つまり【詰まり】

「つまりさぁ~、こういうことだよ…」などと、話が長くなったり、複雑になると、話をまとめたり、要約する発言が出てくることは多いのではないでしょうか。それは、話し合っている人たちの理解を助け、共有するために行われています。

仮に「A。つまり、B」という文章であれば、「つまり」ということばの後は、Aを別のことばで言い換えたものです。AとBとの関係で言えば、方向性や内容は同一になります。いわば「=」や「≒」の働きをしていると言えます。AとBを並べることで、よりわかりやすくなったり、シンプルな表現になり、深く理解できるのです。

ことば本来の意味や働きとしては、上の通りだと思うのですが、実際に使われる場面においては、そうとばかりは言えないかもしれません。学校の授業、仕事での説明、会議や議論の中で、「つまり」は必ずしも“つまって”ばかりはいないように感じます。

「つまりは…」と言われても、ちっとも話がつながっていなかったり、ひどい時には前後で話が逆になっていたりします。そんな時には、話全体の流れや文脈から類推して、その人の言いたいこと、主張を類推するしかありません。

本来は、詳しい説明やまとめるための「つまり」が、かえって話の筋を曲げてしまい、わかりづらい、難解なものにしてしまうのです。皆さんも、そういった経験をしたことが少なからずあるのではないでしょうか。

また、人によっては「逆に、…だ。」という表現をよく使う方もいます。これも本来は話の転換ですが、話の向きを変えるといよりも、相手の話をさえぎり、優位に立つためだけに使われている場合も少なくありません。

そのため、話の筋道があいまいで、「逆に、… だ。逆に、… だ。」と「逆に」を連発して、意見の方向性がくるくる回っているようで、本当に何を言わんとしているのか、理解に苦しむこともあります。

接続の表現は、概して短いものですが、話や文章全体のまとまりや方向付けを左右するような重要な力を持っています。そのことばによって、言いたいことが伝わったり、伝わらなかったりするものなのです。

日本語は論理的なことばではない、とよく言われますが、私はそんなことはないと考えています。自分の主張する論理展開に合った接続表現を使用してやれば、きちんと論理的な思考を表現できると思うからです。

つまり、論理的な話や文章には、正しい接続表現が欠かせません。