なづける【名付ける】


もし塩が「しお」でなく、「携帯電話」という名前であったとしたら、何だかやっかいになりそうな気がします。「あ、そこの塩とって」とお願いしても、塩を取ってくれる人はいないわけです。「携帯電話を取って」と言って初めて、塩を手にすることができ、目玉焼きに塩をかけることが出来るのです。

当たり前ですが、塩は私が生まれたときからずっと「しお」と呼ばれていたわけで、あのしょっぱい白い粉は、昔に「しお」と名付けられ、その名前のままで存在していました。「塩はどうして『しお』という名前なのだろう?」「なぜ他の名前ではないのだろう?」と考えることもないほど、身近で当然の名前です。

しかし、よくよく考えてみたら「しお」と名付けられず、別の名前だったとしても問題はないはずです。先述の「携帯電話」でも、「本」でも、あるいは「砂糖」でも、呼び名としては特に不都合はないように思います。

私は寡聞にして実際のところを知らないのですが、塩をどこかの会議で「しお」と名付けたわけではなさそうですし、誰かえらい人が決めたわけでもなさそうです。それなのに、塩は誰にとっても「しお」でしかないのです。あらためて考えると、これはとてもすごいことのように思えます。ことばや名前が大いなる普遍性を実現しているからです。

「しお」ということばが、すべての塩を指し示し、またほとんどすべての人にその意味が伝わります。もちろん、人によって文化によって、その理解する意味や思い浮かべるイメージに若干の相違があるとは思いますが、「塩をとって」と言えば、誰もが「しお」ということばを理解し、とってくれるのです。

また逆の面から言うと、「しお」という名前があるからこそ、人は「塩」というものを理解できるとも言えるでしょう。例えば、昔から魚をよく食べていた日本人が使う日本語には、「トロ」「中落ち」「赤身」などマグロの部位ごとに名前がありますが、英語にはその違いはなく、どこを食べても「ツナ」で、細かい違いは区別されていません。反対に、牛肉のそれぞれ部位の名前は、英語にしかありません。日本はそのことばを、概念ごと輸入しただけです。

ここでは、ものの存在が先か名前が先かという議論はいたしませんが、少なくともことばや名前があって初めて、ものや概念が指し示され、把握されるのは、どうやら紛れもない事実のようです。すなわち、名前があってこそ、我々はそれをひとつの存在として認識することができ、呼びかけたり、伝えたりできるのです。

塩が「しお」という名前である絶対的理由はなさそうです。名前は単に名前に過ぎないと言えるかもしれませんが、ものや事柄は名付けられることにより、その存在を我々の眼前に浮上させてくれているのです。名前がなければ、我々の生活もままならないかもしれません。いつまでも安心して目玉焼きが食べられるように、私としては名前の力が衰えぬことを祈るばかりです。


とりかえし【取り返し】


大学では文学部だった私ですが、いわゆる文学と言われるものを読んだ経験は、人と比べてきっと少ない方だと思います。読書よりも、CDやラジオで音楽を聴く方が楽しかったので、もっぱらロックと言われる音楽ばかり聴いて暮らしてきました。

そんなわけで、例えば「詩」でも、文芸作品を読んだこともあまり多くはありませんし、強く感動したり影響を受けたりと言ったことも、残念ですがほとんどありませんでした。むしろ、ロックで歌われる歌詞の内容の方に、激しく揺れ動かされたりしていたのです。

スコットランドのグラスゴーで結成されたTRAVISと言うバンドのセカンドアルバム『The Man Who』も、私にはそういった体験を起こさせた一枚です。このアルバムの中に、“Why Does it Always Rain On Me?”という曲があり、その歌詞の一節が私に強烈な印象を与えました。

Why does it always rain on me?
(どうして僕にいつも雨が降りつけてくるんだ?)
Is it because I lied when I was seventeen?
(17のときに嘘をついたからさ)

これらの歌詞が、ミドルテンポで穏やかに伸びやかに歌われています。

17歳のときに嘘をついたからと言って、それが原因で雨が降りつづけるわけはありませんから、文字通り「雨降り」なのではなく比喩(暗喩)でしょうが、ここには、過去のもう取り返しのつかない行動に、人生を縛られてしまった人間の姿があります。

