にじゅう【二重】


『二重スパイ』という映画を見ました。以前、テレビで放映していた『八月のクリスマス』を偶然見て、韓国映画と俳優のハン・ソッキュさんを好きになりました。そんなことがあり、封切られた『二重スパイ』を映画館に見に行くことにしたのです。

北朝鮮の諜報員であったハン・ソッキュ扮するイム・ビョンホは、韓国に亡命します。当初は、偽装亡命を疑われ激しい拷問などにあいますが、その後少しずつ信頼を獲得し、韓国国家安全企画部で働き始めるようになるのです。そして彼は、韓国の国家機密をすべてではありませんが、知ることができるまでになります。

この立場を利用し、彼は二重スパイとして北朝鮮のため、密かに諜報活動を行なうのです。しかし、ある事件をきっかけに、もう北朝鮮にも戻ることもできず、韓国にもいられなくなってしまいます…。

ひと言で言ってしまえば、とても哀しい映画だと思いました。時代や国に翻弄された人間が、そこには描かれていたからです。彼らは祖国を愛していたのでしょうが、その愛は彼らを幸福にしてくれません。映画館を出ると、外は真夏のように晴れ渡っていましたが、私はやり切れない気持ちを持ったままでした。

ただ、私がそれ以上に感じたのは、二重スパイの生活が周りの人をいつも欺いていることへの哀しみでした。彼らは本心を語りません。当たり前ですが、彼らは本当の目的を決して明かさないのです。彼らは、「祖国北朝鮮のため」という強い思いを開陳したり、他人と交わらせることは全くなく、包み隠して日々を暮らしているのです。

そうやって考えてみると、もしかすると私の隣にいる友人や同僚たちは、実際に感じていることを言っていないのかもしれません。本当の気持ちは話していないのかもしれないのです。いささかネガティブ過ぎる観点かもしれませんが、やはりその可能性はありえます。

この可能性をさらに極大化させてしまうと、親や兄弟といった家族だったとしても、本心や本音をきちんと理解することはできないのかもしれません。他者に対し、厳しく閉ざされた心を、外から完全に知ることはできないのでしょう。

映画の中にいた二重スパイたちのように、命を懸けた嘘や欺きもあるのでしょうが、人は平和な日常の生活であっても、小さな偽りを行なってしまうものです。それはやはり、哀しい人間の現実だと思うのです。

言わないこと、表現しないことは、他者に認識し、理解されることはありません。隠された意志は、隠れたままです。でも、だからこそ私は本当に考えていることを、できるだけきちんと伝えてゆきたいと思うのです。哀しい世界は、映画の話だけにしたいと思いませんか。