結果はありません」と表示される。何てこったい。「こんな夜にお前に乗れないなんて/こんな夜に発車できないなんて」。

仕方ないからYouTubeで検索するしかない。上の動画を再生できて束の間ホッとする。2006年フジロックのようだ。最初の2分間くらいは待ち時間みたいで、少し焦らされた感じもあるが、必要な通り道なのだと思う。

この年の電気グルーヴ、思い起こすと全部ではないけれど、苗場で見たような気がする。正直、もう14年前だし、あんまり自信はないけれど。それにしても瀧さん、レーザー光線いじっているだけで、音楽的には何もしていないようだ。

動画を見終わると、自然と最近ヘビーローテーションそている羊文学をiPhoneで聴いた。電気グルーヴや「虹」と似ているわけではないけど、ノイジーでザラザラした感じが、アタクシを改めて慰めてくれるのかもしれない。


日経新聞に「5月の大型フェス、中止相次ぐ コロナでブームに逆風」との記事が【フジロックGO #0129】


2020年4月22日付けで2週間以上前のものだけど、「5月の大型フェス、中止相次ぐ コロナでブームに逆風」という記事を見つけた。

5月に開催予定だった大型音楽フェスティバルの中止・延期が相次いでいる。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、JAPAN JAM2020(5月4~6日、千葉市蘇我スポーツ公園)は中止を発表した。VIVA LA ROCK 2020(5月2~5日、さいたまスーパーアリーナ)はゴールデンウイーク(GW)開催を断念し、7月下旬から8月初旬の間の開催を目指す。近年右肩上がりで急成長してきたフェス市場が大きな危機を迎えている。

という中止や延期するフェスの情報から始まり、次のような一文で締めくくられていた。

影響が長引けば、フジロックフェスティバルなど夏の大型フェスにも逆風が吹く。

もちろん、日経新聞らしく、日本の経済活動に関する考察も忘れない。

音楽フェス市場は右肩上がりで成長していた。ぴあ総研によると、18年の市場規模は前年比3.9%増の294億円だった。

明確な論調とまでは言えないが、夏以降の音楽フェス開催の難しさと、仮に開催できたとしても、今後どのように運営していくのか、アフターコロナに直面している産業だという警鐘にも読めなくもない。

まあ、いずれにせよ、今年の開催有無だけでなく、来年以降のフジロックなど、音楽フェスのあり方が問われているのかもしれない。


落日飛車といい、大象體操といい【フジロックGO #0128】


FUJI ROCK FESTIVAL ‘20のプレイリスト登場【フジロックGO #0105】に書いたが、フジロック2020の1日目から3日目までのプレイリストがあって、気が向くと繰り返し聴いている。初めて聴いたとき、アタクシ的にDAY1とDAY2はあんまり盛り上がらなかったこともあって、意図的にどちらかを聴くことが多い。

そして、DAY1を聴いていたら、「おっ、これは」と気になるアーティストが出てきた。

それは、大象體操(Elephant Gym)である。大象體操は台湾・高雄出身の3人組バンド。基本はインストゥルメンタルで、ギターとベース、ドラムが縦横無尽に駆け抜ける感じだ。何曲か聴いていると、JTのCMが自然と頭に浮かんでくるから、大象體操を知らない人はtoe(トー)をイメージしてもらうと、分かりやすいかもしれない。

ただ、このバンドの一番の特徴は張凱婷(Tif Chang)という女性ベーシストだろうか。プレイリストに収録されている「FINGER」はベース音で始まるのだが、軽やかに、しなやかに鳴らされるベースがひどく心地ヨイからだ。下の動画では、彼女のテクニカルな演奏姿も見られるので、よければ聴いてみてほしい。


ロックフェスティバルを形づくるもの【フジロックGO #0127】


先日、ジョギングして、イトーヨーカドーで買い物してからの帰り道、LINEに「おうちフェス2020」のお知らせが届いた。せっかくなのでアクセスしてみると、スマートフォンの上部画面にはアーティストのビデオが流れ、その下の4/5くらいがコメント欄になっている。結構コメントする人が多く、スッスッと流れていく感じだ。

すぐに自宅に着いてしまって、そこでアタクシのおうちフェスは終了。少し気になった曲もあったが、スマートフォンの一部の動画を見続けるのは正直苦痛だったし、たまたま読んだコメントも何だか意味すらよくわからなかったからだ。外出自粛が叫ばれる中、おうちフェスという企画自体には賛同するものの、何だか音楽自体を楽しめなかったというのが率直な感想である。

改めてフジロックなどのロックフェスティバルについて考えてみると、体験自体が最大の魅力なのだと思う。単独公演と違って、たくさんのアーティストの曲が聴けることがフェスの醍醐味なのであれば、色々と音源を用意して配信すればフェスティバルになるだろう。様々なコンテンツをブロードキャストするだけでは、受け手に体験は生まれないのではないか。


「2020年フジロックのヘッドライナー予想」を勝手に検証する【フジロックGO #0126】


そういえば、「2020年フジロックのヘッドライナー予想」を勝手に伝聞する【フジロックGO #0024】というエントリーを以前書いていたので、改めてこの予測がどれくらい当たったのだろうと、今さらながら確認してみた。

実際に予想の書かれたページを見に行って、そうそう、予想の一番目はPearl Jam(パール・ジャム)だったなと思い出したりしつつ、結構外れてるなとスクロールしていたら、The Strokes(ストロークス)とTame Impala(テーム・インパラ)と、初日と2日目はバッチリ当たっていた。3日目の忌野清志郎 Rock’n’Roll FOREVERと電気グルーヴは、かなり主催者側の意向が含まれ、企画的な要素も大きいので、ほぼ予測不可能な点を考えると、すべて当てたと言えなくもない。お見事だと思う。

ちなみに、関連記事に【FUJI ROCK FESTIVAL ’19】音楽ライター、大学教授、フェスで見かけるあの人たちが、2019年フジロックのヘッドライナーを勝手に予想!という記事があったので、こちらも確認してみたところ、The Chemical Brothers(ケミカル・ブラザーズ)とThe Cure(ザ・キュアー)を当てていた。あれ、業界の人からすると、そんなに予想は難しくないものなのだろうか。


羊文学を聴いて、スーパーカーのOTOGI NATIONとか思い出している【フジロックGO #0125】


『羊をめぐる冒険』ではなく、羊文学にハマる【フジロックGO #0121】と投稿して以来、最近は羊文学ばかり聴いている。コロナの影響で自宅にいる時間が長いこともあるだろうが、アレコレとネットで調べては、繰り返し音源を聴いている。こんなウキウキした感じは、本当に久々である。フジロック、ありがとう。

アタクシ的には、アーティストのフォローは基本CD購入が前提ということもあり、あんまり検索とかしないのだが、羊文学に関しては検索結果から下のYouTubeにたどり着いた。完全ににわかファンでもあるものの、この辺りは見てもらったらヨイと思う。音だけ聴いても十分に格好ヨイと思うのだが、力みのない演奏シーンをみると何ともグッときてしまうのだ。

元々、アタクシが彼女たちに注目したきっかけは、VoとGtの塩塚モエカの声だった。でも今になってみると、気になるとというか、心にひっかかるのは、声というよりも、たゆたうギターに絡みつくように鳴らされるバンドサウンドではないか。ドライブ感というと大げさだが、着実にズンズンと進む感じといえばよいだろうか。その揺れ動く感じが、とっても心地よく、気がつけばプレイボタンを何度も押してしまう。

ちなみに、羊文学を聴いていると、スーパーカーのOTOGI NATIONとか自然と思い起こしている。他の人はどうなのだろうか。