若かった頃にとった、恐らく軽はずみな態度か何かが、その後の彼の営みにずっと影を落としてしまっているのです。拭い切れそうにない哀しさが見え隠れします。

自分なりに「17歳」と言うときを思い起こしてみました。何もわかっていないのに、すべてを知っているかのように思い込んでいた頃。可能性に欠けることは全くない、と考えていた頃。自分はいつも正しいことをしているという恐れを知らぬ確信を持って。

そんな若くて未熟な時の行動が、将来の自分にずっとのしかかるとは、どうして気づくことができるのでしょうか。しかしそれでも、雨は彼に降りつけられ、もう取り返しがつかないのです。

私がこのことばの連なりに魅了されてしまうのは、このようなもう後戻りすることのできない、生きることの不可逆性とそれを受け入れざるを得ない現実を、すっぱりと切り取って見せてくれているからなのです。どうあがいても、人は生き直すことはできません。


つまり【詰まり】


「つまりさぁ~、こういうことだよ…」などと、話が長くなったり、複雑になると、話をまとめたり、要約する発言が出てくることは多いのではないでしょうか。それは、話し合っている人たちの理解を助け、共有するために行われています。

仮に「A。つまり、B」という文章であれば、「つまり」ということばの後は、Aを別のことばで言い換えたものです。AとBとの関係で言えば、方向性や内容は同一になります。いわば「=」や「≒」の働きをしていると言えます。AとBを並べることで、よりわかりやすくなったり、シンプルな表現になり、深く理解できるのです。

ことば本来の意味や働きとしては、上の通りだと思うのですが、実際に使われる場面においては、そうとばかりは言えないかもしれません。学校の授業、仕事での説明、会議や議論の中で、「つまり」は必ずしも“つまって”ばかりはいないように感じます。

「つまりは…」と言われても、ちっとも話がつながっていなかったり、ひどい時には前後で話が逆になっていたりします。そんな時には、話全体の流れや文脈から類推して、その人の言いたいこと、主張を類推するしかありません。

本来は、詳しい説明やまとめるための「つまり」が、かえって話の筋を曲げてしまい、わかりづらい、難解なものにしてしまうのです。皆さんも、そういった経験をしたことが少なからずあるのではないでしょうか。

また、人によっては「逆に、…だ。」という表現をよく使う方もいます。これも本来は話の転換ですが、話の向きを変えるといよりも、相手の話をさえぎり、優位に立つためだけに使われている場合も少なくありません。

そのため、話の筋道があいまいで、「逆に、… だ。逆に、… だ。」と「逆に」を連発して、意見の方向性がくるくる回っているようで、本当に何を言わんとしているのか、理解に苦しむこともあります。

接続の表現は、概して短いものですが、話や文章全体のまとまりや方向付けを左右するような重要な力を持っています。そのことばによって、言いたいことが伝わったり、伝わらなかったりするものなのです。

日本語は論理的なことばではない、とよく言われますが、私はそんなことはないと考えています。自分の主張する論理展開に合った接続表現を使用してやれば、きちんと論理的な思考を表現できると思うからです。

つまり、論理的な話や文章には、正しい接続表現が欠かせません。


えもんかけ【衣紋掛け】


先日たわいもない話をしているときに、ハンガーを指して「衣紋掛け」と言ったところ、相手から「エモンカケって何?」と聞かれました。幼い頃母親がよく使っていたので、私にとっては結構馴染み深いことばでしたが、確かにちょっと古臭いことばだとは思います。今だと、ハンガーと言わなければ、通じないのかもしれません。

年代のせいかとも思い、周りの人にこのことばを知っているか聞いてみることにしました。やはり私より一世代くらい若い人だと、知らなかったり、聞いたことがあるという程度でした。同年代や年上の方だと、知っている人がほとんどでしたが、「最近は使わないねえ」と言う人も多く、あまり馴染みのないことばになっているようです。

私は衣紋掛けとハンガーは全くの同義と思っておりましたが、「ああ、和服を掛けるやつね」と私の質問に答えた人がいました。それで、後から国語辞典をひいてみると、「和服を掛けておくための道具」とありました。私が理解していた意味も、実は正確なものではなかったようです。

また、もう1つの意味として「衣桁(いこう)」と書かれてありました。このことばは、明治の頃の小説でみたことあるかなあ、と言う程度です。たまたま私が調べた辞書には絵が載っていたので、ああこれかとわかりましたが、ことばの説明だけでは、つい立の骨組みのような家具をうまくイメージできなかったでしょう。使っていた私自身にとっても、実は、衣紋掛けが結構縁遠いことばになっていたわけです。

日本人が和服に接する機会も減ってもいるので、衣紋掛けと言うことばは、本来の意味が薄れたり使われなくなったりと、廃れていく一方なのかもしれません。ほとんど使われなくなった死語とは言えないまでも、死語に向かっていると言っても言い過ぎではないでしょう。パソコンで変換しても、一発変換は出来ませんでした。いつか、和服を掛ける場合であっても、ハンガーという表現が、衣紋掛けの意味を飲み込んでしまう日が来るのかもしれません。

ところで、和服を掛ける衣紋掛けは、基本的に細長い棒状の形をしていますが、徐々にその勢力を広げているハンガーは、いろいろな形のものがあります。クリーニング屋さんでもらうような、針金だけでできた細いもの。高級洋服店で見るような、木製のしっかりと厚みや重みのあるもの。同じハンガーと言っても、いろいろな種類や目的があるようです。

以前、高級な木製ハンガーの値段を調べたら、5千円以上したのでびっくりしました。財布買ったら入れるお金がなくなったではありませんが、そんなハンガー買えるお金があったら、ちょっとした上着が買えてしまうかもしれません。ややひがみ根性もあって、そんな高いハンガーなんて無駄じゃないのかと思っておりました。しかし、どうやら高級ハンガーが高級なのには合理的な理由もあるようです。

例えばスーツなどは、その肩の部分が一番大切なパーツで、値段の高いハンガーは、その大事な部分をきちんと保護する形と材質なのだそうです。ファッション業界では「スーツは肩で着る」と言い、このラインが最も重要なポイントとなるようです。

私がそれを実感したのは、映画『ローマの休日』のグレゴリー・ペックでした。彼の肩はバーンと張っており、正に高級ハンガーのような造詣で、現在から見るとオールドファッションと言えるスーツでしたが、スーツの肩からのラインが大変に美しく、私は憧れを感じたほどです。これを見て、スーツの肩を型崩れさせてはいけないということが、深く納得できたのです。

同じような生地を使ったスーツでも、売値が結構違うことがありますが、あれも厚いハンガーで運搬するか、しないかによっても影響されるそうです。つまり、商品の最も大事な部分を大切にして運ぼうとすると、容積をとってしまい、一度に運べる量が減り、それが価格を変化させるのです。高級スーツとは高級生地を使用しているからだけではなく、空間をより多く占有しているためでもあるわけで、われわれ消費者は、そのハンガーが確保した空間のためにも、コストを払っていることになるのでしょう。

グレゴリー・ペックのスーツ姿に感激し、スーツの肩は守るべきだと理解した私ですが、それでもやっぱり何千円もするような木製の高級ハンガーを買うことはできません。自分が持っている少ないスーツの数でも、もし買おうとしたら、何万円もの出費になってしまいます。仕方なく、ほうぼうで分厚いハンガーを探してみました。木ではなく、プラスチック製ではありましたが、「無印良品」で数百円で買える、それなりに納得できるハンガーが見つかりました。回し者などではありませんが、これは結構オススメできます。ただし、憧れの和製グレゴリー・ペックには、なかなかなれないでしょうね。


うたがう【疑う】


二時間もののサスペンスドラマなどを見ていると、「刑事は疑うのが仕事なんですよ」といくらか自嘲気味に吐き捨てるセリフを聞くことがあります。本物の刑事さんが、そんなことを言うのかどうかは知りませんが、視聴者である私たちは、こうした皮肉なセリフが出てくる彼らの気持ちを、自然と受け入れてしまっているのではないでしょうか。それだけ「疑う」という行為を、多くの人が悪いことだと思っているのでしょうし、絶えず疑念を持っている人は罪悪感すら芽生えてくるかもしれません。

確かに「あいつは嘘をついているかもしれない」と考えたり、「こいつは自分を騙そうとしているのでは」などと勘ぐったりしているのは、大変不健康な精神状態に思えます。私の実体験で言っても、人の行動や言葉を疑っているときは、とても気持ちが疲れてしまうものです。素直に信じ、疑うことなく暮らせたらよいのになあと、誰しも 一度くらいは夢見たことがあるのではないでしょうか。

しかしながら、その「疑う」ことこそが本分であり、元来からの特性としているものがあります。それは、万学の女王とも言われる「哲学」です。哲学と言うと、訳のわからない話を延々ととなえるという印象を持つ方もいるでしょう。あるいは、ひどく当たり前の事象を意味もなく弄んでいるだけだと思う方、押し付けがましい面倒なお説教や単なる言葉遊びだと感じる方が多いかもしれません。

こうした理解は全くの間違いとは言えないものの、哲学とは本来、あらゆることを「疑う」ことで成立している学問です。例えば、「人間が『存在する』とは、一体どういうことだろう」というような、誰しも自分の存在は当たり前に考えがちですが、それこそを問おうとします。そして、この哲学の本質たる「疑う」ことは、前述のような悪印象ではない、別の働きももたらしてくれるように思うのです。

デカルトの「我思う、故に我あり( Cogito ergo sum )」という有名な言葉は、あらゆることを疑いつくした上で、疑っている主体たる“私”だけは疑うことができない、と自我の存在を根拠付けるものでした。ここで哲学あるいは哲学的な行為がなしえた仕事は、疑うことによって個という新しい存在や価値が見出され、証明さられたことだと言えるでしょう。今まで自分にとって当然だと思っていたことでも、再び「疑う」ことで、よりその存在が明確になったり、より強固になったりするわけです。

最近、ノーベル賞を受賞された田中耕一さんが、「常識を疑い、それを簡単に手放さないことが大切」といった主旨の発言を、どこかでされていたと思います。正に田中さんは、常識を疑うことから生まれた芽を、世界においても評価されるような大きな成果につなげたのでしょう。彼は、周囲の人から変人扱いされたとしても、たゆまぬ研究によって疑問に思ったことを検証しつづけていたと聞いています。

こうして考えてみると、学問や研究には「疑う」ことが大変に重要なことだと気づかされます。「疑う」ことが、新しい発見や新しい価値を創造してくれるのではないでしょうか。だからこそ、すべての科学や学問における優れた成果には、どんなに当たり前だと考えていたことでも「疑う」姿勢や態度が、必要なように思います。

犯人探しのような悲しい「疑う」もあるのでしょうが、田中さんの発見のような、我々に恩恵をもたらす「疑う」もあるはずです。今まで我々が単純に信じてきた「疑う」という言葉の持つネガティブな印象は、ちょっと早合点が過ぎてしまったのかもしれません。それこそ、いつでもどんなことでも「疑う」ことを忘れてはいけないのでしょう。


いちょう【銀杏・公孫樹】


営団地下鉄青山一丁目駅の出口を出ると、すぐに神宮外苑のいちょう並木があり、一面に黄色い世界が開けていました。

ちょうど去年の今頃だったと思うのですが、東京へ遊びに来た友人が熱心なスワローズファンで、どうしても実物の神宮球場を見てみたいからと、明治神宮まで連れ立って出かけたことがありました。その時に、このいちょう並木に出会ったのです。東京で働くようになって、 5 年以上経ってはいましたが、私はここを訪れるのは初めてのことでした。

その時が落ち葉の最盛期だったのか、黄色い葉があちらからこちらからとハラハラ落ち、そして落ちた葉も敷き詰められたように深く道を覆っていました。その景色は、黄色く彩られた幻想的な光景で、私は別世界に迷い込んだような気分にさせられました。とてもきれいだなあと言う素直な気持ちを、心の中で何度もかみ締めたことを覚えています。このようないちょうや、いちょう並木を今まで見たことがなかったので、私はすっかり感動してしまったのです。

この美しいいちょう並木を見るまで、私にとっていちょうはきれいなものと言うより、もうちょっと身近であたたかい気持ちを持たせる樹でした。と言うのも、私がかつて通っていた大学の構内には、並木というほどたくさんではなかったのですが、いちょうの樹が何本も生えていました。季節のめぐりとともに、葉を茂らせ、落とし、実をつけていました。あの独特な匂いとともに、学生時代の日常に、当たり前なものとして存在していたのです。

私が通っていた大学は、もちろん塀に囲まれていましたが、形ばかりのものと言っても言い過ぎではなく、学生以外の方の往来が多くありました。生協の定食は市価より安いので、タクシーの運転手の方がよく食べに来ていました。そのような開放的な雰囲気だったので、いちょうがぎんなんを実らせ、地面に落ち始めると、近くの団地のお母さんたちが拾いに来ていました。中には、小さなお子さんを連れて、構内のぎんなんを拾っている方もいました。

ぎんなんの匂いは好きになれませんでしたが、小さな子供が、無心にぎんなんを拾っている姿はやはり微笑ましいもので、あの小さくちょっと匂う実が、私の通う大学を幼い彼らにとって、より身近にしてくれているように思え、うれしく眺めていました。そして、その晩の食卓の茶碗蒸に入るかな、などと一人想像したものです。

そう言う意味では、いちょうは私と他の人を身近に感じさせてくれる、ひとつの媒介になってくれていたのでしょう。いまだに街でふとあの匂いをかぐことがあると、匂い自体のきつさとは別に、不思議と優しい気持ちになってしまうのです。

いちょうは、何億年も前から、今と同じ姿のままで生息しつづけてきた植物だそうです。つまり、人類が誕生するもっともっと前から、今私たちが見るのと同じように、枝を伸ばし、葉を増やし、実を実らせていたわけです。そんなことを想うと、私が大学で接したずっと昔から、人間どうしだけでなく、何らかの生物どうしを結びつける役目を、静かに果たしてきたのかもしれない、などと言う幾分妄想めいた想像を、思わずしてしまうのでした。


あまい【甘い】


「『うまい』の語源は『甘い』がなまったものだ」と国語の時間で教わったとき、幼い私はびっくりしてしまったことを、今でも覚えています。なぜなら、甘い食べ物は、私の身近にあり、味覚の中の1つだとしか思っていなかったからでした。

私は甘いお菓子なども好きなくちなので、シュークリームなども大好きでした。ですから、甘いものをおいしいとは思いましたが、その他の味ももちろんおいしいと感じていましたので、「甘い」ものだけが「うまい」わけではないのではないか、と幼心に思ったわけです。

しかし、平安時代の頃、世の中に甘い食べ物はほとんど存在しないくらい貴重で、都に住んでいる貴族のような、ごく一部の高い身分の人だけが甘いものを口できました。つまり、甘いものを食べることは、大変に特別な体験だったから、「甘い」ものこそが「うまい」へと変化しえたようです。

ところが、現在においては、甘いものはとても当たり前になっています。例えば、会社のデスクの引出しには、チョコレートなどの甘いものが、少なからず入っていたりするでしょうし、家の冷蔵庫の中にも、プリンやケーキがあったりするかもしれません。コンビニに行けば、たくさんの甘いお菓子が並べられており、手軽に購入できますし、自宅の台所に砂糖がない家庭など、ちょっと考えられないほどでしょう。

かつては、特権階級のものだった「うまい」甘さを、今では誰もが享受できるようになったわけです。むしろ、それを通り越してひどく当たり前な、何も珍しくない存在となっているといっても、過言ではないでしょう。

今も飢餓や食料不足に苦しむ国や地域があることを考えると、上述のような日本の状況は、我々が住んでいる国が、非常に恵まれていることを証明してくれます。歴史を振り返ってみれば、戦後すぐのような、日本にとって苦しい時期もあったのでしょうが、高度経済成長後に育った私ぐらいの世代は、何もかもが豊富にある中で暮らしている、大変に恵まれた世代と言えるのでしょう。

そのためでしょうか、私がまだ学校に通っていた小さなころには、よく両親や教師の方々から「おまえたちは、まだまだ甘い。俺たちが、若いときには…」といったような話を、それこそ耳にたこができてしまうほど聞かされたのでした。

しかしながら、確かに我々以降の年代は、彼らが言うように精神的にも肉体的にも、甘いところが少なからずあるのを、全く認めないわけにはいきません。日本はずっと豊かで、電化製品、車、 IT 技術や社会インフラが、私たちの生活をより便利に、より暮らしやすくしてくれているからです。もう我々は、数百メートルだって歩かずにすませてしまいますし、洗濯も洗濯機がほとんど終わらせてくれます。

このように、他国と比べても豊かな国である日本ではありますが、ここ何年かは永遠に続きそうな不況に直面し、未来に対して不安な気持ちを持っています。そして、この不安な時代を、今後担っていかなければいけないのは、私たちのような「甘い」と言われて育ってきた世代なのです。

少しずつ積み重なり、ずっしりと重みをもった不安を、我々の世代がすべて吹き飛ばせるとは思いません。それでも、この「甘い」世代こそが、「うまい」世の中、あるいは「うまい」時代へと、ほんの少しでも、いくらかでも導けたらと考えています。